アルチュール・ランボーの「地獄の一季節」は生前唯一印刷され、それも倉庫に大半が眠っていた書物。ヴェルレーヌとの決別のあと、カイロやハラルへ移って、文学や詩からは遠ざかって現地会社などで勤務し、病死するのが37歳。
ランボーの詩やマラルメは、ヴェルレーヌが「のろわれた詩人たち」において紹介したのち「伝説」となったが、本人は砂漠にいるときも、死ぬときも己の書いた詩がパリでとりだたされていることになっているとは夢にも思っていない。病気が悪化し、右脚切断の手術後、マルセイユで亡くなる。

非人称的な世界を描くことによって、その人の存在が浮き彫りになっていくというのを、ランボーを通してみることができるように思う。
ランボーを「火を盗むもの」とする解説もある。これは人間に火を与えために永遠の苦しみをおったプロメテウスになぞらえているが感慨深い。
真の生活は「不在」だといったランボーの言葉を、改めて読むと以前よりも身に迫って染み込み、抜け落ちない棘のように感じる。

田中淳一先生訳のランボーの一説を引用しておきたい。

「私とは一つの他者です。--我思うというのは間違いで、ひとが我を思うというべきです」

客観的、主観的のとらえかたすらも、現代では文脈と立場次第でいくらでも「評価」可能な部分があり、そこが(私などは)困惑する分なのだが、考える主体を「一切疑わない」という立場は...そう思いえる人にとっては楽な理論だろう。すべてを正当化できる。と同時、その正当化の裏側には、不条理に「正等ではない・正当ではない、根拠がない」と言われて退けられ、亡き者にされて(比ゆとしてではなく)いるものもあるだろう....

この種の感慨は長くなってしまうので(こうした文を書きとめておくのに、およそネットやblogはあまり相応しくないと思うのでなかなかかけなくなるのですが)すが、
「地獄の一季節」ほか読み返していて、思ったのはランボーの精神というか詩の切り口は、おそらくG.バタイユが偽名で出版していた散文や詩集にどこか通じている。
「不可能」なものへの、まなざしと焦燥、恐れ。
カトリシズムからの離反や回帰、と一口ではいえないが。。。既存の「聖」の概念への揺さぶり、など。
ジョルジュ・ルオーやボードレールが「悪」といったのは、植民地支配は大資本主義のつくる世界を「由」とする世界への裏腹への「問い」のようであり、第二帝政への糾弾が少なからず入りこんでいるように思われるし、これらは歴史の中の人と文化の生死の中で、解読されねばならないだろう。
ポストコロニアリズム、文学の衰退、絵画芸術のART(広告との関連例。つまり通俗化されたものの中で「芸術」は成り立つのか、そうではない可能性は)
などなど、疑問が出てくるのが19世紀ー現代の流れです。

自己の存在根拠が不在であるということは、物理的なものの否定、肉体の喪失へ向かうのか、リッチー・ジェイムス・エドワーズが「STAY BEAUTIFUL」と言ったことは、表層的な意味ではなく、ランボーがいうところの「不在」「美しいままで」といったことに繋がっているのではないか、とそんなことに気がつくのに私は12・3年も掛かったのだと過日思ったのでした。美しいままでというのは、「他者である自分と、人である他者の苦痛を感じるままで、忘れないままでいること」・・・そのような「純粋」さが、詩の「真髄を保つこと」だったのではないだろうか。

先々週は忙しかったせいか、また先週は(そのせいもあって余計に)不調だったためか、考えなくてはならない実質的なこと(生活上の)から無意識に離れていってしまうのか、文もまとまりませんね。


「イリュミナシオン」もまた原稿を書いたのはランボーだが、編集し題名をつけたのはヴェルレーヌである。本人は意図して編集したものではない。

バタイユもまた、初期の偽名作品は自費出版であり、小部数かつ死後しばらくたって、Gバタイユ本人の著作だと知られた。(本人は知らないままだろう)

マラルメの詩集は初版47部だという。

(日本でいれば、例えば宮沢賢治の作品は1作しか出ていないはずだ。あとは出版社から断られているため、蔵に原稿が残ったまま、病死した。樋口一葉も作品は死後に出版されたものだ)

なぜか、私の場合、10代半ばによくある、”本ではなく「書物」との遭遇”がバタイユの「不可能なもの」「ラスコーの壁画」あたりだったためか(「凄い(ヘンじゃない?)」といわれるのであまり口に出しませんが)そのせいか、現在に疑問がわくと、やはり古代研究、東方研究に興味が出てしまうのも(誰に言われなくても)昔からそういうものなのかな、...と妙に納得する分部もありました。