1DAY-25HOURS デザイン・フォー・ライフ

from ousia@web 高嶺(Takane)によるデザイン・フォー・ライフ. テキストと写真で綴ります.

June 2013


imageティージング・ジョージアは、6月末でも返り咲いています。


マリアージュ・フレールは夏のお茶の案内(Frence summer tea)が来ました。

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ドン=キホーテ [DVD]
ドン=キホーテ [DVD] [DVD]
アーティスト:ルグリ(マニュエル)
出演:ルグリ(マニュエル)
出版:TDKコア
(2003-02-26)
DVDで楽しむバレエの世界 「ラ・シルフィード」(パリ・オペラ座バレエ)
DVDで楽しむバレエの世界 「ラ・シルフィード」(パリ・オペラ座バレエ) [DVD]
出演:オーレリ・デュポン
出版:日本コロムビア
(2012-07-18)

オペラ座のドン・キホーテはやはり素晴らしいですね。
「眠り」 「バヤデール」もオペラ座版は素晴らしいです、ロイヤルの「眠り」はコジョカルが好きです、が・・・現在の世代交代にはまだついて行けていません。正直なところ、ヌレエフ世代をプティット・メールにして鍛錬してきた世代・・・ジルベールあたりがひとつの区切りのような気がしています。ルネサンス文化もですが、文化継承はことのほか難しく、最盛期とはひとつの終わりの輝きなのだから、同時に教授・技術と知、パッションのようなものが伝達できないと、途切れてしまう。・・・



6月のキーワード

1 バレエ Ballet
2 Art Forma アート・フォーマ
3 動物実験
  凰稀かなめ
4 マチルド・フルステ
5 怪我
  美弥るりか
  DVD 
  ソファ
  天寿光希
6 blog
  バラ
7 アナベルのドライフラワー
  マリアージュ・フレール
8 リッチー・エドワーズ
9 オペラ座
10 小笠原亮


キーフレーズ

1 天寿光希 怪我
2 アートフォーマ
3 アナベル
  リッチー・ジェイムズ・エドワーズ
  メラニー・ユレル
4 ミラー・バイフォールド
  舞羽美海
  植木豪
5 ラウレンツィアーナ ラウレンツィアーナ図書館
  堤康徳
6 望海風斗
  美弥るりか
7 七海ひろき 野々すみ花
8 カール・パケット
  チャコット 
9 ローマ フォルム
10 ヴェッキオ宮殿 メディチ・リッカルディ宮

百花繚乱の画家たち フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、ウッチェロ (NHKフィレンツェ・ルネサンス) [大型本]
出版:日本放送出版協会
(1991-06)



メラニー・ユレルは「ラ・シルフィード」のエフィが良いと思います、映画「オーロラ」にも出ていますがあまりバレエダンサーとしての見せ場はないのです。
マチルド・フルステーは好きなダンサーで、「オペラ座のすべて」にも出ていますが、スーパーバレエ・レッスン(ルグリ)のジゼル模範演技が素晴らしいです。春は時間的余裕(気持ちの上でも)がまったくなく、このところ舞台にも足を運べていません・・・、ビデオを観るのも、まだ辛い。13年以上続けていたバレエを中断しなくてはならないということはなかなかのダメージであります。

動物実験・・・
先ごろ、カネボウ化粧品が問題となりましたが、皮膚トラブル、かぶれなどは他のいわゆる「カウンセリング化粧品」全般に問題はあるように感じます。これらの商品にはまず製造した年月が載っていない・・・泡がたつ洗顔(シャンプーもだが)も・・・ラウレス硫酸問題がありますし、意外とサンプルを(アレルギー対策のために)もらいたいお客を「サンプルにたかる客」みたいに思っている所ですとか、店頭テスター含め、肌につけるものがいつ開封されてテスターになっているのか、ちょっと不安な感じがします。こうしたトラブルはあまりメディアにでないだけで相当あるのではないかと、一度これら「カウンセリング化粧品」群のチェックを検査して報告したほうがいいのでは、と感じます。それからやはり匂いが・・・家庭用洗剤のようなにおいの日焼けどめや、100円均一店内にただようような不自然な合成香料の匂いをつけていることは、匂いを強くしなくてはならない理由がある?などと感がえてしまいます。

こんなことを書いていますが、私はあまりメイクをしないので、いまはなき、B(ラッシュのメイク部門で舞浜等にあった)のライトなファンデーションもまあ使い切ってない状態です・・・・・・。

最近は大塚家具にも行っていませんが、まだアート・フォーマは取り扱っているのでしょうか?
このイギリスの家具はとてもよいと思います!
実は3.11の際に一部の照明が破損したので本当は大塚にも行きたいのですが・・・。
照明器具を考えている方、大塚の照明売り場はお勧めです。工事も対応してくれるはずです。
(別に回し者ではありません)


一つのものを長く使うのが好きです。長く使えないものはあまり買いたくないですし、高すぎるものも要りません。

ラウレンツィアーナ図書館はまた行きたい場所のひとつ、
ですが先日プロト・ルネサンスやパラッツォ・ヴェッキオの装飾についてちらりと調べてみたら、拙ブログ記事がいくつか出てくる始末で・・・した。サンタ・トリニタ教会も行くべきたった。
今?フィレンツェを舞台にしたドラマをやってますが(内容はともかく)ぜひ、ヴェッキオ宮とパラティーナは行くとよいと思います。

検索キーワードと、それに多少まつわるコメントを少々。

パドヴァのマルシリオ。(マルシリオ・フィチーノとは異なるが、彼の考えもまた興味深い。私は中世政治思想をもし学ぶときは彼の考えを中心に学びたいと思ったことがあるし、今もまた変わらない。)

