1DAY-25HOURS デザイン・フォー・ライフ

from ousia@web 高嶺(Takane)によるデザイン・フォー・ライフ. テキストと写真で綴ります.

February 2014

3
あまり邦画をみないのですが、和田琢磨さんが出ているとのことで観てみました。
主人公を演じた浜尾京介さんが思いの外、よかったです。心情描写に長けている。

この映画では英国式紅茶が鍵なのだけれど、花、料理、飛行機、などが価値形成をしている。これらが象徴する価値はすぐに物質的には儚いけれど、本質は他のなにものにも変えがたいプライオリティ、そしてプリマクラッセの価値には純然とした価値があるもの。
けれど、記憶のなかにある日常で体験した花や飛行機、紅茶は圧倒的にここにでいきるひとの原点として、イデーとしてかたられるし、それを大切にしてる。
それが、伝わるのがよい。

こういうことを、どうでもよいとする価値観は根強く、でも花や料理、紅茶なとがクォリティの定点になる。
紅茶は主人公(浜尾)祖父のホテルマンとの残された接点で、祖父はよき時代の追憶で象徴でもある。こういう生き方が難しくなって、浜尾演じるところの青年の環境が珍しくなくなっていることの対比。

浜尾京介が自宅寮?から走ってホテルに向かうところと、自分から率先して料理を仕上げてゆくところ、紅茶を真摯に入れ味を確かめているあたりがよい映像。
台詞で説明しないで、彼のアクションや表情、内側からの変化が感じられてよい。それにたいしての周囲のリアクションはすこし月並みなのだけど、

家人と観ていたら、演者の諏訪太郎氏を知っているとかで、駒込関係なのか荒れ地の詩人の会の繋がりで知っていると話してました。

賄いのごはんを食べているところや八ヶ岳の風景もよかった。もうすこし和田さんやほかのスタッフとの関わりも見たかったけど概ねよい作品と思えます。
オーディオコメンタリーふくめて三回みました。
場所が八ヶ岳高原なのも観た理由かもしれません。

観ていると美味しいアッサムのミルクティとウォーカーのショートブレッドが食べたくなります。紅茶をポットで用意して観るのをおすすめ。

浜尾京介さんは2月で活動休止とのことですが、演技とても自然て、考えさせるところもありよかった。
ちょうど観ているとき2月終わりで、さびしいような複雑な気持ちになりました。でも演じるという仕事は、そのものが生命で、それはずっと残るから。

役者の仕事は心身を違う役に分け与えて、生命を際立たせること、なのかもしれない。他者の生を生きることが、その人の生命にもなる。

1マチルド フルステ
マチルド・フルステー
2ローラ・アシュレイ
バレエ
LauraAshley
3Salome Cynamon
サロメ・シナモン
凰稀かなめ
4大空祐飛
天寿光希
美弥るりか
5夕霧らい
紫峰七海
玲美うらら
6朝倉文夫
平和来
7ウォーターハウス
アドニスの自覚
バラ
クリフトン art forma
高村順子
8柄本弾
帆風成海
リモージュ
紫門ゆりや
大澄れい
カルロ・ドルチ
煌羽レオ
鳳樹いち
9マーキューシオ
美学
10小笠原亮
ポルディ・ペッツォーリ美術館
クローチェ


キーフレーズについては後日追記できれば。

ブログやツィッターなどの語、サイト名は省いています。
shall we〜公演をお誘いいただいたのですが都合がつかずいけておりません。
学校行事のダンス振り付けのためにパリオペの眠り金銀のパートを参考にみていたようです。19世紀クラシックでは眠りが好きです。ディヴェルティスマン、妖精は中世の七美徳のような概念の表層を振り付けでパラフレーズできる演目かと思います。ヌレエフ版もすきですが、オーロラ・ブライアローズの理想はコジョカルです。
眠りは作り込むと高度な舞台になるぶん、浅薄な解釈だととても見劣りするものになってしまうような。
他のクラシックがロマンスとエキゾチズムが中心要素なのに対して眠りの特徴は興味深い。
話を戻すと今年の怪我以降さらにトラウマらしく自分から映像みるのは久々のような。実際のところ私もトラウマになってます。隔世感というか,,,

マーキューシオが検索にあったのはロミジュリからだと思います、見に行けていませんが水田航生さんのマーキューシオはちょっと見たかった。

ばらのカテゴリーからの閲覧も多いのですがあまりオールドローズの記事かけてないです。剪定をし、つるばらとアーチの誘引はしました!地元のヘンケルス・アウトレットで新しい園芸ハサミを購入。1000円!使いやすい。すばらしい。
バラ園芸に関心があるかたは美術や舞台なども好きなのかなと感じます。

