1DAY-25HOURS デザイン・フォー・ライフ

from ousia@web 高嶺(Takane)によるデザイン・フォー・ライフ. テキストと写真で綴ります.

March 2014

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スヴニール・ドゥ・ラ・マルメゾン、レディ・ヒンダリンに蕾がつきました。今年は3月寒かったのですが20日前に蕾がつきはじめたので早いほうかもしれません。
雪柳が咲き始め、紫陽花にも新しい芽がついてきて、アナベルにも芽が出始めました、毎日春が訪れ変化していきます。

野生の菫やたつなみそうなど小さな草花がだんだんとはなひらくとアレッサンドロ・ボッティチェリの春・プリマヴェーラが思い出される。
フローラを想定して生命の生成を表したこの作品は、当時盛んだったアカデミア・プラトニカによる新プラトン主義解釈が反映されていてもっとも解釈が複雑とされている。たしかにメタモルフォーセは異時間同図法的でメリクリウスやアモル、古代復興で解釈された事物の本質についての絵画版注解のようである。メディチ家の依頼のもと作成された作品は、アペレスへのオマージュ、そして新プラトン主義を中心とした第二期的なフィレンツェにおけるルネサンスだと感じる。ロレンツォ・イル・マニフィコは自らスタンツェを書いた。アカデメイア・プラトニカは可視の美よりよりプラトン主義的な美を重視したが、受容し、享受した庇護者たちは可視なる美術や音楽を新たに生み出した、こうした流れは興味深い。

庭や街路樹の花にも春を見つけることができるが、川沿いの野花が帯のように咲く様をみると、フローラの口から溢れる花が表す神秘や自然のものいわぬ狂気を賛美し畏怖した人々の心情がすこしわかる気がする。

いずれ5月のフィレンツェにもいきたいものです。いまはちょうど、美術館無料で解放されている時期でしょうか。

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原発危機の経済学








三田キャンパス 北館ホールにて三田文学会・慶應義塾大学文学部主催による講演会が行われ、出席した。
講演者は齋藤誠氏(一橋大学教授)で専門はマクロ経済学である。原発の専門家ではないものの阪神淡路大震災の頃よりリスクマネジメント、リスク経済を考える事が増え、建築物の安全性などに詳しい立場から問題提示をされてきたという。
2011年11月に『原発危機の経済学』を出版。今回の講演は「私たちは原発問題とどう向き合うべきか?」と題され、社会科学者の立場からこの問題を捉えている。
原発に関する問題としては、原発の安全性について1970年代に稼働し始めたものが安全面で問題が多いこと、そして震災前には問題にされていなかったことを指摘された。1980年代からは技術が向上したものの、2013年7月に原発に新基準が設けられ、これをクリアできる原発はまだまだ少ないことをお話しされた。
齋藤氏は原発に関して再稼働か廃炉かといった二者択一的議論が多いことを指摘。だが重要なのは廃炉にすべき原発と、日本経済をとりまく交易条件を考え再稼働可能な原発とをまず考えるべきである旨をを述べられた。この話を聞き、私は真理は中間にあるという言葉を思い出したが、よりよい選択のためにはまず臆見を退け知らねばならないとの思いがした。

今日の日本経済の国際環境はオイルショック時よりも悪いという。原発に関してはそれぞれの専門分野からの判断をまず明解にすることが重要だと思われた。
齋藤氏の危惧は、福島大一原発の廃炉には多大な資金が必要であることと、現在も汚染水、放射能の問題は収束しておらず早急な解決が必要であるという。もしこの問題が解決不可能であるとしたら日本の国際的な信用は失墜することになるということだった。
脱原発と再稼働の立場についても合意形成には「ゆっくり急ぐ」ことが道筋であると述べられた。より懸命な選択のためには、我々もまた日々の中で状況を知ることに努めなければならないと感じた。
 次に、文学部の取り組みとして関根謙文学部長と荻野安奈教授によって「石巻の三色旗-文学部の取り組みー」と題した講演・報告会が行われた。