ダンテに少々触れたので、今少しルチャーの本から引用したい。

「マルシーリオは1275年パドヴァに生まれた。そして子供のころからアヴェロエスの熱心なファンだった。アヴェロエス主義者として彼は霊魂の不滅を信じなかったし、したがって同時代人ダンテ・アリギエーリには悪いが、天国も煉獄も地獄も信じはしなかった。『新曲』はマルシーリオにとっては一篇の詩作品にすぎなかった。むしろ彼はダンテをノン・ポリと判断していたのであり、これも間違ってはいなかった。なにしろ、この詩聖は政治に関してはグエルフィ(法王)党白派に属していながら、いつも好き勝手を働いていたからである。略。

マルシリオを読めば読むほど、私は法廷のモットー、「法は万人に平等なり」の創始者が彼だったのではないか、と信じさせられるのだ。・・・・」


ところで、普通選挙が現在の形になるまでには多大な道のりがあったわけだが、今年の春にある小売り(大手企業)の現場にいったときに、そこにいた十数名の人たちが「今まで選挙なんて一度もいったことがない」と言っていたので正直驚いてしまった。一度も・・・?税を納めるだけでその再分配や税率を決めることに対して、ほとんど唯一の権利である(がゆえに、効果に期待できず投票にいかない、ということとはまた別のようだ)のに、まるで関心がないというのだから(20代から50代にわたる)・・・税の再分配に無関心(ですまされるのだろうか)というのは、もはやこれまで・・・大多数のノンポリ(これは別にそれほど問題はないとしても)の無投票、他方で組織票の思考停止状態、これで適正な社会を形成できるわけがない。

私は時々、現代に居ると認識していながらも、まるで至福千年の辺りに心性は退行しはじめているのではないかという心持になる。この諦観の雲の厚さは。

それから「あえて棄権」という意見も、振る舞いとしてみたときには、投票に行かなかったという事実にカウントされるのだから、あまり意味があるとは思えない。主観の強さが主張になるわけではないのだが。

・・・・投票とその制度をみていると、どの程度、自国の民に賢明であってもらいたいかという意図がみえてこないだろうか。つまりあまり、考えたり、判断できたりする人間が国民であってほしくないのかもしれない。だがそれを助長したところで、結局はその人のためにも、共同体にとても、国にとっても良い結果には至らないのに?


ちなみにこのような記事を書いているのは、何か特定の選挙結果などに反応しているわけではなく、むしろ期待値も改善していく余地もほとんど見いだせないという、心境による。

人々には失望はしない、むしろ個々人とのかかわり、対話、交流だけが、最後に残る価値のように思うのだが、ほとんどの人々は、それすらも自ら切り捨てていくように思われる。奇妙な空虚さの充満。対話の時間と場の消失。これらも意図的なのかもしれない。前提を問うべきである。
人にNo,が付与されたときから、人間性の消失は始まっている。


近況:イングリッシュ・ローズとオールド・ローズは2度目、3度目の返り咲きをしています。珍しい状況。
軽い風邪気味。小康状態です。計画より作業が遅れがちで焦りますが・・・


王国と栄光 オイコノミアと統治の神学的系譜学のために王国と栄光 オイコノミアと統治の神学的系譜学のために [単行本]
著者:ジョルジョ・アガンベン
出版:青土社
(2010-02-23)


社会問題やソーシャルワーキング的な立場の方が、フィロソフィアの意味がまったくわからない(という時なぜか、わかりたくないし無関係というニュアンスが笑顔とともに答えられる場合が多い)と聞くけれども、何かの事柄を具体的に扱い問題解決を求める際に、問題把握と、方法、あるいは制度、人の在り方などを考える際にだってフィロソフィアは役立つ、といえると思う。こうしたことを学ぶとしてもお金にならない(価値がないと言いたいのだろうか)という意見も多くあるが、すくなくとも!学ぶことで、大きな損はしない、騙されることは少ない、しらないうちに絶対的な支配を受けるようなことがない、そういった選択ができる、と感じるのだが。そうはいっても、嘘をつくことにあまり罪悪感を抱かない国民性なのか、誠実に嘘を突き通す、という場合は・・・もう怒る気力もなくひたすら残念だと感じる。残念や諦観は厚い雲のように、それこそ全体に覆いかかっているように感じる。



宗教と権力の政治―「哲学と政治」講義2 (講談社学術文庫)宗教と権力の政治―「哲学と政治」講義2 (講談社学術文庫) [文庫]
著者:佐々木 毅
出版:講談社
(2012-11-13)



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写真は自宅,浅野さんの絵画を移動して模様替えした際に。





中世思想原典集成 (3)
中世思想原典集成 (3) [単行本]
著者:上智大学中世思想研究所
出版:平凡社
(1994-08)


天使が通る (新潮文庫) [文庫]

著者:浅田 彰
出版:新潮社
(1992-05)

仕事場の書籍整理をしており、一冊の本を見つけた。
(家族の持ち物、要するに書庫整理を続行中)
対談の相手が島田雅彦氏。話題はダンテから始まる。最初は、サブカルチャー研究をしている某氏が一読すれば参考になるのでは?と思い読み始めた次第。
まえがきには浅田氏によって「ぎこちない沈黙」について書かれている文がある。

「それまで弾んでいた話がふと途切れたとき、An angel passesといいます。天使が通るーーー古代人ならヘルメスが、現代人ならシラケ鳥が、というところでしょう。・・・」こんな感じでニューヨークへの手紙、対談・・とまとめられている。

あまり詳しくないこと(これは当事者らが言っているのでそのまま使わせて頂く)をテーマに、ある種フィーリングトーク的に進められていく話題は、飛行機移動などにはいいかもしれない。煉獄概念などは、あまり詳しくない人には面白いだろうし(煉獄の概念ができた後に、私がかつて考察した上昇の領域での中間地点・中間者が想定されていくのだが、ピコ・デッラ・ミランドラや天上位階論等参照。NCISでスコットランド人医師が心臓発作で倒れた際、どこにいるのかと病院治療室で聞かれた際に「煉獄」と答えていたが・・・ところでピコは唯一、サヴォナローラの神権政治の時、人間として煉獄行きに分類された。当世の人がどのように創造していたかは、フラ・アンジェリコの絵画が詳しいが、あまり元気のない時に観る事はおすすめできない・・。)