ポルディ・ペッツォーリ美術館展には行きたいです。


綾子さんから北九州のお菓子いただきました。えびせん。菱餅の雛あられもいっしょに。春らしい。


朝倉彫塑館にはまた行きたいです。
私は静かで意匠を感じる建築が好きなのですが関東にいるとなかなかそうした体験を得難い。
彫刻や建築より絵画が好まれるのは日本での二次元趣味と根は同じ理由に思います。時間の概念というのは思考や存在論に依っているように思います。

冷えが堪えると思っていましたが、ついに発熱。2月は例年どおり寒かった。

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ポルディ・ペッツォーリ美術館展でも展示されるテンペラ、きょうちゃんからいただいたフレームに飾りました。


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論文提出お祝いを企画。前菜で出てきた玉ねぎのタルトが美味しい!
甘みがたっぷりでした。前菜が充実しているお店でゆっくり食事できると充実します。

玉ねぎのタルトはアルザス地方のお料理のようです。
ワインもアルザスの赤を頼みました(2月のおすすめワインでした)

ワイン会は自宅でやるので、お店でボトルワインを飲むのは久々。 だいぶん日がたってしまいましたが写真も一緒に。 最近は自宅または近い場所でしかお酒はのみません。メトロの始発終点駅がかわり移動がちょっと、はい、、心許ない。 重い文献やノートパソコン持ち歩くのも避けたい。 あまり体力に自信がないのです。 いろいろご連絡がとどこおりがちですが、自覚しています。メールの時間指定希望やパソコンに送ってほしいとかいろいろ覚えているつもりが段々あやふやになってよくわからなくなっています。お返事を書いて送信まえにあれ朝は何時から夜は何時まで希望だったかな、とか。そして私もこのところもの凄く朝早く起きており、ーーー一番確実なのはどの時代も書面ですね。それから無線LAN不調。 ばらの剪定を少しずつやっています。 今年はなにを育てよう? 夏に蘭を育てようかと考えてましたが結局実践していません! 私の実家家族はだいたい皆蘭を栽培していて冬は蘭を室内に移動、春先にまた移動という習慣が。身近すぎて興味がなかったのですが、室内に花があるのに少し憧れます、これが老化なのだろうか。。南国の空港にしばらくいってないからかもしれません。

雪かきボランティアについて。

私は行政が求める無償ボランティアをあまり肯定していない。行政は住民サービスについて必要性を認めるならばそれはスタッフとして行うべきだと思っている。責任の所在があいまいなために提供される側も困惑する。
行政は社会全般が貨幣経済で成り立っていることを認識するべきで、それは基本的には人やものを動かすのは時間およびものであって、それらは貨幣経済の中でしか得られない。税で予算を組む行政にはそのことがあまり実感を伴っていないのではないかと感じる。

たしかにどのような条件でも無償ボランティアを募ればある程度は集まるのかもしれない。
しかしそれを最初から前提にするのは正しいのかどうか。

行政への不満→ 予算やスタッフを回すことが直ちに困難→ボランティアの募集→ ボランティア次第なので行政批判も回避できる

「何も対策してないわけではないが積極的解決もしたくはない」という意図がみえてくる。

何かといえば、サポーターという言葉を用いているが強制ボランティアに近いことも多く、時間を提供するだけでも困難な場合もある。それができないと、「そのくらいもできない」という批判につながっていくのはよくある話。

たまに思うのだが、「頑張って何かをしているからそうではない人は不十分だ」といって他人を批判するのは間違っている。「頑張っている自分(主観)」が認知されることと(快)、(比較の問題で)「楽している人を見るのは不快(主観)」という単なる欲求問題でしかない。

雪かきボランティアの条件をみているとこのような条件で参加するのは、就活などでボランティア経験を語るために「ボランティア経歴」を作りたい学生などしか思い当たらないのです。

もちろん自分ができる範囲で自発的に行うのがボランティアであって、雪かきは近隣住民で協力してやるくらいは自然なことであっていちいち強制力は働かないですが、個人的な事情というのは様々だし、見た目にはわからない身体不調に悩む人もいるのです。

無償ボランティアを募る行政は、体制が古くて社会状況変化に対応できていないか、スタッフ配置を適切に行えないからではないかと思うのです。
たとえば低賃金でも時間と人を動員したらペイが発生しないものは、制度欠陥があると思えます。要するに必要問題が生じているならば、すぐにボランティアを使う発想以前にやることがあるのではないかという疑問があるのです。問題整理や解決方法を考えてほしいと思うのです。



新たなスタッフを雇うのが難しく、しかし実行する必要ある事柄が増えた場合はとりあえず既存のスタッフで役割分担するのが一般的だが行政はやらないことが多い。 蛇足になりますが、一般的な店舗や事務所などが自らの店舗周辺を掃除するのはあたリまえだが、行政施設の周りはごみ多くや除草もできていないことが多い。パブリシティがないとかいう以前にこうした日常態度から一般感覚とのずれを感じる。 教師とか行政は貨幣経済の実情を体験するべきである。(すこし前の早稲田学報に教師の現実感覚の稀薄さを指摘した特集があったが概ね同感だった)

