情報を貰っていなかったらおそらく見逃していた、映画「トリコロールー青の愛ー」(主演J・ピノシュ)の感想をメモ的に。フランス映画祭の小パンフレットによると『十戒』をいかに現代で解釈できるかというテーマと、トリコロール三色を重ね合わせた三部作。キシェロフスキー監督の作品。2009年夏には、渋谷ユーロスペースにてトリコロール三部作ほかDVD化できないポーランド時代の作品も含めて上映されるとのこと。


私が思うに、サルトルの『嘔吐』を例に出すまでもなく、現代のフランス(および西洋・オキシデント)は、キリスト教公認以降、1500年もの間絶対的だった「人間の存在根拠」である「創造主である神(絶対者)が造った人間」というアイデンテティと存在根拠が根底からゆらぎ、いかに新しい「実存」を見出せるかということでもあったと思うのですが、現代フランス映画をあらためてみると、「現代フランスの都市」を舞台にしてはいるものの主題は、普遍の受難や苦悩、共同体と個人などが象徴的に重ねあわされているように思える。そのことはまた後日書くとして、今回は、この映画の中にひそかに配置された、テーマや構図について考察的にメモしてみたいと思います。


実はこの監督の作品見るの初めてでした。
青の愛は「自由」をテーマにしている。私たちが普段「自由」と考えるときに、功利主義的な「快さを(欲望)を追求することに妨げがないこと」を自由と考えがちだが、そのような現代的な功利主義的な考えだとおそらくこの映画がテーマとする「自由」には行き着かないかもしれない。
「自由」とは、もう一つの考え方として、「なすべきこと」から逃れずに苦しみながらも受け入れそれを克服しようとすることで「本当に自由になれる」−−この映画では、ジュリエット・ピノシュを通じて、描かれる。この変化はとても繊細な展開で、見ているときには気が付かないほど。台詞ではない、言語では表現されない心理的な変化、なによりも「時間」がそこに描かれている。


前日にポーランド→フランスで制作していたと知り、また、初期作品が「地下〜」とつくあたり、アンジェイ・ワイダの系譜なのかなと思いながら、主題として繰り返される音楽も19世紀ロシアを思わせる響き。

ふと思ったのは、主人公の女性(夫と娘を亡くして隠棲的になる)ジュリー(J・ピノシュ)は東方正教会の象徴、ソフィア(智慧の女神)のイメージが重ねられているのではないかと思った。忘れ去れるが、隠された本質としての象徴。

夫が著名な作曲家、その彼女が唯の伴侶ではないこと(つまり再生産を担う現代的女性の意味ではない)は、あるジャーナリストの発する台詞が象徴的だ。

「本当は貴女が曲をかいていたのでは?それは本当ですか」

ジュリーは直接にはそれには答えない。
だが、「本当の作者(源泉)は隠れた形で存在している」ことは明らかで、おそらくかなり夫の「作曲・音楽」には彼女が関わっている(明らかに彼女がいなければかけないというレベルで)ことが伝わってくる。
楽譜を捨てる彼女の行動は、そのことを一度前提にしなければならない。
単なる伴侶であれば、夫の仕事を捨てることはないように思われる。
彼女は自らの名前で曲を発表することは考えてもいない。
最終的に、彼女の名前が創造者として前面にでたか否かについても映画ではわからない。それは「可能性」として提示されることに意味があるようにも思う。

以前イタリアに関する記事でも書いたが、現在のローマにある「マリア」の名前がついている(相当数がそうなのだが)教会は、もともと大地母神キュベレー神殿だった場所である。だからカトリックキリスト教は、ミトラス教の太陽神である「父なる神」に加えて、聖母マリア崇拝(聖母子の原型はエジプト起源のホルスとイシスであることも以前書いた)といわれている。

では、東方教会ではどうか..というと、そこではマリア崇拝ではなく、ギリシアの智慧の女神であるソフィアが崇拝対象になる。東方教会では、キリストの母であるマリアを信仰対象にはしなかった。そして、東方的なソフィア(智慧)を神聖視する価値観は隠蔽されるか、衰退していった。

