6e24a388.JPGフィレンツェの小さな街で、ドゥオモの存在は本当に素晴らしい。

アルノ川沿いを歩き、シニョーリア広場を抜けてしばらく歩いて初めてサンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂が見えたとき。視界一杯に顕れるその姿。
圧倒的とはこのことだった。
あたかもそこにあるのが当然のようで、それでいて奇跡をみるような存在感。
幸福なことに、その日のトスカーナ、フィレンツェの午後は快晴で前日までの雨は嘘のようだった。聖母の衣服に使われるウルトラマリンのラピスラズリの青を溶かしたような空の色とドゥオモ。日本からイタリアに行き、ローマ、フィレンツェに行けることが現代に生まれて良かったとほとんど唯一感じる瞬間でもあった。
50年前や100年前には容易に叶うことはないのだから。

フィレンツェは当時、危機的状況にあった。
聖堂の前にある洗礼堂の扉は、ギベルティとブルネレスキの二人が競った。
市民意識が強いフィレンツェではこのような作品制作にコンペが行われた。
これは作品を作るがわにとっても重要なことだが、更に重要なことはコンペで決めることによって、多数の市民が意見をもってそこに参加することができるということ。

ブルネレスキはこの対決ではギベルティに敗れたが、このドゥオモのドームをつくりあげた経緯を知ると、この建物に近づいた瞬間に味わう奇跡そのものなのだと思えてくる。ブルネレスキはローマの古代レンガ積みから学びドームをつくることができた。

ルネサンス(リナシタ)は美と数学がもっとも接近した時代であり、モノと精神性がもっとも調和したときでもあると思う。技術知識だけで解明できるもの、ではない。
それは自然模倣や自然主義などということ以上に語られなければならない。
そして感性や審美的ということ以上に、技術が可能にできるものがあるのだとこの時代をみていると感じる。