小中一貫実施

http://sankei.jp.msn.com/life/education/090119/edc0901192114002-n1.htm

横浜市で実施ということですが、ネガディヴな問題解消を期待するためなのでしょうが、あまりメリットはないように感じます。
小中ギャップを解消するというよりも、むしろ今以上に中学生が小学生化(低年齢化)するでしょうね。小学生が幼稚園生化してるのと同様に、現状がベターな状態にはならないでしょう。
むしろ小学校6年生を、小1-3までと小4-6までの2つに区切るべきだと感じます。

小1-3は集団的なことに適応することを中心にやっていまのような状態でもいいとは思いますが、小4-6はそのステージと分けてじょじょに子ども自体に自覚を持たせるように促されるような環境にするべきで、それまでの基礎的なことを習得することから、多少負荷を課すような課程にしないと苦労するのは(自覚するしないは別として)本人たちだと感じます。ただでさえあんな内容の薄い学習内容なのですから。

神奈川の取り組みは首都圏全体に波及することがこれまでも多かったので、各市町村レベルでこれに似た変更が出てくると思いますが、重要なのは、最終的にどのような状態を目標におくのがその子どもたちにとって良いのか慎重に考えてもらいたいです。とはいえ、どこか、公立の取り組みは「試験的に実施ー改変」の繰り返しで、もしその取り組みが「失敗だった」としても誰も責任をとらないことなのですが。

ドイツや日本では、国(公)が教育の中心だと未だに思われていますが、日本の場合、初等教育も高等教育も社会の現状に合っていないことが社会問題になっていますし、「どうするべきか」を自ら(家や保護者が)あまり考えないことが問題だと感じます。そして、この様々なミスマッチを公の報道が正しく伝えていないことも問題だと感じます。


理想は、様々な段階を自らこなしていくことができる(ように周囲がサポートして育てる)ことなのですが、その「方法」を記述的に示すのはとても難しいのです。


educationの意味が問われない限り、何かとても教育の目標自体が「平均的・機械的的な能力」をもとめてしまうように思います。しかし、機械的な能力は人が持つ問題解決能力や問題を発見する力はもちろん、人がもつ心的な能力も大事にされないのですよね。
そして人が平均化されればされるほど、既にかつては人がやっていた対人的な仕事の殆どが自動化・無人化・機械化されていること、合理性と市場の法則が生活のどこにまで浸透するのか、そういった懸念もあります。