さて、どうしてもひっかかってしまったのは、レヴィナスの全体性についての解釈である。全体性の解釈が、どこか、全体像というか単に世界に対するパースペクティヴのように解釈されてしまっているような気がした。
全体性の問題は、実の所ほとんど油断ならない。そして現在もまた危機は近づいている、寧ろ近づけてしまう余地が生まれている。・・・しかも、どちらかといえば、読者の多い彼らの解釈がやや異なる(ように思える)ことにさらに危機を感じた、ので書き留めておく次第。

レヴィナスは、齋藤先生の授業で学んだ。レジュメを作り発表を行った。レヴィナスが言いたいこと、伝えようとすることは、読む側が進んでそちら側に行かねばならない。これはテキストを読むうえで重要な事だと感じるのだが、近づけないテキストに日々向かい合いテキストを読む、ということの礎を得た経験がある。
今年の慶應義塾大学文学部公開講座は、齋藤先生の講演。絶対聞きたい、と思っているのだが、自分もこの日は違う校舎で発表がある。少しでも聞くことができればというジレンマ。

7月に多くのことがあるため、なるべく順番に作業を終えたいと思っているのですが、実際にはなかなか・・・しかし頑張ります。ただ以前よりも、ここからは無理、かもしれない・・というブレーキまでの判断が難しい。先週受診した皮膚のトラブルはまだ治ってません、がもう一度受診しにいくのも・・・。

今週も、多くのことがありました。実際には、blog上では書けないことのほうが多いのです。

天使という概念については、また後日に。以前書いた、原型としてのホルス等とはまた別の形で。(この存在を信じているかどうかは別で、ある状態のことをこれらの概念を作った時代ではシンボルとして想定していたのである。)


涜神涜神 [単行本]
著者:ジョルジョ・アガンベン
出版:月曜社
(2005-09)
天使の記号学 (双書・現代の哲学)天使の記号学 (双書・現代の哲学) [単行本]
著者:山内 志朗
出版:岩波書店
(2001-02-07)

全体性と無限 (上) (岩波文庫)全体性と無限 (上) (岩波文庫) [文庫]
著者:レヴィナス
出版:岩波書店
(2005-11-16)



まだウォーターハウス展、否、漱石展も行けていません。日によって痛みが強くでるときがあり、またここのところ単純な休息不足で仕事or片付けの日々。
作文もリハビリが必要だと感じる次第、そしてスマートフォンからブログ更新というのは、無理な所業だと実感した次第です。そもそもスマートさを実感できない・・・のですが・・・

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ギリシアの写真をいくつか。
地中海圏の春は、まさに生成の美、コスモスを感じる。



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私の記憶では、シュリーマンの邸宅(コイン博物館となっている)の庭にいたわんこ。


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おやつをあげます。マイペースな食べっぷり。

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ねこさんもいます。デルフィでは猫にたくさん会いました。
もちろん、アクロポリス辺りを朝散歩してもたくさんいますし、オープンエアのレストランなどでも見かけます。

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アクロポリスに行く途中。このフェンスの奥の敷地はまるごと遺跡。


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ギリシアの道は、石畳もあるけれどそこまで足は疲れません。


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プラカ・ホテルのきゅうり水。暑い季節にこれから、日常的なドリンクとして応用するのもいいかもしれません。宿泊客は、朝食以外の時間帯、15:00-17:00位?はコーヒーとビスケット類がフリーです。散策して一休みしてまた散策、調査というパターンの滞在にはいうことなしです。

・・・現実逃避ではないが、かつての記録との間を、いったり来たり。
やるべきことを強く認識しているがゆえに、です。

]

「哲学には、恐ろしい言葉、すべての高校生をおののかせる言葉、”存在論”がある。もちろん、存在論も元はといえば、ギリシア語の「存在の」と「研究」に由来する。したがって”存在論”とは「存在(有)の研究」ということになる。

(中略)

アオスタの聖アンセルムスは中世存在論のもっとも偉大な宣伝者とみなされえようし、今は要点に触れることにしよう。」

ここでパルメニデスの有の説明が、紀元5世紀のアテナイの様子、すなわちゼノン、ソクラテスが登場して「有(一)」についての話が語られる。

アンセルムスは(中世においては、哲学的思弁、懐疑がいかに信仰と共存可能かが問題だった)「信じるために理解する(Intelligo ut Credam)」と書き、その後はこれを改めている。。・・・1083年に没したガウニロは、「推論だけでは神の存在は証明されないだろう。信仰だけがそれが可能であり、しかも信仰は推論しないのである」

その後、英国のブラッドリは「すべて可能なものは存在する」と言及する。

さて、「真理探究」には推論は必要である。そして懐疑も、そして信仰にとってはそれらは不要であるだろう。

可能なものとは、可能態を指すとすれば、可能態は現実態に成り得るというのがよいのではないだろうか。または、すべて可能なものは、有として、つまり「ある」ものなのだ・・・ということなのだろうか?

