「テロとの戦い」という言葉は、実態をすべて隠してしまう。
その言葉が使われるたびにそう感じる。
実際に攻撃し、被害者はそこの地域に住んでいる「住民」なのに、「テロとの戦い」という一言で、殆どのことが転化されてしまう。

この問題は非常に根深い。
しかしもともと異質なもの同士ではなく、同質な部分があるだけにいっそう根深い。
考古学の世界でも、イスラエル建国の根拠を巡って様々な論議が重ねられていた。
宗教的に、同じ一神教からの宗教改革の結果として成立した宗教同士なのでやはり難しい面がある。・・・・
歴史、経済、宗教、文化、そういったものをすべて取り込んでいる。
そのため、どれか一方の理由だけで解決がなされるわけではないだろう...
両者の世界観と価値観を理解する立場であれば、調停できるのだろうか?
共存または並存できる協定が必要だが、難しいのは、実際に記憶に生きている犠牲の連鎖が、和解に近づくことができるかどうかなのだが、・・・・
本当に難しいと思う。
しかしそれが、並存可能になることを願っている。
二者択一に答えがないのが、もっとも難しい問題の特徴だから、勝者と敗者を決めるような対立や戦闘では何も解決しない。

「テロとの戦い」という言葉の簡略化・物事のディフォルメは、「環境問題」という言葉と似た問題があるように思う。実際に起きている出来事や問題は、一言で済ませられない複雑さと、ひとことで指し示すことが可能のような明らかな問題点を含んでいる。ブルータス誌上で村上龍が「環境問題とは実は貧困問題なのだ」という指摘を短い文章の中で的確にしていたが、そういう国際社会上の構図から語らないと、「テロとの戦い」という言葉ですべての問題が覆われて正当化されてしまう。

セキュリティジレンマが激しく起きているときこそ、明確に問題の原点が明らかにされるべきだと思うのだが...