3/1東京大空襲 証言映像マップ(Tokyo Air Raids Oral Histroy Map)を公開します
証言映像とデジタル地図で、歴史といまをつなぐ
 
・46インチ大画面で東京大空襲体験者の証言映像を自由に見ることができます。
・1945年3月10日の空襲体験者5人分・71本の証言映像を一挙公開。
・「空襲体験」だけではなく、戦前・戦中の生活体験、戦後体験の証言も収録して、歴史といまをつなぎます。
・時空間情報を3D地図上に表示する時空間マップソフトウエア(c-loc)を活用。デジタル技術と人文科学を融合する人文情報学(Digital Humanities)の一成果。
※イメージ画像など詳細HP
 
 
製作 東京大空襲・戦災資料センター 東京大空襲証言映像プロジェクト
研究助成 公益財団法人トヨタ財団
基図 国土地理院2万5000分1地形図

 
場所 東京大空襲・戦災資料センター
2014年3月1日から常設展示として公開
開館時間 12:00-16:00
休館日 月・火曜日 年末年始12月28日-1月4日(3月9・10日は開館)
協力費 一般300円 中高生200円 小学生以下無料
136-0073 東京都江東区北砂1-5-4
電話03-5857-5631 FAX03-5683-3326
HP
http://www.tokyo-sensai.net/
交通手段 都バス(秋26)「北砂1丁目」下車徒歩2分 都営・東京メトロ「住吉駅」B1出口徒歩18分
 
 
展示公開記念イベント(同時公開の「いのちの被災地図」解説も兼ねる)
期日 2014年3月1日(土)14:00-15:30
場所 東京大空襲・戦災資料センター
HP
http://www.tokyo-sensai.net/



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学会情報提供からお知らせを受けましたので掲載します。

私の身辺にいる戦争および空襲体験者の方は元気なので話を聞くこともできるのですが、質的調査の重要性はもっと共有されるべきだと思っています。

http://www.britishcouncil.jp/events/english-garden-workshop

「蓼科高原バラクライングリッシュ ガーデン ワークショップ」 3月8日(土)開催

英国園芸研究家のケイ山田さんをお招きし、スライドを使ってイングリッシュ ガーデンの特徴や四季の魅力を存分にご紹介して頂きます。その後で、ヘッドガーデナーアンドリュー・フィッシャーさんに寄せ植えの実演を英語での解説と共に行って頂きます。

【日程】 2014年3月8日(土) 17:30-19:00
【会場】 ブリティッシュ・カウンシル
【参加方法】 参加無料・要予約 ※定員30名様

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バラクラのガーデン・ワークショップが開催されるようです。

ガーデン用のアクセサリーや麻ひも等蓼科にいくときはいろいろ選ぶ楽しみがあります。
拙宅のニュードーンは2株ともバラクラのナーセリーで購入し、かなり大きく育ちました。

P1160161

この写真は2011年8月に行ったときにバラクラで撮影したものです。



ほとんど恋愛観というものがないので(・・・)こうした話題はよくわからないのだが、最近の傾向についての記事を観たので少々感想を。

女性は3C男性は4K(経済力を加えた5Kになっているとも聞く)が結婚の条件と言われているらしいが、これは相手にのぞむものというよりは、自分に欠落しているものと同意語のように思われる。

4K
可愛い、軽い、家庭的、賢いが条件という場合も
3C
快適、理解しあえる、協調的 という場合も、もしそういうものを他人に臨むとしたならば自分にそれらが無いということではないだろうか。

他者に臨むよりも自分がなりたい人になれば、類友でそういう人が集まります。
結局似たものは引き寄せられる。

結論:他者に望むよりも自分にそれを求めよう。

欠乏が充実を求めるのだから、欠如を認識しよう...

ポロスとペニアの比喩はまだ基本形なのではないでしょうか。

逆に考えれば、条件を設定しすぎというよりも、理想とはほぼ不可能な望みと思ったほうがいい。条件とは譲歩しないことを宣言する意味ではよいのでは。

タレスは研究しているときに、なぜ結婚しないかと聞かれて「まだそのときではない」と答え、さらに聞かれたときには「もうそのときではない」と答えたらしい。

欧米では、遺伝子を残す以外に、血縁以外の繋がりや関係性、作品や仕事をするといった形の充実も生きる意義として認られているので(これを端的に「プラトニック」と表したのがマルシリウスなのだが)あまり面倒は生じない。(のではないか)


マルシーリオ・フィチーノ
国文社1985-02


もう一つ言えることは良いと思っているときには大抵、いい意味で誤解しているので「良い」と思えるものらしい。よくイメージと違ったという落胆も聞くけれども、それは経験となる。