アンセルムスをめぐってはドメニコ会、ボナヴェントゥラ、デカルト、スピノザ、ライプニッツ、ヒューム、ロック、カントらが(実に何年命題を提供したのだろうか)がそれぞれに応答した。

私としては、ガウニロの立場から推論について賛同する、しかしまたブラッドリがいうことの多くも理解できるように思う。可能と思われるものは、まだ実際に「実在」」していなくても、存在しないものではない、あるいは現実態は、時間、空間等ではその存在は不確実である。しかし、可能態がある場合は、有は在るもので、無にはならない。

有、在ることの価値と、無の価値基準は相違しているのでここではふれない。


一遍の読書と思索の試みを、日常的に行う。そして、存在と本質とは?すこし学んだからといってそれが、明確に語るのは難しい。また日常言語とのギャップもある。

・・・と、『物語中世哲学史』の感想とともに。

実のところ、公的機関紙用のファイル作成や手続き、web関係の契約関連、広告代理店とのやりとり等で夜、気分転換に読み返しているのです。(近況)

頭を切り替えないと、異なる内容の執筆やファイルづくりを仕上げられませんので、同時進行で頑張ります。


それにしても、高校で存在論を扱う(当然試験もある・ルチャーは数学を重視するほうの高校へ進学した。また哲学は文系に限定される学科ではもちろんない。彼のテキストはエピソードの豊富さが魅力なのだが、その理由は本来、一人の人間がどのように生き、歴史状況のもとで、どのような人々と関わり(庇護・敵対・交流・師匠・弟子)があったか、それを加えたら、何が言いたかったのか、具体例が彼らの横顔とともに浮かび上がってくるようで、それがこの書籍群の魅力。イタリアではどのように、哲学史、とくに初級内容が教えられているのだろうか?期待してしまうのだが・・・

同様に、『聖書の起源』(山形孝夫氏)もまた読んでいました。
聖書の起源 (講談社現代新書 448)
聖書の起源 (講談社現代新書 448) [新書]


物語 中世哲学史―アウグスティヌスからオッカムまで [単行本




最後に日常的な疑問、2つのうちから1つ。
現代の学校・・・職業選択の後回し・・・進学・・・・(就職/どのように生きるかまで含まれるのだが、先延ばしにせざるをえない進路選択状況や、青年期における自立意識と実際の自立(要するに就業)までの時間的年数期間は、数十年前より5年伸びているという社会的な問題。・・・不安がつきまとい、本当は頑張りたいと思っていることは解ってはいるものの、漠然とした不安や時期による不平等など、かつての世代が「経験的に」アドバイスするには説得力がない...


where we go?

人間の本質的に、憧れそれを求めようとすれば成長しそれに近づくことはできる。
問題は、そうした人々が「活きる」「活かす」ことができなくなっているのではないか。
加えて、例えばそれを職業にすることができないとしても、生活の中で、活かすこともできないほど時間は「削られていく」のではないか。

私は時々思うのだが、誰もが可能なリラックス・気分転換としての「観劇、アロマテラピー、音楽鑑賞、スポーツ・・」などができないほど、実際の生活では時間がない・・・のではないか・・・
話がずれてしまったが、この後に書いていたテキストが消えてしまいました。
一時保存されていたものの、消えたあとは思い出せないので、それはまた思い出したときに。
(私もまた、単なる「思い」が「思案」になることもある、と感じている。)

話を戻すと、思想史の興味深いところは、事象は思想の浸透から顕在化する。制度、法、人々の行い、価値判断などは、思想・思考による変化、定着したときに少しずつ目にみえる形で変わっていく(あるいは変わらない)。

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クルマの下にも(笑 「あつい・・・」

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ちょっとこっぽらさんに似ていると思いました、コッポラより大きいし、このワンコはオスでしょうけれども。

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世界遺産で寝ています。
この雰囲気はギリシアなどにも通じるかな・・・ただしここではおやつをあげたりはしません



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アユタヤ(実際の発音はアユティヤに聞こえる)はのんびりとした緑多いよい場所です。
夏休みになった小学生はおてつだいで、ポストカードを売ってます。

アユタヤにいくのは日本人が多いそう。
中国ツーリストはむしろ、パタヤなどにいくそうです。
国によって求めるタイ像は違うのでしょう、日本人観光客とフランス人観光客はちょっと共通点があるような・・・


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ねこさんも見かけます。
ギリシアだと、いぬには寛大、なぜかねこはおっぱらうという光景を目にしますが、どちらもタイはなかったような。
ただし都市にはいぬねこは見かけません。
そういった意味では、ギリシアのいぬたち、奈良の鹿たちは素晴らしいね。。


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東洋史でもアユタヤの歴史は学ぶ、それらの記述は7行くらいだが、実際に足を運ぶと出来事と残されたものたちと我々との時間が出会う感じがする。
アユタヤが王朝を開いていたのは1350年から1767年とされている。1767年に滅亡
バンコクに首都をおき、現代まで続いているバンコク朝が始まる。
国立の博物館などをみると、工芸と芸術の違いは何か、はたしてかつて大文字のルネサンスのように、職人たちが自らの地位を確固たるものにしていったような、そうした時代がこれから到来するのか、またはそうならず、高い技術が保存されていくのか、関心が起きた。
そして、古典様式の建築の近現代におけるエッセンスは、、この国の国家的な建造物に注がれているということも興味深い。奥が深いです。素朴な疑問も多いです。
そして言えるのは、日本の猛暑よりも、タイや東南アジアのほうが暑期でも過ごしやすいということは確か....

いぬたちはのんびりできている(少なくとも、ローマのコロッセオで昼寝しているねこたちのように)
活力のレベルでも、どこかヴァイタリティの違いが圧倒的に違う、日本は斜陽なのだ・・・、多くの世代が活力を失うかもてあましているのは、何か根本的に欠落しているものが日常にあるからではないか、と感じる。

それから、菩提樹に持ち上げられた仏頭、これは写真だとものすごく大きなものに感じるのですが(TDLのJCの影響か?)、びっくりするくらい小さいです・・・!大きさの問題以前に、あまり意味がない・・。息づいている小乗仏教を感じたり、ほかの寺院建築をみるほうが良いですし、その他にも多くの建造物があります。

ここよりも観るべきところは沢山あります。そう、わざわざピサ(専門研究している人以外)に半日かけていくよりは、フィレンツェを歩き、観るべきものを沢山みたほうがいい、というくらいの、ショートカットスポットだと個人的には思います。

