b66c21b6.jpg

9月23日、熊野ー那智に行ってきました。
写真データを取り出せなくてなかなか記事にできませんでしが、先に覚え書きだけでも。
印象に残っていることからいくつか書きたいと思います。二日目は大門坂を歩きました。熊野古道のもっとも面影を残している場所といわれ、かつ古道を歩くという目的を容易に叶えられる場所・・・と言われる場所です。古道は国道になってしまったり、崩れてしまったりで全部は残ってはいません。
明治に入り修験道が禁止されたためでもあるでしょう・・・


大門坂へ向かう途中に南方熊楠が3年滞在したという宿、大阪屋旅館さんの跡があります。通りかかったら、共に大門坂を訪れていた方が、奥へいってごらんなさい、と仰るので、お邪魔することに。旅館跡にすんでおられる主人に熊野のお話を聞くことができました。http://www.mikumano.net/meguri/daimonzaka.html

昔は熊野は観光地ではなく、皆大変な思いをして訪れる場所だった。信仰がない人がただ拝むのなら、月をみて拝みなさい、信仰がある人たちは大変な苦労をして歩いてお参りをした。

五来重氏の熊野詣を読んでいてその内容に強く惹かれ心打たれ、実際に熊野に来れた私としてはとても貴重なお話だった。不治の病にかかれば、故郷を出なければならない、不治の病のまま行きながら死者のように熊野を目指した。歩けなくなる人もいた。這ってこの山深い道を通る。そして、巡礼者のために古道沿いの人々は、惜しげない援助をしたという。私はその話を思い出しながら、ご主人の話を聞いていた。
霊場・熊野はこもりの、つまり現世とはべつの場所である。
肉体は衰えても魂は救われることを願ったのだろうと思う。
熊野灘の海や深い山をみていると、名状しがたい気持ちになる。

そして明治になると廃仏毀釈によって、那智に祀ってあった仏像は山に捨てられたのだとういう。そしてその後、ご主人ら大門坂の近隣の方々でその観音像を再び奉られたのだという。
永く続いた信仰と文化と自然の場、聖域を明治という「近代化」はいとも簡単に破壊する。そのことを忘れるべきではないし、誰しも「価値」や「まもるもの」についてしらなければならない。実は進歩より保存や継承のほうが難しい。

奈良へいっても、廃仏毀釈で多くの仏像や寺が壊されたと奈良の方から聞くことが多い。タクシーにのっても、運転手の方は奈良を訪れたわれわれに対して、色々な話をしてくれる。


明治を転換期とする評価は再考する必要があると思う。
何も西洋で市民革命までは市民社会がなかったわけではないからだ。
江戸時代までの文化のほうが「市民的」ではなかったか?自立精神や市民意識という観点、文化や伝統、信仰と思想史について問いはつきない。

近代ヨーロッパで初めて起こった・できた制度と言われているものが、実はアジア前近代にも名前を別にして制度としてあったことはよくあることである。
時間の流れにそって優れた文化や成熟した制度や意識があるわけではない。
継承されなければ、忘却され失われることが多いと感じる。

風土や自然が持つ独自性と文化の詳細を知ることが大切で、それは現地にいき、現地の人と話すことで、わかることも多いと感じた。

熊野は山というイメージがつよかったが、実際にいくとその深い山から生まれて溢れている水、川の流れの美しさがとても印象的だった。あの水色はどこにもみられない。


熊野詣 三山信仰と文化 (講談社学術文庫)

これから熊野を訪れる方にもおすすめしたい五来重氏の本。
文庫版で復刊したものです。