いい誤解によって自分を造る力に作用することが古代からルネサンスに言われた神的狂気というもので、やる気とか情熱とか内的動機づけといったものに関わっていく。

何故銀英伝の感想記事にアクセスが?と思っていましたが再アニメ化するとのこと。
個人的にはあまりキラキラした感じになってほしくはないのですが、ある意味戦後サブカルチャーの古典のようになっていますのでいくつか版ができてもよいかも?
(それにこの作品はSFでないとはいえ、そろそろ技術反映(TVは立体なのに電話のコードが...)の表現が古いという点もあるのでしょうが(これはいたちごっこでしょうけれど...)話は古くなりようがないところが魅力かも。
そしていまだに受容する側のリアルがこの作品の極度にディフォルメされた世界にすら答えをだせないのもリニューアルの理由かもしれません。イゼルローン日記は前作でやってほしかったですけれど(富山さん)せっかくなら外伝もシリーズにしていただきたいです。

新しいキャスティングもあるのでしょうか。個人的には高橋広樹さん、竹本さん、野島さん、浜田さん、喜安さんあたりに加わってほしいと第一報を聞いて感じました。

舞台版は観たことがないのですが、中河内さんがミッターマイヤーというのは納得します。宝塚宙組版は宝塚と東京で5回観ましたがこちらも続編やってもよいのではないかと。今度は同盟と帝国で内容的に半々くらいでいかがでしょうか。

新シリーズはテレビ東京やMXで放送してほしいです。10代でなんらかの関わりをもってよい作品だと思います。

しかしながら権力に宗教、この図式が当時フィクションだったのに、今日では、、、。憂国騎士団すら笑えなくなってますが。英霊というオブジェクト含め、作品を眺めることで客観を得る訓練がある程度できるのかな、と漠然と思いました。

この作品、上は60代後半から下は中学生くらいまで常に受容層がいる気がします。やはり戦後サブカルチャーの古典になりつつある。

個人的にはイタリアかドイツかといったらイタリア好きですが、第二言語ドイツ語履修者がちょっと増えそうな気がします。指揮者の名前が多いのはドイツのレコード会社と提携していたからでしょうけれども、原作では近代ドイツ文学の作家・戯曲が人名でたくさん出ています。





<新訳>ガリア戦記
ユリウス・カエサル
PHP研究所
2008-02-14

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140213-00000051-it_nlab-sci


ベートーヴェン:交響曲第2番&第7番
金聖響
ワーナーミュージック・ジャパン
2003-07-24



ふと気になったのは音楽。
当たり前のようにチャイコフスキーの悲愴が思い浮かびますが、音楽はどうするのでしょう?
選曲は文句のつけようがなかったので年月がたっても古さを感じない理由かもしれません。
交響曲7番は金聖響さんの指揮のものが好きです。

久々にホールで聞きたくなってきました。


1. マチルド・フルステー
2.  大空祐飛 凰稀かなめ
3.  夕霧らい
4.  煌羽レオ 帆風成海 天寿光希 美弥るりか 紫門ゆりや 玲美うらら
5. アドニスの自覚 ウォーターハウス
6.  アートフォーマ ソファ
7.  カルロ・ドルチ
8. 朝夏まなと 銀英伝
9.  美弥るりか マーキューシオ
10  ブライアン・キース 歴史
    よみがえる古代思想
    クローチェ 美学


一言感想

パリオペラ座来日公演があったのでマチルドの名前が検索されていました。
マチルドは好きなダンサーです。映画「パリオペラ座のすべて」で白鳥のレッスン中に、ローラン・イレールが呼びかけてますね。
大空さんはJCBの会報誌に公演が載ってました。
他にマホロバに、彩乃かなみさん、佐々木さん、村井良大さん出演情報など。エポス会報には水田航生さんが出る「金閣寺」等。最近、あまり劇場にいけてませんが、今年は何か見られたら良いです。放映当時は忙しくて見られなかったのですが、新撰組BS プレミアムが気になります。沖田役に辻本祐樹さん。 昨年のザ・カブキは行けなかったのですが久々にDVD を見ようかと。 ギエムのOn the edge を見てました。なぜか春先に観たくなる。
早霧さん、雪組トップ就任おめでとうございます。またニジンスキーのような作品がつくられるとよいです。バランシンやヌレエフ、バリシニコフなどもいいかも。
クローチェについては今も関心が高いです。アガンベンをじっくり読みたい。

読む事と書くことはいくつかの点で生きることと同意に思えるのですが、日常で読む事は必須であって、それを咀嚼するためにも簡単でも言葉で書き残すことが重要だと思うこの頃。