庭掃除で虫にさされ熱がでており、(処方された薬がきかない・・・)散漫な内容ですが写真中心にUPします。
(そしてスマートフォンが大変に使いづらい・・・ショートメールすら送信できているのか、怪しい・・・)


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日伊協会よりお知らせを頂いたときから期待していたラファエロ展。否、換言するならば、ラファエロの絵画がパラッツォ・ピッティから日本に来る、遭いにいかなければ、という心境に近かった。
パラティーナ絵画館は、建築(つまり展示される部屋も)もボーボリ庭園もすばらしいので、おそらく2日かけても見どころすべてを観ることはできないし、かといって駆け足で急いでみるのも相応ではない、というか勿体無い場所。
日本からフィレンツェにいくにはやはり容易とはいえず、すでに真近に観ている作品とはいえ、足を運ばないですますには勿体無い、・・・むしろ、日本で観た<大公の聖母>にもう一度フィレンツェで逢えることを今後の生きがいにしたい、そんな感慨のもと会場に向かいました。
GW開けの週ならば、空いているのではないか?と予想し5月第2週平日に行きましたが、正解でした。
混雑で絵画がまったく見られないというような感想も拝見していましたが、混雑なく、静かな展示室でゆっくりと作品に対峙することができました。
<大公の聖母>を展示室の暗く、ディスプレイ用の照明のなかで観たとき、感嘆してしまった。
フィレンツエでは、明るい展示室で、自然光のもとに作品をみることが普通である。それがディスプレイ用の空間に浮かび上がるということは、ますます、長旅で日本まで運ばれ、展示されてここに在るのだという印象を強めた。人だかりもなく、作品に対峙することができた。嘆息していてはいけないと思うのだが、しばし嘆息してしまうものもる。しばらくして、ルネサンス期に背景が黒いことはありえず、反動宗教改革?の折にか、バロック的に背景を塗り、コントラストを強められたものなのかもしれない・・・・と漠然と思い始めた。そのあたりは展示の説明、図録にも解説があるので参照されたい。

この展示では、ラファエロ生前は、、彼がどのように周囲の画家たちから影響をうけていったかが、わかるように(無言のうちに)されている。すくなくとも私にはそう感じられた。ウルヴィーノからフィレンツェに至る彼の作品は、いくつもの変化が観られる。レオナルドの影響、ミケランジェロとも交流があった等も重要な影響かもしれないが、ラファエロ・サンツィオの絵画の静謐な要素、それは、サン・マルコ修道院(現美術館)の修道士たちによる筆のものが、深くかかわっていると思われた。フラ・バウトロメオの作品は大公の聖母との共通点が見受けられる。ラファエロはおそらく、フィレンツェに来たあと、我々が今日するように、膨大で技術的にも表現でも高度な、作品たちを目の当たりにしただろう。

さて、宮廷画家であった父・ジョヴァンニの作品<死せるキリストと天使たち>も貴重な展示だった。また、黄・ウルトラマリン・緋の三つの色を配した<父なる神、聖母マリア>も貴重な作品だと思う。レオナルドが用いた構図、色彩の調和などの例として分かりやすい。前者は、ウルビーノから、後者はナポリ・カポディモンテ美術館からの出品であって、他にもブタペスト、ヴァチカン、などから集められているので、一同に会すること自体が貴重だと思う。

マルカント・ライモンディのアポロ、キリスト教世界とギリシア・ローマ文化がどのように、いつごろから、なぜ同時に主題となりえたのか、それは私が研究したテーマでもあるのだが、あらゆる文化、社会的な動きには支えとなっている思想がある。その影響は意外と大きなものだ。

ベルナルド枢機卿の肖像画もまた、観ることができて良かった作品である。こちらも、ピッティ宮・パラティナ美術館からの出品なのだが、この作品は現地でみた記憶がなかった。ラファエロは、絵画要素では静物にあたる部分、衣服の記事、宝玉、細工された宝飾品などの描き分けが上手かった、それがローマでの仕事に繋がる一番の理由だったといわれる。レオ10世(つまりロレンツォ・イル・マニフィコの息子)の肖像画はウフィツィ美術館にあるのだが、今回来日した枢機卿の肖像画もおおいに見どころがあった。

後継者たちのセクションでは、ジローラモ・デッラ・ロッビアの作品が、フィレンツェでのルカ・デッラ・ロッビアを思い起こさせた。ルカの作品は、バルジェッロ博物館のドナテッロの間で観ることができる。今回は、フィレンツェ国立図書館から作品が来ている。

おそらく、日本でのルネサンスに対する興味が大きいことと、優れた研究者の先生が多いためか、今年はミケランジェロ・ブォナローティの展示も企画されている。こちらは、カーサ・ブォナローティから浮彫などが出品される。ミケランエロの作品は、・・・彼の作品とプロト・ルネサンス時代の作品は、建築と一体化し空間としているために現地に足を運ぶしかない!しかしそれだけの価値はもちろんある。ほとんどの作品は足を運ばねばならない。カーサ・ブォナローティにいくと、人間は何よりも「成長できる」ということを強く感じる。
願わくば、再度、確かめなければならないような問題のために、彼らの作品と生そのものに再会できることを願う。
生そのもの・・・肉体は死しても作品はのこり、見たものとの間に思いは再生する。

もし再度赴くことができなくても、彼らの作品に対峙することは、幸福、つまりこれ以上はない、という感慨を経験するものだ。

最後に、図録の印刷は上質。解説も詳細にわたっている。簡易版の図録もありますが、取り寄せを考えている場合は通常版の図録をお勧めします。



三巨匠 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエッロ (NHK フィレンツェ・ルネサンス) [大型本]

