私はミステリー小説は余り読まないので、あくまで映画の感想+美術史的な面からの雑感をすこし。因みに、「ダ・ヴィンチコード」の原作は、英文+日本語訳とも読みました、ネタ本と言われる「レンヌ・ル・シャトーの謎」も読みました(笑)
美術史的には「ダ・ヴィンチ」というレオナルドに対する呼び方自体からして不評ですが、意外と自然科学史の専門家の方とかもあまりこだわりなく、ダ・ヴィンチと呼んだり書いたりすることが多いですよね・・・イタリアの画家などは「家」出身でないと大体が出身地が通称として名前になっているので、名前のイタリア語の意味を考えないとおかしな感じになる気がします。ラファエロ・サンティは貴族出ですからサンティは家の名前ですが、カラバッジオ,つまりミケランジェロ・メリージ・ダ・カラバッジョも「カラバッジョ」は通称ですし、ロッソ・フィオレンティーノもフィレンツェ出身の男性という意味で姓ではないですし・・・話がそれましたが、象徴学や図像学を専門とする人が、ローマでベルニーニの作品を思い浮かばなかったり、サンティという名前でラファエロを思い浮かべなかったりすることはありえない(苦笑)
4大河の噴水や、聖テレサの法悦の作品主題は映画中のものともだいぶかけ離れていますし。だいたい、サンタ・マリア・ヴィットリア教会の内部が燃えているときは「・・・・・」呆れてしまいましたね・・・・
サン・ピエトロ寺院のベルニーニによる増築工事は、プロテスタントに対する反宗教改革の結果で、もともとのブラマンテ(〜ミケランジェロ)の設計は円(クーポラ)とギリシア正十字(要するに縦が長いラテン十字ではなくて、スイスの国旗に用いられている十字)の「真」のイデア的概念を表していたのを、劇場型・広場を備えた柱廊と聖人達の彫像によって、楕円(中心が二つある)デザインとなった経緯があります。ルネサンス様式の美しいドームはよって、広場ではなく、ピーニャの中庭側からしか現在は見えません・・・。

しかし、かいつまんでこの映画の感想を語るとすれば、「ローマの休日」以来、背景としてしか描かれず認識されてこなかった(米国や日本のようなローマから遠い場所にとってみれば)ローマの建築やバロック美術がクローズアップされ、スクリーンに映し出されたことの価値なのか、と思います。つまり、”名作・ローマの休日”のダンスパーティの喧騒の場としてすべての歴史性を掻き消されたサンタンジェロが、ペストの流行の人心を癒す意味での役割をおった「天使」像、ローマ掠奪などの歴史性を多少は取り戻せたのかな、と思う次第です。
(「ローマの休日」はよく出来た映画なだけに、あっというまに消去された「ローマ」の意味や歴史、文化も多い、という意味で、です)

でも、どうせならベルニーニの作品をスクリーンにとらえるなら、30秒でもいいから、美術史的な本来的な解釈をいれてほしかったですね!!
あまりにもフィクションや単なるミステリー的な解釈をしてしまう人が多くなって、本来の美術史の面白さや意味が影が薄くなってしまうのは、色々な意味であまりよくないとは思います。

それから、カトリックに対するプロテスタント諸国というような対立が最近の米国映画では多いのですが(あの「エリザベス・ゴールデン・エイジ」もそうでしたが・・)魔女狩りを最後まで行っていたのは北米地域だということを忘れてはいけないと思いますね・・・

しかし古文書の取り扱いの粗暴さはさすが、外国語を軽視しがちで(アメリカでは翻訳家の地位は非常に低く、翻訳家の名前が印刷されない本も沢山ある)デジタルを重んじて紙の文書を軽視するアメリカ特有の価値観だな、と思ってしまったのでした。

あくまでも原作を読んでいない立場なので、ひょっとしたら英語原文ではもっと興味深い記述や台詞や象徴性が組み込まれているのかもしれません・・・

尤も(あるいは最も)重要な台詞はシンプルに「もっと歴史を勉強して欲しいね」という言葉につきると思います。

個人的には、ローマを舞台に謎解きフィクションを設定するならボッロミーニのほうが面白い気もします。古代ローマとエジプト、フリギュアあたりまで取り込んだミステリーで、捏造が少ない歴史系映画なんてどうでしょう。単に私が観たいだけですが、娯楽の超大作ものというのは衣装や舞台装置であるセットも大がかりになるから、何がしかの巨大スポンサー・資本がつかなければ無理なのでしょうけれど。
だから逆に歴史的スペクタクルで大作映画というのは何かしかのプロパガンダを含んでいるのだ、とついつい何をみてもチョムスキー的な気持ちでみてしまいます。

それでも衣装やセットの構築に時代考証がしっかり生かされれば、それだけでも観てみたいという気持ちになるし、そこに資金が費やされれば、消費だけではない文化的な意味というのも生まれるのかもしれません。

または、「グローバル化」が”曖昧”なまま絶対価値のように言われる現在だからこそ、初期ジェファーソン草稿から逸脱してしまい矛盾を孕んでしまった「独立宣言」と「半球思考」=「ヨーロッパから南米国を「守る」という理由で「支配権」を主張したように(この理論は日本に対しても当てはまる)・・・なども問い直されるべきでは、と思うのですが。つまり、半球ではなくもはや、全球(地球全て)における一元的なシステム的な構築と支配)ということに対して・・・・


近況としては今日は今月に入って初めての休日でした。昨日などはもう縦になっていられない...という状態で、疲労が抜けにくいなと感じます。それでも、苦手な冬でないだけましなのですが・・・ですのでこの記事も結構以前に下書きしたものです。
いつもながら煩雑な文章になってしまいました。
ライブドアブログはよく写真などを投稿する際にエラーになるので折をみて、ローマで撮影したときの写真なども追加したいと思います。

ローマは教会が大変多いので、夕刻大通りを歩いていると、鐘の音がとても多重でその残響がまた美しいのですよね、始まりと終わりを同時に告げるような円環した時間を感じられる。古代ローマは、環地中海文化圏がもつ、常に規範の外部へと向かおうとする特性があると、指摘されていますが。

時を告げる鐘の音が響くような都市や街に行きたいです・・・・。