降雪というよりほぼ吹雪。
2月8日は午後4時くらいまで仕事でしたがそのあたりからは雪というより吹雪、でした。
印象としては奥日光に以前いったときにパウダースノーがずっとふぶいているという天候にあいましたがそれより凄かった。帰宅してからは積もるとより大変と一時間おきくらいに少しずつ雪かきしましたが積もりかたの速度がまた凄かった。十分くらいで元より積雪。

気温が下がるとオペ後背面痛が憎悪。
いろいろすこしずつやってます

近況としてはお久しぶりにえいこさんにお会いでき、スピリチュアル右傾化の不気味さを嘆くフィーリングトークで意気投合しつつサングリアをいただきました。完全に地中海不足です。

たまに聞かれるのですが、特に旅行予定はありません。
シャルトル学派の興味からシャルトル、またはイスタンブルにいきたいなとは思ってましたけれど。ローマ、フィレンツェは万年行きたいです。休むならバリ島です。旅行では文化が違う!と歓喜したいものです。単純に休むなら温泉3日などが現実的なのでしょうが、あまり求めてない...です。
かといって遠距離の旅行にいくほどの体力は戻ってない...

国外に行かれるかたの日本のよいところについての意見は理解できますが、日本が凄いから他国にいく必要はない意見には全く説得的なものがない。

日本の楽な部分は合理的でないものにおっているところが多く、楽なのですがそれは時間制限ないドリンクバーのような程度のもので、トラブルや重要な局面では不合理なことが多い。
不合理だが、慣れているからゆえ成り立っている日常というのは法意識のなさゆえになんとなく成り立つように見える。image


再び降雪。
雪の2月として記憶されそうな年。
雪のときに小鳥用にみかんなどを庭に置いているようだが、めじろ、ひよどりなどが頻繁に来る。
追記 
15日の雪は湿った重い雪で街路樹などが折れたところも見かけた。


現代に生きている我々が過去の重要な潮流を学ぼうとすると、どうしてもより重要(とされる)項目中心に学ぶことになるが、テキストの「重要部分」が起こるまでには、当然いくつかの段階がある。

トマス・アクィナスの前には、アルベルトゥス・マグヌスとエティエンヌ・タンピエがおり、ソクラテス以前以降のように、それ以前の流れをいちいち観ていく作業は面白い。より理解すべき事柄のビフォー・アフター的な思想・歴史があればわかりやすくなるのではないかと思うのだが。

マルシリウスの場合の思想的葛藤は、欲求「より知りたい」と敬虔さ「信仰」「禁欲」といった項目を両立させることは可能かどうかだった(と思う)のだが、異教的学芸を節度をもって文化輸入するためにはどうすれば適切か、または可能かという葛藤が見て取れる。

(今日的な感覚では、こうした葛藤はどのようなものに相応するのだろうか)

こうした態度を理解するには、おそらくマルシリウスの立場はヴァッラへのテコ入れのように捉えられるのではと思うのだが。... 
なぜフィレンツェ・ルネサンスはルネサンスと言われるのか。
それは何百年かの前提を疑いとらえ直す活動だったからである。
古代熱狂のようなものもあっただろうが、それに留まらずまた折衷主義と一言ではいえないものとして現代まで伝わっている。フィレンツェ・ルネサンスの時代に明確にギリシアという失われた文明の復興が意図されているが(それまではバビロニアやエジプトなども入り込み漠然とした古代憧憬でもあったし、単純にローマを意識している時代のほうが長かった)我々が考えるほど自然に「ギリシア」が残っていったわけではないのだ...

典型の意図的な創造は、その後おそらくはアカデミー時代のフランスへと移っていくように思う。

言論もまた典型化されていくが、テキストの読み直しとは既存の典型的読解を当時の文脈でとらえ直すことから始まる。


日常生活上では合理主義の立場からものを考えはじめる必要がある。
同一労働同一賃金について少し。

同一の仕事をしていたならば、正とか非正規といった言葉を用いるべきではない。なぜこうした差異を作るかといえば、それは同じ労働下にある人の不満を吸い上げることをしたくないがために、さらに比較対象を作って不満をその階層の自己肯定に利用するからである。
ヒエラルキーが動きにくい、階層移動がしにくい社会においてはよくある手法であって、これらはできればあと5年以内には何らかの手段をこうじるべきだと思っている。
もしこうした社会がさらに階層固定に走るならば、子どもたちはもう大人など信用しないことだろう。そうした不満は消費しない、といった消費社会否定をさらに助長させるだろうと思う。消極的態度よりは実感による正当な結果であろう。
すでに10代20代の世代間格差と上の世代への不信感は相当なものになっているが(・・・管理職以上の世代がほとんど10代20代と接しないために理解できないかもしれないが)おそらくこれらは静かに進んでいく変化だと思う。ただ、50-70代がすぐ思い当たるような形で暴動とか生ぐさい革命といった展開にも至らない。その代わりに、サイレントで決定的な消費しない、少子化といった抵抗はもっと深まるだろう。手遅れになってから問題を認識するのが我が国の常なので、誰かが認識してもあまり誰もまじめには考えないかもしれない。

