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さて、4/18は「人間の不思議と魅力」−特異を追い求めるーということで、
岡田教授(情報学環・認知心理学・認知科学)、橋本教授(科学史)によるルネサンスの科学・天文学とティコ・ブラーエについてとコペルニクス、ケプラーを交えた考察、そして岡本准教授による自然科学の歴史、アインシュタイン来日時に反相対性理論をとなえた土井不曇(どいうづみ)と「特異」というテーマで3つの講演があった。

まず、岡本准教授による講演では、当時日本で起きたアインシュタインブームは、その「難解さ」によって”世界で解るのは12人(10人)と言われ、来日直前にノーベル賞受賞がきまったというが挙げられた。もちろん12人、10人というのは「比喩」であって、キリストの12使徒や釈迦の弟子10人になぞられたものである。アインシュタインはといえば、ヘブライ大学建設のための資金を集めており、南アフリカや中国、アメリカなど日本以外にも訪れている。

さて1922年11月25日から12月1日まで東大で講演したアインシュタインに、東大大学院生で旧制一高講師であった土井不曇が反相対性理論を主張していた。これを指導教授であった長岡半太郎は阻止しようとした。若い世代が「世界的科学者に反論して失敗したら「日本」の失敗になってしまうと考えたようだ。
しかし、土井は以前からアインシュタインに手紙を書いており、反相対性理論についても書き送っており、アインシュタインのほうから、土井に会いたいという申し出があったため、講演時に質問、議論となった。

さて反相対性理論自体は、珍しいものではなかった。当時アメリカでも反論がおきていた。土井の反相対性理論については、石原純が専門的な批判をしており、愛知敬一による反論の準備もあった(が土井はこの学会を欠席)石原純は私生活でスキャンダルをおこしており、土井は専門的批判をききいれなかったらしい。そしてアインシュタインが来日したときに常に同行したのは石原であって(石原は科学者でありドイツ留学経験もあった)、どうやら新聞メディアはそういう意味でも「追って」いたためにさらなるブームになっていた部分があるようだ。このあたりの解説は社会学的な部分もあり現在の「ブーム」と似た部分がある)

長岡半太郎は、第一世代の科学者であり、相対性理論を理解したうえで反論する土井に圧力をかけたというわけではなく、どちらかといえば「日本を背負った学者である」というアイデンティティを持っていた。
土井は、科学的なことで業績をあげたいと思う「世界の中の自分」というアイデンテティをもっていたために、指導教授の反対をおしきっても「持論」を主張していた部分がある。

アインシュタインが1922年に行った講演時、湯川秀樹、朝永振一郎はまだ中学生であった。この講演とアインシュタインブームでは土井を介して、日本の学会の状況の「特異」さ、世代間の違いなどがみえてくる。

土井はアインシュタインに2日間にわたって、講演会の壇上で説明をうけ、黒板に図をかきながら説明されたという。
最終的に、土井は反相対性理論をとりさげた。

このエピソードでもわかるが、質問や異論反論というのは内容を理解していなければできないことであるし、反論自体は悪いことではない、アインシュタインもまた反論してくる土井という大学院生に熱心に説明した。

湯川秀樹や朝永振一郎らの世代は、科学が身近になってきており、第一世代の19世紀にはじめて自然科学に触れた世代とはことなってきた。
この世代になって、実績があがってくる。
森本先生の話は情報量も多く、当時の状況や今後への問いも含まれていたように思う。

いつも思うのだが、日本は外からきた学問や制度を取り入れるのはとても早い。西洋は伝統があるために、容易には受け入れられないことも多い。
ただ、進歩した技術を「どのように用いるべきか」「何のため行うか」「害悪はないか」という吟味がされないままだと結果的によい社会・世界(環境も)にはならないこともある。そういったことがこの先でとわれていることだと個人的には思う。


橋本教授の話では、16世紀の天文学者ティコ・ブラーエ(デンマーク生まれ)の新星発見を中心に、それ以前の考え方、プトレマイオス、アリストテレス、そしてコペルニクスにも触れて、ルネサンス時代の科学を紹介した。

ところで、この新星は中国でも観測されていた。古代から天文観測はされていたが、観測者は官僚であったので、世界や宇宙の成り立ちという関心には至らなかったようだ。ティコ・ブラーエから、本格的な観測が始まった。

ところでコペルニクスはアラビアの天文学者たちの考え方を参考にしたという。
私たちが使っている数字もアラビア数字だが、科学分野にはアラビア語起源のものが実はとても多い。東方、西アジアからアジアのほうが文化面が発達していたというのは実はあまり知られていない。たとえば、現在では「西洋」の文明の起源としてとらえられるギリシア文明も、小アジアや東方古代文明にもっとも接していた部分であったことが強く、アルファベットもフェニキア文字から発祥している。

自然科学の発達がともなって19世紀には学問は細分化された。それまではたとえば、幾何学、数学、哲学は一緒に学ぶものであったし、法学は文法(修辞学)数学と一緒に学ぶものだった。画家は幾何学や解剖学、歴史などが求められた。
現在でもたとえばデンマークなどでは、大学生は2つの分野を専門的に学ぶことが求められている。たとえば「科学」だけではなく「哲学」も知っているべきだとされている。知識を得て、どのように活用するのか、判断するのかが重視されている時代になっている、というよりもそれが求められる時代になっていると考えられる。
人が単独では存在しないように、学問や研究、分野も「関係」の中で成り立っているのだから、「知っている」分野が広がると「了解」することも増えてくるように思う。

長くなってしまったので、認知心理学、創造性の講演については後ほど追記します。
人間と動物の違いとは何か、という問いから、人間と機械やロボットとの違いは何か、機械やコンピュータの普及とともに、こうした問いも増えてきたように思います。それは教育にも関わる部分が多いのです。

公開講座の休憩時間が20分になり、1日の講座が3つになってしまったがやはり折角だから4つくらい聴講したいと思ってしまいます。
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