私にとって「トリコロールー青の愛」は、そうした象徴性が、ストーリーに隠されている気がした映画だった。1人の個人のドラマであると同時に、歴史的なストーリー、分岐点、深い時間(先史時代を含む継承の流れ)を感じさせ、同時にまたそれは1989年ベルリンの壁崩壊後のヨーロッパがあらたに直面した「再生」の手がかりのように感じられた。


夫の愛人、法学・弁護士見習いで身篭っている(見かけもラテン系)愛人女性のほうは、ソフィアに対して「産む女としての「マリア」を思わせる。
(※マリアのイメージが彼女だといっているわけではなくて、意味の対比として)
そして現に、屋敷と名前はその「生まれてくる男の子」に継承される道筋が示される。彼女が示す「寛大な人」という言葉は意味深い。


こうして元々の系譜は世間から忘れられていくことも、この映画では描かれている。
再生した主人公ジュリーが自分の名で曲を発表したかどうかはそこは見た限りではわからないのですが、可能性・(来るべき可能性的な)が余韻として残されていると感じた。

またこの映画は現代のフランスを舞台にしているのにも関わらず、1900年初頭のような印象すら受ける。どこか時間の外側と、国家統合のカオスが渦巻いていた頃のヨーロッパに近い印象を受ける。(そして90年代初頭の東側もおそらく、似た動揺と転換に戦きながら再生しなければならない時期だったからかもしれない)

青、特に水面の青色と、そこに何度も身を沈める(泳ぐというよりも削ぎ落としているような印象)場面が繰り返されその都度、浄化のイメージ(洗礼的な)も重なる。

中沢新一「東方的」にはソフィア教会(マリアの姉であり、知恵の女神ソフィア)と東方由来の「とりなし」の存在が書かれているが、そんなことを思い出しながら観てこともできるように思う。

こうしたイコンが、ドラマの中に入り込み、90分だが数ヶ月過ぎたような気にもなる。最近あまり映画をじっくりみる機会もなかったから余計かもしれません。

余り深読み的な感想になるのも..と思いながら考察メモを。

序盤の緊張感、切り取られた瞬間性と視界による映像が見事。

娘(主人公)の存在を忘却してしまっている母親が常に限界に挑戦している人(バンジージャンプをする老人/何か悲愴的...)をテレビごしにみてるのもきっと、メッセイジなんでしょう。

映画の前にはドゥ・マゴのカフェオレを久々に堪能しました**
やっぱりここのコーヒーは美味しいです。

夜はバレエ・レッスンのお迎えに...
某フェスティバルのゲネプロもあります。
そして20日金曜はベジャール・ガラとベジャール・バレエ・ローザンヌの映像がNHKで放送されます。忙しい三月、近頃はまた一山こえると体調が崩れがちなのですが、行きたい企画展示や放送があるのは嬉しく思います。


渋谷での情報としては、山本六三展があります。
日程的に厳しいですが、できるだけ見に行くつもりです。
こちらは3/24−3/31までbunnkamraギャラリーにて。文化村とスパン・アート系から案内がきました。「メランコリア」の版画は欲しくなってしまう。
改めて山本六三さんの版画はデューラー起源だなと思いつつ。
幻想美術館(埼玉近代美術館)では「スフィンクス」「横たわるヘルマフロディトス」が展示されたのが記憶に新しいですが、今回も油彩作品を見られるのが楽しみです。



トリコロール/青の愛 [DVD]トリコロール/青の愛 [DVD]
出演:ジュリエット・ビノシュ
販売元:ショウゲート
発売日:2005-11-25
おすすめ度:4.0
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澁澤龍彦 幻想美術館澁澤龍彦 幻想美術館
著者:巖谷 國士
販売元:平凡社
発売日:2007-04
おすすめ度:5.0
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幻想美術館展の図録。山本六三さんの作品は、画集も出ていますが手に入れやすいのは平凡社のこちらではないかと思います。ルドン、モロー、アルチンボルドから酒井抱一まで2007年の展示作品の紹介。

イコノソフィア―聖画十講 (河出文庫)
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