「さとり世代」などとマスメディアでは彼らを呼んでいるが、大人になっても現実をあまり認識しないで生活しようとする高齢世代は「アポロ世代」のようだと思う。あまり地に足がついておらず、いまでも10代やそれ以下の子どもたちに「夢をもて」「頑張れ」といったことしか言わない。現実的に職業や生活について考えている十代には、暗い、夢がないと嫌な顔をする。むしろ夢ばかり語っていまの社会を作ってきたのではないのか。彼らの多くが未だに現実を知ることを避けて、夢見がちでいたいらしい。しかも彼らはフリーダムを重視するが若年者の服従を好むために、たとえ対話機会があっても、議論にはならない。彼らの多くの行動は「夢観る天文学者」であってロマン主義的である。
反原発活動を3.11以降に始めた多くの「活動家」もこうした傾向を持つ、ように思う。
ちょうど、原発を増やしてバブル時代には30代だったような世代がリタイア後に活動に入っている傾向。実証を嫌い、自らの思いを強める、補強し代弁してくれるようなテキストだけを読む読書家なので、議論やディヴェート好きと見えてまったく人の話を聞かない...こんな調子なのでこどもたちには声はとどかないが、それらを「今の連中はダメ、意識が低い」といった「意識高い系」発言をして、集まっては酒を飲んでいるという活動... がメインになってしまう。

以前ポストモダンの問題について書いた記憶があるが、原因は多少類似していると思われる。
物事は前の世代が枠組みを作ってしまった罪というよりも、その前提を問うことをしなかったために解決が難しくなっているということ。もう一つは、この枠組みの中で、生活する人の大半は前提を当たり前に思いすぎて、悲観あるいは諦観しすぎてしまう固定された(つまり能力主義ではない・努力が無意味になる)世界を補強してしまう問題を指摘しておきたい。世代間のかみあわなさははたから見ていて残念に思うことが多い。長くなったが、年長者には寛容という美徳が必要だ。 日本は中世的だ、という意見があふれているけれども、単一的価値観になったときの閉塞感から比較されている中世よりもさらに中世的であって、しかも中世的社会のメリットは残っていない。世界が単一的で在り方に多様性が認められないと人々が思い込み実際にそれが揺るぎない、そうした認識が広くみられるようになっている。思い込みたいひとは自覚するまで仕方ないのたが、前提を考えみる時期に相当していると私は感じる。どうもあまりまとまりに欠ける文だが、書き留めておきたい。

人は変えられないし、単純な世代批判も的をえないとは思うのだが、10-20代が50代以上に抱く世代間対立は相当に高まっている。

それはそうだろう、変化を自覚せずに他者を貶めたり理解しようとしない態度から何を学べというのか。ルールは途中変更されるばかりで、負担せずに保証された世代に保証なしに負担をおわなくてはならない閉塞性。少子化にはいくつか原因があるがメンタリティとしては他者と共有したい社会でないと皮膚で実感しているからである。つまりそれだけ表面化して現状はよいと思える要素が消失し、魅力が急速に失われている。子どもにこのように感じさせた時点ですぐに解決できない事柄になっているのだが、少なくとも職業・就業・進学に関して更に温度を下げていくべきではない。
正社員だから関係ないという考えはより危険で、その立場は生産性が落ちる40前半から今後も切り捨てられるか縮小される。単一労働が本来同質かつ、クオリティに対する評価が本来的になるほど、正社員価値は下がるからだ。(いまでは平社員という呼称は使われなくなった) 仕事に責任が増えると創造性は制限されるが、ひとの能力のうち代替できないのは創造性の部分である。年収での立場評価より時間や拘束性でクオリティを考えたほうがよい。 変化のただ中にあっても、変化から遠ざかっていても、変動には気がつかないことが多く、大半の間違いは早すぎるか遅すぎるために起こる。この社会では大半は遅いことと、修正的ではなく懐古あるいは復古的なためにそれはおこる。 しかしながら個人の能力はよりましになっている、そのためか自己責任という言葉が頻繁に用いられるようになった。こうしたギャップに対してあまり説明されない感があるのだが。 社会批判で若者やゆとり世代叩きのような風潮があるが、実際問題はもっと他の事柄にある。

ブリティッシュカウンシルより


英国関連美術展情報

2014年は、「プライベート・ユートピア ここだけの場所」をはじめ、英国の美術を紹介する展覧会が目白押し。ここではその一部をピックアップしてご紹介します。皆様もぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか?


