6月7日、日本をテストします---というキャッチコピーはいかがなものか。四谷大塚の現在の経営母体はたしかスイミングスクールなども経営している筈です。中学受験の過熱は、少子化で大学受験が「産業・ビジネス」にならなくなってきたため、市場がシフトしているためと思われますが、それにしても、教育の目的自体は、再生産、再労働者化ではないはずです。
「日本」をテストします、というキャッチコピーの中には、産業的ナショナリズムが見え隠れしている。というか露骨に感じる。親の不安感を利用しているように思える。たしかに、生活を成り立たせることは重要だし、そのように子どもを訓育することも大切ですが、それがいわゆる「教育」の意味でも目的でもありません。

自立自律、自主自尊は、競争だけから生まれるものではない、競争には、共生概念が付随しなければならない。
それよりも自己認識が必要で、そのためにテストは必要だとは思う。
しかし、あからさまなキャッチコピーだと云わざるを得ない。

将来的に必要な、数学や英語は中学入試では問われない。多くのオープンキャンパスなどにいくと、私学中の先生たちは、英語は中1から教えるから今は受験勉強しなさいと(きまった)事をいうが、実際は、私立中進学時には中2/中3レベルの理解がないと、進度に対応できないこともあるのではないか。
公立中の場合でも少なくとも例えば英検5ー4級レベルは必要である。


子どもを「善く」したいと思うのが教育(教え育てる)の骨格であって、子どもに「楽」をさせたい、「得」をさせたい、と思うのは功利主義のよくない部分の集約でもあるのに、余り「親」も気がついていないのではないか、と思うことが多い。

自他の利益が反転して、反対するような「正義」は「正義」ではない、それは最低限の法的正義であるという東大・法哲学者の井上達夫先生のお話を思い出しながら。

実は、教育学自体は、日本ではあまり問題にされない。

村井実先生の「教育学入門」「善さの構造」は親、教師など必読の本だと思っている。


東京大学公開講座の内容と感想はまた後日、今書かなければならないことがあるので、それが一段落したらできるだけ早く書きたいと思っています。
「法という企て」(法哲学/井上達夫先生)はぜひ読みたい。松島斉先生の「金融と特異」では「非日常としての経済」が大変参考になった。













法という企て
井上 達夫
東京大学出版会
2003-09