それにしても、なぜレオナルドには「天才」というキャッチフレーズが付くのだろう?
それに対して、ミケランジェロには「神のごとき」という言葉が生前から付されていたのだが、これはあまり日本では聞かない。おそらく、作品を観るには、本気でそのためにイタリアへいく必要があるからなのだが、いうまでもなく、その価値は十分にある。
私は時々思うのだが、彫刻や建築を観るためには、少なくとも3次元における認識が必要なのではないかということ。つまり、二次元の世界を好むということ、二次元の世界により親近感を抱くということは、実のところ、3次元にいることの認識に至っていないか、あえて留まっているということなのではないだろうか。・・・時間の概念と認識が鮮明になったとき、おそらく大文字のルネサンスもまた、3次元を強く認識したのではないか、・・・フィレンツェのバルジェッロ博物館や、マザッチオのサンタ・マリア・ノヴェッラのフレスコを観るとき、それを感じる。
そしてそこには、アダムの死として、死を忘れるなの警句が、まさに三次元の画面で描かれているのである。

願わくば、アレッサンドロやリッピの絵画も展示会を・・・という希望も書き添えておきたいと思います。




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Snapfishのクローズが大変手痛いです。もともと整理することがままならないため、ストレージにしていただけに、クローズに伴うデータDLも半分もできませんでした。写真は焼いてしまえば、アルバムに保存して残りますが、やはりデータは失われるのも簡単、安易にデータを信じられない世代です。デジカメの容量も大きすぎます・・・、一つのデータが大きくなれば保管するのも多くなる、通信される量も増える。しかしそれを情報化社会といえるのでしょうか・・・。
ただし物的インフラが整備されていない地域ですと、IT化はもっとも手軽に資金も少数で中央アクセスと情報入手が可能のようです。むしろアジアにいくとIT化を感じます。
都市部では本来は、ソフト(要するに人、生き物)のコミュニティ化(疑似ではなく実際の)が必要になっていると思うのです・・・。それが煩わしいからあくまでヴァーチャルなコミュニティ(WEB SNS)になっていくのでしょうか? それはどこか退行を感じるのですが・・・

雨ふりなので暑気のタイ(アユタヤほか)の写真を。
タイだともしも飼えなくなった動物(猫、いぬ)は寺院につれていき、そこで世話されるそうです。それが最良とはいえなくても、もののように捨てられ殺処分されるような日本は早く変わっていってほしいです。

人も生き物も、「居場所」があるかないか、・・・ひょっとしてスマートフォンによって、われわれは自分の居場所を自ら「手のひら」に限定してしまうのかもしれない、・・・何をするにも画面の中しか見ていない・関心なさそうなところを見るとそんな気持ちになってしまう。
または、日本では皆一緒であることを求められるゆえに「ひとりになるために」携帯電話とスマートフォンが必要になったのだろうか? 目の前にいる人とコミュニケイションしないで済むために? それだけ「建前」が必要なのだろうか?

 実際にコミュニケイションしないために普及しているツールになるのはどうかと思うのですが・・・・

紫陽花が綺麗です。片付け時にできたアレルギー、まだ薬が効きません。集中しなくてはならないのですけれど。


ブリティッシュカウンシルより、お知らせが来ましたので拙Blogにも掲載します。
三陸復興国立公園指定記念「種差 ―よみがえれ 浜の記憶」
image: 2013年3月、種差海岸を歩くリチャード・ロング(提供:青森県立美術館)

TANESASHI|Remembrance of the Shore

2013年5月、「三陸復興国立公園」に指定された青森県八戸市の種差海岸。この地にゆかりのある芸術家の名品の展示のほか、英国を代表するアーティスト、リチャード・ロングが参加し、種差の文化を次世代へとつなげる現代アートの形を探ります。
ロングは、約50年間にわたり世界中の山や草原、海岸を歩き、そこに残したわずかな痕跡を作品としてきました。本展では、彼が2013年3月28日〜4月3日にかけて種差海岸を歩いた体験にもとづく新作を美術館に設置。世界的なランドスケープアーティストが種差の自然と向き合って作りあげる記念碑的な作品を展示します。

【会期】 2013年7月6日(土) - 2013年9月1日(日) 
【休館日】 2013年7月29日(月)
【会場】 青森県立美術館
【お問い合わせ】 種差展実行委員会(青森県立美術館内) Tel 017-783-3000 (代表)

三陸復興国立公園指定記念「種差 ―よみがえれ 浜の記憶」公式ページ
http://www.aomori-museum.jp/ja/event/45/


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「芸術」とは何か・・・?

この問いは、私が取り組んでいた「美」とは何か?すなわち「饗宴」(シンポシオン)における美の概念から、「神名論」での美の定義等につながるテーマです。何をもって芸術と呼ぶのか、例えば何かを表わせば、「芸術」なのか、または「美術」との違いはあるか、「アート」とは何か・・・それらのためにも、おそらく「芸術」にもまた、ある程度の「定義」は原則必要になるのだと思っている。つまり、「意味」のないものを、「意味ありげ」に見せることは芸術とは言えない。では何をもって「芸術」と言えるのか、それは「芸術」らしさを装ったり、宣言すればいいものかといえば、多くの人はそうではないと感じているはず。

それは、「であったときに、それ以前に忘却していたものごと、記憶、感情を、想起させるもの」ではないだろうか。・・・と私は考えている。そう、つまり・・・、それらに出会うことで、甦らなければならない。

我々の死は必然だが、それらはもし忘却されれば、二度死ぬだけだが、もしも記憶され、再び人々の中に思い起こされれば・・・再び生命を得る。
作品とは、文字であれ、音であれ、形であれ、生命の間をつなぐものであって、それらを断つものではないと私は思っている。

そんな思いとともに掲載させて頂きます。



■□■戦争社会学研究会・例会(関東)■□■

開催日時:7月7日(日)・14時〜
開催場所:慶應義塾大学三田キャンパス・大学院棟1階313教室

例会テーマ:戦争社会学と<調査>

報告者:木村豊(慶應義塾大学大学院)・深谷直弘(法政大学大学院)
司会:塚田修一(東京都市大学非常勤講師)
討論者:好井裕明(日本大学)、柳原伸洋(東海大学)

