今日は仕事上の会合もどきでした。
毎年重要な報告があるので仕方ない休み返上で出席したものの、内容が酷くて全体的に徒労感一杯でした。土曜も夜まで仕事が続いていたので、その前に疲れてはいたのですが。
明日は午前中はさすがに休むつもり。
頭痛も酷いし。

娘は実家に預かってもらいましたが、母も土日に仕事が入ることが多く(営業)ので大変でした。

レンヌ・ル・シャトーの謎、を読んでいて諸説は普通は認められていない、という現在の結論がありますが、
「秘密結社」というものは「秘密」なのだ、というのがちらつきます。例えば、嘘で捏造したと認めたということで、事実や真実を新たに隠蔽することになるのでは?
なんて思ってしまう。
つまり「これらは嘘で捏造です」と認めたことを、世界の大部分が認知することを目論んでいたならば?
どちらにしてもヨーロッパ世界が「キリスト教・カトリック」を認めたということでそれ以前の智と文化の水脈の根源は覆われた、というのは確かなことと、キリスト教父権主義の頑なさはやはり過剰なのは確かなのだから。
フーコーやレヴィナスがいうことが実態を持ってイメージできるような気がしてくる。


「ダヴィンチ・コード」自体も最近読んだ(なまじ容易な本文だけに一気に読んでしまった!)その中で、ディズニーに関することが面白かった。ディズニーはフリーメーソンの一員で、生涯で聖杯伝説の寓話を子供たちの世代に伝えることをライフワークにしていた、という点。
うーんたしかに、ミッキー・マウスはMMだし、彼が初期に作った映画は本当に「隠されたヒロイン」の話。だって単に英雄譚な映画を沢山とることも考えらられるのに、そうではない。
非日常の世界を正に「ランド」として作り出して、何万人もの人がそこに金を払い、リピーターする。ショウやパレードでさえある意味で現代での儀式のようなもので...たしかにある意味娯楽のようで客(わざわざゲストも参加者といいきっている)体験としての参加をしているじゃないかーと思うとなかなか凄いと思ってしまった。「隠れミッキー探し」だって、隠されたMを探せという、絵画や彫刻の読み解きの、延長上みたいじゃないか...恐るべし。

ディズニーがどの時点からフリーメーソンの一員だったかはよくわからないが、たとえばモーツァルトの「魔笛」(ちなみに魔笛はオペラではなく、あえて「歌芝居」というレベルで作られた作品に仕立てられている!)のように一見ファンタジーの中に象徴としての「秘密」が隠されているのは確か。

レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説