テート美術館の至宝 ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢
【会期】 2014年1月25日(土)〜4月6日(日) 
【会場】
森アーツセンターギャラリー

ザ・ビューティフル ―  英国の唯美主義 1860-1900
【会期】 2014年1月30日(木)〜5月6日(火・祝)
【会場】
三菱一号館美術館

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英国の唯美主義展(ART FOR ART'S SAKE)
観に行ってきました。
アルバート・ムーアの<< 真夏 >>(1887年) 196.1×189.6cmは必見です。
Albert Moore Midsummer

V&A美術館所蔵作品中心にラッセル・コート美術館、テイト等から140点展示。


ルネサンス以前という意味では、絵画ではフラ・アンジェリコなどが挙げられる。
ラファエル前派はゴシック再評価を行ったのだが、ゴシック再評価という点ではややその意義は薄い。
どちらかといえば、ギリシア・ローマ以前のケルティックおよび北方の再評価に見えるし、そこに東方文化、ビザンツの美術再評価などがあると思われる。バーン・ジョーンズはどこかマザッチオの世界を踏襲しているし、マニエリスムの影響が強く、主題はギリシア・ローマを踏襲しているからどちらかといえば象徴主義なのだと思う。



物語近代哲学史〈2〉デカルトからカントまで
これから書きとどめることは個人的な覚書かつ疑問のひとつなのだが、誰かが似たようなことを感じているかもしれないし、どのようにバランスをとればいいか容易に答えがでない事でもあるために書き留めておくことにしたい。
そしてルチャーのアダム・スミスについてのコラムが秀逸だと思うためでもある。
以下抜粋。




「私は告白せざるをえないのだが、自分は利己主義だし、友人マリオよりも儲けたいと思っている。私は一生懸命がんばり、より以上に働き、より以上に儲ける。でもマリオも利己主義であって、彼は私が彼より金持ちになるのを観て、なんとかして私を越えようと努める。ところが、私たち二人の後ろには、私とマリオを一緒にした以上に利己主義のアントニオが控えている。(略)こうしてついには、欲せずして私たちは国民総生産(GNP)を高めることになる。利己主義だった私たちが、慈善家になったのだ。
しかしこういうすべてのことが生じたのも、連帯感をもつ人びとがいなかったからこそなのだ。後者がいたなら、私、マリオ、アントニオに対して、儲けすぎだと非難し、私たちの報酬を減ずるための一連の法律を考えだすことになるだろう。
そうなると社会保障制度、つまり最弱者の救済に備えた法規総体が発生する。

一国の富の原理は相反する二つの感情(利己主義(右翼)と連帯感(左翼)から生じるということである。最適条件に到達するのは、二つの感情がバランスをとることができ、相互に有利な地位を占めないようになるときであろう。
たとえば、共産主義は利己主義を忘れたからこそ失敗したのである。
(略)

投票用紙記入所もシャワー・ボックスみたいであるべきだろう。右手の蛇口には、利己主義、左手の蛇口には連帯感と書いておくべきだろう。私たちとしては、政治状況に応じて、二つの蛇口をひねり、適度のお湯が出てくるのを見守ることになる」

以上が、ルチャーによるアダム・スミスについてのコラムなのだが、興味深いし、さまざまな活動や原動を観ているときに、このコラムを思い出すことが多い。

過度の連帯感は結局は、全体のためにはならないのであって、過度の利己主義は不幸を生む。「適度さ」というのは意外と難しいことなのだが、すべての原動には必要なものだ。
「みんなで」というスローガンは、結局誰のためにもならないことが多いのだ...
我々が自分ができることをしたときの集合体は、結果として「全体の利益」に繋がるのであって逆の考えはロマン主義的、というか「皆のため」という感情の利己主義にすぎないのではないか。生産に従事する人が皆のことを考えていない、であるとか、慈善活動をしているから善の立場にいるということではなく、慈善とはもっと自然的な結果であってほしいものだと感じることが多い。


もちろんこの記事を書くにあたり、社会保障について否定的なことを主張したいのではない。右翼とか左翼ということについて特別主張したいことでもない。(この二つを簡単に他者にむけて発すること自体を好ましいと思っていない。加えて、この言葉で片付けられるほと単純な世界ではもうないのだし、二者択一的な世界観を肯定していくべきではない。)

しかしながら、生産や価値を生むことなしには社会保障は生まれないし、逆をいえばセーフティネットは現在の状態では脆弱すぎるとは思う。不安があれば人は活動できない。
ルチャーノ・デ クレシェンツォ
而立書房
2005-07

http://blog.blogmura.com/tment_tbe/9859/wcnslwc2tfh5

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さらに華道持ち帰り写真。最後の授業でフラワーアレンジをやったとのことで、みゆきさんから以前誕生プレゼントにいただいたジノリのベースに。
ガラスの雛は神戸のトアデコで見つけた作家さんのものです。

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家人の同級生がシェフオーナーをしているお店の前菜。おいしいです。

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玄関ホールのフレームをミケランジェロに。
最近は混雑しない展示しかいかない。
やはり痛みをきにしながらだと観賞できない。腰椎は立っても座っても大変です、あまり口にしませんけれど。