 慶應義塾大学の被災地での取り組みについてはこれまで何度か知ることがあったが、今回は文学部として何ができるのかという命題のもと、訪問・合宿の様子を写真も踏まえた説明があった。自然の豊かさ、怖さ、生の言葉から得られる教訓などを聴き、風化させないことが大切であると改めて感じた。この企画は、荻野先生のところに一読者からかかってきた電話がきっかけであったという。被災地を取り上げた書籍を出版したところ、石巻の漁師の方から「ここはもっとひどい、見に来てくれ」と連絡があり読者と接点をもつことができたという。学生とともに石巻を訪れ、その場にいくことで知ることの多さを語っていただいた。例えば、政府発表では鉄道の復旧率は85%を越えているが、実際には線路はいたるところで分断されており、現在も仙台までは新幹線でいくことができるが、その先、石巻へいくにはバスをチャーターしなければならないという。
私たちは主にメディアを通じるか、こうして脚を運ばれたかたからの言葉や写真から知ることはできない。声が言葉として届くためには、聞く立場の私たちが関心を失わないことが重要だと感じる。
石巻で聞いた震災に備えるべきものとして荻野先生が話されたのは、「ライター、簡単なナイフ、スパナ、油性マジック、印鑑、塩、輪ゴム」であるという。
これらは何日も水も使えない状態で必要なものだという。塩は傷の消毒等、油性マジックは自らに名前を書いておくこと、輪ゴムは止血などにも使えるという。こうした話を聞くと、災害時の非日常性が想像できるように思う。「文学部は何ができるのか」--この問いには、「言葉のちから」と端的に述べられたが、その意味を理解できる講演だった。
講演の後、第二部では「新派のこころで」と題された朗読劇と聴き語りが行われた。
水上瀧太郎原作『九月一日』が劇団新派の4人の俳優陣によって演じられた。この原作は関東大震災を背景にそこに直面した男女の様子が描写される。
音響効果演出と演者による朗読というシンプルな舞台上で、言葉がもつ張りつめた力を感じることができた。

終演後、また帰路の電車内で思ったのは、私達は3.11についてこうした想起可能な作品を残すことができるのかということだった。
日常がある時間と事柄を境目として非日常になっていくこと、出来事の細部、感情。
言葉はそれそのものが共有可能なメディアであって意志によって再生できるものだと感じる。
この日のテーマは、文学部が何ができるのかという問いのもと、客観的社会科学の分析、ワークを通じての言葉の伝達、そして作品という少なくとも3つの力が再確認できた。
文学の力とは、言葉を通じて生命をつなぐことではないだろうか。私はフィレンツェ・ルネサンスの思想と西洋古典期研究をしていたが、言葉の力とは常に一つの生命を複数につなげていくことが根幹にあると思われる。ロゴスという言葉を持ち出さずとも、言葉による共有はその根源に関わることだと改めて感じた。
最後に、聞き語りとして「新派に生きて」(出演:波乃久里子 聞き手:松本康男(松竹株式会社)が開催された。松本氏は塾員で松竹株式会社でながく製作を行われていたという、亡き中村勘三郎氏の逸話をはさみ、今夏に上演される久保田万太郎作品について、波乃さんが丁寧に語られ、新派の舞台についての拘りなどを聴くことができた。

<震災から三年--経済と世相>
平成26年3月22日(土)慶應義塾大学三田キャンパス 北館ホール
主催 慶應義塾・三田文学会 後援 岩波書店・一般社団法人樫の会

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バーミンガム大学社会政策学部 オープン・レクチャー 3月27日(木)開催


「社会政策の役割:社会事業と改革戦略」
このレクチャーでは、社会政策がどのように実社会の改革に貢献できるかを概説します。社会政策はダイナミックかつ改革志向の学問分野であり、この学問が学生、研究者、教授や行政にもたらす可能性やチャンスについてバーバラ・フォーセット教授が考察します。 またケリー・ホール博士が、社会政策学のなかでも国際的に注目を集めている社会事業分野について、最新の研究成果を取り上げながら、社会事業がヘルスケア・社会医療政策とその実践に与える影響について探究します。
社会事業や医療政策に関心がある方、社会政策分野について詳しく学びたいと考える方のご参加をお待ちしています。
【日時】 2014年3月27日(木)19:30-21:00
【会場】 ブリティッシュ・カウンシル (東京・飯田橋)
【主催者】 バーミンガム大学社会政策学部
【参加方法】 参加無料・要申込
※使用言語:英語


