6b243796.jpg
山本六三展へ行って来ました。これだけの規模で開催されるのは初めてとのことで、油彩(個人蔵も含む)、エッチングなどbunkamuraギャラリーにて展示されています。

銅版画家というイメージが強いようですが山本六三さんの作品は、油彩が大変興味深い。今回間近で作品を観るのは2回目だが、その筆致や質感、抑制された色彩、仕事の細やかさも含めてボッティチェリの作品を観るような印象をうける。
テンペラ画のような堅質で静かな質感で、両性具有の天使が描かれ、イカロス、ウルフェウス、スフィンクス、ヘルマフロディトスが描かれる。山本さんは日本では(現代画家として)きわめで珍しい、神話画をルネサンス期までの職人的な技巧で描いだ人だと思う。

トスカーナの糸杉や純潔の百合が描かれる一方で、主題は神話イメージのほかに、ヴァニタス画の要素を持つ。だから常に「死を忘れるな」(memento mori)の象徴である髑髏は天使の傍らや少女の手の内にある。

眺める快楽を持つ絵画の要素に、解読する絵画の要素をもつ。

私が思うに主題と物語性、デッサンと色彩の魅力を兼ね備えているということそれ以上に、山本六三さんの作品は「マニエラな気質」と「技術」によって仕上げられているというところにテーマ以上の「聖性」を感じる。
現代で自己表出・自己表現としての芸術・アートとなった「絵画」は、「感性」を売り物にするために、即興的であったり、インスピレーション自体を商品にしたりする場合が多く「仕上げられていない」場合が多い。(好みの問題もあるだろうが)
ルネサンス美術やデューラーの版画が好きな私としては、現代の1990年代に山本六三によって描かれた作品に深く感銘を受ける。
今は絶版になっている画集には、「どうみても完成していると思われる絵画(「女友達」:今回bunkamuraギャラリーにも展示されている)に対して、まだまだ未完成だから」と答える逸話が紹介されているが、現代で失われてしまった崇高だったマニエリスムの感触が息づいている感銘をうける。
それは例えば、ラファエル前派のイヴリン・ド・モーガンの作品などにも感じるエッセンスのように思う。山本六三作品には、純潔のイコノロジー「百合」や超越性としての「両性具有」がたびたび描かれるが、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」の天使ガブリエルにみえる両性具有性や草花や百合のディティールが共通しており、それは、山本六三さんが選んで描いたモチーフとも調和している。

そして何よりも物言う眼、ロゴスの眼をもって人物たちが描かれている。



カタログはオンラインでも注文できるようです。


3/31まで開催。もう一度脚を運べればと思う。
多色刷りの「ペレアスとメリザンド」が大変美しい。

サバト館発行の画集を持っているが、今回特別にカタログが発行されるので会期中に予約したいと思う。

桜のお茶を頂いたので飲むのが愉しみです。
昨日は忙しかったのですが、今日は早朝眼がさえてしまったので実家へ行きNico(愛犬)の散歩へいきました...すっかり真冬のような気温と風で予定より早く帰宅。
しかし土手沿いの桜が三分咲きくらいで咲いていました。咲き始めの桜は繊細な感じがして美しいですね。蕾と花弁の色彩コントラストがあるこのくらいの咲き加減が春らしさを感じます。(満開になるとちょっと苦手です。)