会期間際にルドン展に行くことができました。 
 
 
エッシャー展が盛況だったからといってルドンも同じ方法で無理矢理アプローチすることもあるまい、と思った。良さが薄れる。
主催者の挨拶コメントに??という気持ちになったのは、ルドンの美術の位置づけをせずに、現代的観点からのみ、つまり主観的感覚だけでこの美術を語ろうとしているような紹介文に対してです。最近こういった解説が多いですね、とても残念です。

展示内容はとっても充実でした。嬉しい誤算ですが。ちょっとクリエイター・デザイナー系とそんなムードを志向する客に媚びすぎなのではないだろうか。勿論にぎわうのはいいのだけど。


ルドンの美術は「異型の形」というよりも、フォルムよりも形にとらえきれないものを描こうとしてると思うので・・・かろうじて姿にするならばというようなものじゃないでしょうか。それは、心象の移ろいの影のようなもの。 
 
ルドンの黒の作品は、これはもう印刷と実物とでは線・・というか繊細さがまったく違う。別物です。
というよりも印刷では再現できないからアートなのであって、私はCGやモダンアートというもの、特にモダン、現代と頭に付けなくてはならないようなものはアートではないと思っています。サールが言うような、自ら科学と名乗るようなものは、科学ではないというような状態とでもいうか、話がずれました。無論、POPアート自体を否定したいわけではありませんが・・・
 
描いてあるというよりも、出現してるようなぼやっとした輪郭。存在の兆候というべき、存在の臨界、なのか・・・ 
黒一色なのに色彩を感じる、というよりも黒一色なのにむしろ光を感じる。
そういう闇なのです。

 
 
「聖アントワーヌの誘惑」の黒の作品が一群が特に・・・ 
テキストと絵画(ヴィジュアル)の相互的な欲求をやはり求めることがあるんだと思う。テキスト(現前しないもの)絵・立体(現前するもの)あと音楽・・・相互の世界が可能なものへの欲求が創る動機になることが多いと思うときがあるのですが、今回もそれを感じた。 
 
残るものは理由がそうさせてるからでは勿論なくて、何かそれ以上のものがあるから惹かれる理由を探そうとするのだろう。