余り問題にしている記事を見かけないので、書きますが大阪府知事橋下氏の「私学助成金カット」とそれにまつわる県民との対話には見逃せない問題がある。

まず、例えば埼玉県の例から公立高校と私立高校について述べると、高校進学者の全体の6割を受け容れるのが県立で、残りは県内私立と都・近県の私立ということになっている。これは予め決められている配分であり、キャパが設定されているということ。そのような状況から私学へ進学する人に対して、県内私立の場合には県から補助がでる。進学する際に予めその事は説明されるし、公の領域で設定された制度であり、教育行政そのもののシステムである。

大阪府が突然この補助を止めると言いだしたが、その際の橋下氏が口にした「貴方が選んだ」「自己責任の時代」などという発言は極めて現状を理解していない無責任な発言である。補助の制度を前提にして入学しているのだから、せめて現在在校している人達が卒業するまでは約束を守るべきではないだろうか?

日本の公的教育行政は先進国の中でも特に劣っていると言われているが、こうした制度を突然決定したあげくその説明不足の中で「自己責任」はないだろう。

公的機関こそが、無責任というか責任者の匿名性によって責任を果たしていないのではないか?

また自己責任、公的な機関を頼らず問題を自己解決しようとするというのは、確かに1980年以降表れてくる個人の特性だが、それを全ての人に求める行政というのは「公」の本質に外れるものがないか?行政機関が、個人主義の極地に対して無意識でいられること、公的権力によって権利を停止するというのはいかがなものか?

こうした問題に対して、新聞メディアやインターネットニュース(これも匿名性の暴力性を持っているが)がつけた記事の見出しは「橋下が女子高生を泣かした」などという非常に破廉恥かつ、出来事の問題のはぐらかしであった。

違和感と現状認識に対する甘さを感じるのは私だけだろうか?
自らも同様の困難を味合わなければ、何も認識できないという人が増えているように思う。こうした問題について、「自分には関係がないから」とそれこそ「女子高生を泣かした知事」的な関心しか抱けない人が多数を占めているのだろうか?

田中義久先生が指摘する「5メートル以内の出来事にしか関心を持てない人々」が増えている。そして、地方自治体の長も公共性を理解しているとは言い難いと思われてならない。