例会趣旨:
 戦争を社会学的に研究する際のアプローチの多様さとその可能性の
豊かさに関しては、『戦争社会学ブックガイド』(創元社・2012)
およびこれまでの大会においても模索・議論されてきた。
 それらをゆるやかに踏襲しつつ、本例会においては、戦争社会学と
<調査>を再考したい。とは言っても、調査の方法論や精緻さを
あれこれ議論するのではなく、もっとパフォーマティヴに<調査>に
ついて考え、戦争社会学の可能性を引き出してみたいと考えている。
今回は、先頃上梓された『被爆者調査を読む』(慶應義塾大学出版会・
2013)に寄稿していらっしゃる木村豊氏と深谷直弘氏をお招きする。
木村氏は東京大空襲を、深谷氏は長崎をフィールドに、主にインタ
ビュー調査によるお仕事を積み重ねてこられた。だが、同書の中で、
お二人はそれらとは質の異なる調査資料に出会われ、また異なる調査
記述をなさっている。そこでは、いかなる可能性(あるいは不可能性)
を感じられたのか、語っていただく。
 討論者として、日本の社会学における質的調査をリードしてこら
れた好井裕明氏と、実証的な歴史学からサブカルチャーに至るまで
幅広い領域で研究をなさっている柳原伸洋氏をお迎えする。


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以上、オーラルヒストリー学会からのお知らせより。
7月は参加したい講演がいくつかあります。
上記の報告会、7月3日に行われる石崎氏(青山学院大学名誉教授)の講演
(前回のエマニュエル・トッドの回は行くことができず後悔しました。石崎氏はブルデューも翻訳されています)

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ncisの魅力はおそらく、チームの人間交流であって事件性ではないと思う次第。 そしてアビゲイルのゴシックファッションでラボで分析するというある意味フアンタジーな部分も魅力。 アメリカでは十年連続視聴率一位といわれても納得できる。 しかし人気あるゆえに、イスラームやテロリストというステレオタイプもエピソード内には見受けられ、その点は支持できない。 面白いゆえに、気になります。 吹き替えでは途中まで井上さんだとわか らなかった。これは巧妙にキブスの役づくりされているんだと。しかし最近はよく注意するとアッテンボローの6年後という風情があります。 字幕では会話が楽しめるし、吹き替えは家事雑用、筋トレなどのときによいのです。 但し、お食事時にはおすすめできません!ドクターハウスは、更に無理ですが。







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輸入住宅、ばら園芸・・・でガーデングッズの参考になるものといえば、ディノスのガーデンスタイルですが(以前、みなみさんと話して意見が一致)いいなあ、と思うものは値段もやはり高い。ガーデンアルミ鋳物のベンチは引っ越しした時に選んだものの、、テーブルセットなどは先送りにすること早数年・・・・。
しかしついに、テーブルとチェアを買いました。地元のホームセンターで(笑)現品だったのでかなりお得に、です。
多分、デニーズで一般家庭が食事するよりお値段お安め。>デニーズにはいきませんが・・・。
大変個人的なことですが、延々買う買わないを繰り返したアイテムだったので、記念に日記にも書いておきます。
ニュー・ドーン(ばら)をいけているのは、かなり昔に、みゆきさんが誕生日プレゼントでくれたリキュールのボトル。
屋外の花瓶として使いたいと思います。みなさまから頂いたものは大切に使っていますよ。
プリマヴェーラのトレイは、たしか蓼科バラクラの雑貨コーナーでみつけたもの、これももう10年くらい前から使っています。

これで天気がよいときや庭の労働のあとなどに座るところができ、澁澤さんみたいに庭に滞在することができます。(なぜか常に澁澤龍彦的な例を思い出してしまう)


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にこさん。
にこさんと、コッポラさんは6月に亡くなったのです・・・
コッポラさんは6月15日が誕生日でした。17歳と19歳半。いぬたちと常に暮らしてきた生活・・・
私と同じ年に生まれた信州芝の女の子犬は私が13歳の時になくなりました。
今年はくろちゃんもやはり19歳でなくなり。
いま実家にはちょこちゃんだけです、もう8歳。
人権も十分とはいえない社会だからいぬたちの問題は・・・・(本来求人条件に年齢性別を掲載すること自体が差別なのだ、しかもこどもがいる場合は何歳以上など、ほとんど人間の生活と経験を考慮しない条件が増えている、が社会学などでもそれほど問題にしてないのではないだろうか?もはや「再生産」ですら持続できない状態になっている・・・のではないだろうか?悲観的になりたくないが、無条件に楽観的になれるほど、鈍感でいられるわけではない。)



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野菜料理は欠かせませんが、これは行事のお弁当の時に作ったしらあえ。
青菜の煮びたしや、ごまあえ、白和えなどはよくつくります。
野菜はパルシステムのものが美味しく鮮度がよいですが、最近地元にも直売センターができたようです。
世界史を勉強すると、本来は食糧を生産できる肥沃な土地は重視されました、資源重視で戦争がおきているのはむしろごくちかい近現代です・・・
農業ができる地域、それを売る地域、運ぶことで中継点として発展する都市、・・・都市(交換機能)と田園という構図が完全に失われる前に、生活スタイルを見直さなければならないと感じるのですが・・・。
失ったものを取り戻すのは時間も労力も費用もかかり、ともすると二度と手に入らない。

ニュードーンは美しいばらです。その名前の通りの輝きがあります。
やや疲れているからか、自動筆記的な日記・モノローグになってしまいましたが、雑感を書き留めておいてもよいでしょう。

三田評論(定期購読/維持会)の6月号「テレビ60年とこれから」が興味深かった。
また三田評論は書籍紹介の欄が、著者の先生が書かれているのでそれも毎回興味深いです。