・ブリティッシュ・カウンシルからのお知らせ。
バーミンガム大学のレクチャーや講演は以前持続可能性や科学分野でもあり、いくつかは参加する機会があったと思います。パブリシティに基づいた機会があるのがよいです。


・舞台芸術からアリーナ・コジョカルの舞台について案内がきました。





ダイニング用のカレンダーは、バラクラのカレンダーか京成バラ園のカレンダーを使っています。
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親戚が京成バラ園関係なのでここ数年送っていただいてるのですが、その月にする世話や作業がカレンダーに書いてありなかなか便利です。

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バラクラにいった年はガーデンで買ってきますが多分通販もしているはず。

にこさんも一緒に行ったのが思い出されます。蓼科東急のコテージに泊まったのでした。

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リビングにいるにこさん、
にこさんの写真は玄関、ダイニング、二階と何ヵ所か飾ってます。フレームをいただくとにこさんの写真を入れてます。
もう少し写真も整理しなくては。

写真や手紙はデータよりもものそのものにしたほうがよいと感じます。
データという言葉自体が未分類な状態を指しますが、データのままでは不十分なのことが多いのではないかと。


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根津美術館に立ち寄りました。実は新しくなってから行っておらず。
日本美術史学を学んだ大学同窓のお友達とご一緒したのでゆっくりすごせました。
刀匠 清麿展には多くの外国のかたも来ていました、根津美術館は英語や仏語の案内も多くあり、モダンな建築・展示室とともにそれも人気の理由かと思います。
たまに外国メディアが日本文化を語るなら日本語文献を読んでから語れという意見がありますがそれはやや傲慢なところがあり、それよりは日本の専門家-研究者が平易な英語かフランス語などで説明した文書が増えることを望むのが先な気がします。

カフェは庭園にあり、お皿には杜若が。
バームクーヘンと抹茶ラテのセット。
杜若の季節にいつか行ってみたい。

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明治のお雛様展示が二階で特別展示してありました。

今年は慌ただしかったのと体調がいまいちで自宅にお雛様をかざれず。。
せめて季節を感じたくて新杵でさくら餅と道明寺などを購入。新杵の焼き大福が美味なので。お茶にあう。
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和菓子すきなのですが、なぜかなぜなのか首都圏では丁寧な和菓子屋さんが少ない。なぜなのか。洋のお菓子やさんに比べ年齢の高い店員さんが多いからなのか、和とついた時点でローカルなカテゴリーだからなのか。そうなんです、和のカテゴリーのおもてなし、って客や相手のためよりもルールのおしきせのような部分がある気がします。なんというか、日本的なものが特殊からスタンダードになるには無自覚なローカル性質を見直す必要があるのでは、と感じます。

特殊からスタンダードな美として表層していくほうがよい。


根津の紅梅、きれいでした。

風邪症状等一進一退です。

フローラ逍遙の梅の項が読みたくなりました。


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グァテマラ100%エインフェルト農園とドミニカ100%ラミレス農園。
パルシステムの珈琲・紅茶特集で時々掲載される商品。
このコーヒー美味しいです。ドリップのなかでは格別に美味しいと思います。
香りも味も好きです。



ドミニカ ラミレス農園
Aroma 香 4
sweetness 甘み 4
Acidity 酸味 3
Bitter 苦み 2
Body こく 4

グァテマラ エインフェルト農園
Aroma 5
sweetness4
Acidity 2
Bitter 3
Body 5

パッケージの裏に載っていたので引用。
とくにグァテマラが美味しいです。

このコーヒー以外だとカフェインレスコーヒーを飲みます。

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