新宿NSビルで実施された朝日新聞社主催・大学推薦・一般入試現状報告に今年も出席。講演は旺文社・教育センター長

配布資料は19年度の詳細データで価値が高いのですが、もう少し「これから先進学を迎える学生にとっての」という視点が盛り込まれていてもいいのかな、と毎度思ったりもします。
とはいえ「全入時代」という言葉自体が一人歩きしがちです。
かつての「受験戦争」という言葉同様に、それだけでは現象を無意味に煽るだけです。

かつて入試・試験とは学力試験であり、8割がそうでした。
現在は、推薦入試が半数を締めていて、以前に増して「大学のネームバリュー」は空洞化しているともいえる。
残念だが、大学の大多数の出口である「企業」が採用スタイルを変えない限りは変化が訪れない。
呆れるのは、企業の採用サイドが未だに「大学で何をしてきたかよりも、どの大学に入る為に高校時代に努力したかを重視する」という粗末な事を平気で公言している所が多いからです。

同時に思うことではあるが、多くの進学校では大学の名前を発表しても学部は発表されない。週刊誌のランキングはどはどこまでも軽々しい意図が見えるが、それとて現役進学数だけなのか、過年度生が入っている数なのか、明記している場合が少ない。

最後に資料に面白いことが纏めてありました。
18歳人口が減る一方で、大学は変化していくだろうという展望。

ヽ惱儻Φ羌ヾ悗箸靴討(本来の意味の)大学
⊇⊃Δ泙燭録Χ筏蚕僂鮟得するための大学(本来それは大学とは言えるのか)
6詰榲大学


おそらく、△鉢は、社会人入学なども含めてオープン化していく...とも思うのですが、そうなるとますます、働き方と生活の多用さが必要になると感じる次第。

−−実は「ゆとり教育」を導入した理由が、「生涯学習」とのリンクだったのですが、社会構造的にはまるで変化がない状態で教育だけを公が緩めてしまった。

教育が経済(社会ではない)に取りこまれてしまって随分と久しい。
そして更に窮窮としたものになっている感が強い。

大体、すでに卒論すら課さない大学が随分ある。
もっというと小論やレポートすら作成しないで卒業する学生がいる。

人文系の高校生のほうがよっぽどものを考えて、問題意識を持っていると感じる。
(埼玉県公立高校では春日部東の人文が卒論がある。またレポートも作成する、不動岡も大学1年生に求められるレベルのレポート小論を作成する)