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こちらも能楽堂に付随した庭園。
事務所の近く、だがほとんど中にはいらないものの四季ごとにいく価値がある。

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・・・記事タイトルの曲がすんなりわかる..方はもう多数派ではないかもしれないのですが、ついつい。

Androidでコラージュができるということに気がつく、ものの,,,
スマートフォンを使う側はスマートにはならない気がします。あくまで雑感ですが、ユーザーのほとんどがゲーム、Twitter、動画などに費やしていてそれは別にいいのですが、おのずと受容者と製作者を再分割するシステムのような。スマートフォンでネットといってもサイトみながらhtmlを確認しながらみるようなことはなさそうであり、
html 使えるひとがユーザーのような環境が場としても適当だったのではないかと。


技術が高くなってもあまり変化がないのは、その方向性の大半が延長概念の推進?に留まっているからではないか。



カメラ・トーク
Flipper's Guitar
ポリスター
1993-09-01




方法序説 (角川ソフィア文庫)
デカルト
KADOKAWA / 角川学芸出版
2013-07-25






このPVが入っているVHS(!)まだ持っています。
最近CDのレンタルもなくなっているようですが、旧盤に接する機会がますます減りますね...

あまりオンデマンドだけになると無くなるもの(機会も含め)多くなりそうと思うのは杞憂でしょうか。


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フローラ。GUCCIカフェにて。お久しぶりに担当者さんとお話できおすすめのフローラモチーフのパンナコッタとハーブティをご馳走になりました。ほかにもイメージドルチェがあります。
新聞社での講習に出席した際に立ち寄りました。


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玄関ホール、お花やさんからポインセチアをいただいた時かな。

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能楽堂、地元有志の能が公開されていました。薪能もよくここであります。

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連合三田会のステージイベント。
千住あきらさん、まりこさん、ワグネルソサエティの合唱がよかったです。
震災の間伐材でつくられたキーホルダー、O賞でいただきました。

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みゆきさんからワインやチーズいただいたので自宅で調理、したとき!

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みなみさんからクリスマスカードいただきました。可愛い。飾ってます。

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えいこさんからお土産たくさん。
ギリシャのオリーブオイルもいただきました。

丁度暮れはほとんど外出できずあらゆるお返事やらお礼ができず、でした。

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娘が学校で華道があると花を持ち帰るのでいけます。ガーベラとぼけの組み合わせがよい。
秋に咲いたニュードーン。

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冬でもワイルドイブも咲きました。


秋口からいろいろあって、滞りお手紙やお葉書頂戴したりすみません&ありがとうございます。


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バンコク。ニュースではデモなど報じられているがはたしてどの程度なのか?
アテネにいったときも日本のニュースではデモを大々的に報じていたが、丁度激しいデモとして中継されたものも実際には二時間くらいシンタグマ広場で集会があっただけで、アテネじたいはいたってのんびりしていた。
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タイの国花、ゴールデンシャワー。

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これはオークラの高層階からですが本当に高層ビル街!しかもビルのデザインやフロアごとの広さや天井高が比較にならない。
タイは定休がないそうですが、日本ほど余裕のなさは感じない。疲れきったひとをあまりみかけません、活力があるんですよね。若いときにアジアの都市にいくことをおすすめしたい。たりないもの、すでにある価値などにははやく気づいたほうがよい、やすみがなく、日常外部をみないまま仕事をしなければならないのは本来会社側も損失だときづいたほうがよい、と思いますが。

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タイはチャオプラヤ川が大変印象にのこる。もしいく機会があればチャオプラヤ川沿いリバーサイドに滞在してみたい。
おそらくは時間の流れを特別なものにしてくれる。つまり、ヨーロッパならば広場近くぬ




アユタヤなどの写真は別の機会に。
バンコクのコカレストランはおいしいです!
近くだと上野にコカレストランがあります。タイスキのたれはバンコク本店から運ぶそうです。

もう一度いってみたいとおもいますがタイ国際航空はもうのらなくてもいい....。

しかしながら写真、特にデジタル化してからは整理がおぼつかない。
すぐに整理しないと建造物の名前を忘れてしまう、後程ちゃんと記載し直したいです。


APOLLON



ストラヴィンスキー
ジョージ・バランシンのアポロ
George Balanchine Apollo


ミリアム O ブラーム 
マチルド・フルステ
マチュー・ガニオ 



STARS AND STRIPES

これは懐かしい。発表会でやりました...衣装も作りました。
公演ではドロテ・ジルベールとマチアス・エイマンが踊りましたが本当に素晴らしかった。
あの公演は映像化すべきでした。





ロパートキナ

...たまに良いものを見ないと本来性を忘却していきそうです。
本来性を思い出させるものが「美」なのだなと改めて思いますね...

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