もといお薦め絵本、ね。

カフカ変身のパロディ本、ウェズレーにしても、確かにああそうかな。
とは思いますが...人気がある、ウける本ってあまりにも「わかりやす過ぎて」一度読めばもういいや、という部分があります。

ウェズレーいかにも、あの時代のアメリカゆえの主張だな〜...という気もします。

”著者の主張”が見えすぎる本、あまりにも当たり前すぎて。

絵本というジャンルで、主張が本筋な本、これは本来的に「絵本」というジャンルにはふさわしくないな、と思っています。

98年以降の本--本に関われば知ってる通り、今副業的に絵本作家をやっているいいかげんなライター(本業はゴシップ記事もどきの原稿をかいていたりする人たちです)も多いんですよ。98年ごろに取次制になり、本屋は大手チェーン化して特色在る本屋の多くはつぶれました。本の流通が変わり、作られる本の質も変わりました。

名作本は薦めなくても買うでしょう、でも新しい本はそうでも言わないと買わないでしょう。(という業界意識がちょっと覗ける)
問題はこどもたちが変わったことよりも、親の年代によって起きる問題のほうが深刻です。子供たちが変化してるのは確かで、その子供たちにウケる本とは如何に。

本をよむ、読むことで日常の時間では得られない体験がある、そのこと(楽しさ、とは言わない)をなるべく早いうちから知ってもらいたい。

読むとわかること、しらなかった世界に、時間・場所を越えて体験できるよということを。

でも実は「圧倒的多数」が面白いとおもうものはそれほど関わらなくてもいいのだな。


いい本、には「余白」がある。
読者が考え・感じる「余白」が充分にある。