写真は5月始めから5月末ごろに撮ったものですが、ニュードーンはまだ繰り返し花を咲かせています。

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今年のピェール・ド・ロンサールはピンク部分が強くでています。
6月現在、ワイルド・イブやはまなす、スヴニールも引き続き咲いています。つまり返り咲くのがとてもお速い、のです。もちろん、はながらもまめに切りましたし、ブラインド処理もまめにしていました。でも早い!
梅雨の時期なのに雨はなく、湿度もないためバラにとっては良好な天候なのでしょうか。
スヴニール〜、は雨に弱いので、むしろ春先より今のほうが、より一層、輝くようなうすいピンクできれいに咲いています。ミニバラなども咲いてきました。

長年腰椎狭搾症がつづいたので、手術した昨年も当然大掃除できておらず、現在の状況は、とにかくすきあらば片付け状態です。自宅と仕事場両方!
やっと屈む姿勢が少しできるようになってますが、あまり頑張りすぎると、やはり痛い・・

高い場所の片付けや剪定、以前のようにやろうとすると、思うように体が動かない!
筋トレしてます。術前の痛みとは別で、いまはモーラスは必要なく。
術部分の筋肉かなとは思います。
(手術で骨をけずるために、筋肉を骨からはがすのです。私は二か所分手術だったので、切った部分も多めだと思いますし、その分戻るのもゆっくりなのかと、時間をかけて筋トレしています。しかし、これまたこうした痛みや違和感、・・・・なども外側からはわからないわけでして、…自分で無理しすぎないように気を付けなければです。)


掃除の話題にもどればわたしはバッハのクラヴィーアをBGM にすることが多く、あるべき場所に納めたり、つまりは片付けや整頓にはアリストテレス哲学がやくにたつのだし、もしかしたらアリストテレスは範疇について細かく考える必要が当時ものすごくあったのだろう。

そして今日も実のところ、程度はそれぞれだが行動や決定にはこの課程はあったほうがよい。
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6月のスヴニール〜。秋のまえに、返り咲きました。イングリッシュ・ヘリテージが育ちがわるいので、鉢に移動。他に、アナベル以外のあじさいも、咲いてます。

空気が足りない鉢には、掘り返して空気をいれてあげれば、根が元気になり、土も根が張りやすくなる。
必要なものを補うこと。
そんなこんなで、早朝4時すぎから朝食まえに手入れ。あとは日曜の夕暮れ前くらいでしょうか。

レディ・ヒンダリンと、ベル・イシスを数年ぶりに植え替えました。膝腰が痛くなってから、きになりつつ、手をつけられなかったのです。
たくさんの新芽がでてきました。よかったです。
マーサ・スチュワートショー(この番組はEllenやジェイミーに比べると好きではないのですが、イスタンブルを特集した時はよかった)で蘭の栽培について放送しており、室内園芸で蘭もいいな、とはじめて思いました。
祖父はかなり蘭の栽培をしていましたし、義理父も蘭をいくつか育てているようです。それに蘭といえば朝倉文夫の蘭のための部屋が思い出されます。実家に蘭がたくさんあり、冬といえば蘭の鉢を庭から居間の窓際にすべて移動、というのが毎年の行事のようでした、ありすぎてあまり興味がなかったのです。
でも冬の間、南国の鮮やかな蘭が部屋や階段ホールにあれば、バラとは違う愉しみになるのかもしれないな、と思いました。・・・これはやはり私の年齢的な感覚の変化なんでしょうか?(笑・・・)冬にもそんな目的があったほうがいいのかも、と思ったのでした。


とにかくも、園芸と教育を混同するのは安易だが、愛情と観察、適度な手入れ、観察、量と時宜、育てるうえで必要なものと感じる。

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アナベル・ハイドランジアが今年も咲きました。
春先からたくさん新しい芽がでていましたので、花も多くつきそうです。
ちょうどバラは最盛期を過ぎ、同じ頃にあじさいは咲いてきます。

山紫陽花や、額紫陽花もきれいですね。
紫陽花は、植栽にもとめられる機能的なものも満たしているように感じます。


三田会での論文発表会のお話頂き、三田キャンパス南校舎での発表を引き受けさせて頂きました。前回が大変に充実した発表会でしたので、再度、要旨をまとめます。

充実した日吉での英語研究会・ワークショップのことはのちほど。
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5月のキーワード

1.バレエballet
2.小笠原亮
3.動物実験
artforma

4.堤康徳
平野玲
ブログ
ローラー・アシュレイ

5.大阪屋旅館跡
南方熊楠
宮下孝晴
高嶺

6.バラ
藤沼花奈
凰稀かなめ
越乃リュウ

7.カール・パケット
動画
dvd
apivita
リッチー・エドワーズ
退団
氷室友
赤水菜
レシピ

8.デザイン・フォー・ライフ
if you trelate this,

壱城あずさ
望海
天寿光希

P1010692

P1010550


堤先生、宮下先生、花奈先生のお名前が上がっていたので、Firenze にプロトルネサンスやフレデリック・アンタル的な社会史ほかを調べにいった時の写真を。

赤水菜は忙しくみなみさんが以前神戸から送ってくれたものですね。

レシピといえば、最近、ズッキーニのリボンサラダをつくります。
バラは、ワイルドイブ、ティージング・ジョーシア、緑光は咲いてます。
ブラックベリーも実が見えてきました。

緩で比較的おだやかな夏になるとよいです。
【輸入盤】Forever Delayed - Disc Box Slider Edition (Ltd) [ Manic Street Preachers ]
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キーフレーズ
1 小笠原亮 バレエ
2 堤康徳
3天寿光希 怪我
4 Art Forma
  アートフォーマ
  藤沼花奈
5 平野玲 バレエ
  大河凜
6 越乃リュウ
  リッチー・エドワーズ
7 apivita
  赤水菜 レシピ
  宮下考晴
  カール・パケット
8 アート・フォーマ ソファ
  真那春人
9 クィーンアン 輸入住宅
10 慶應大学 北館ホール ボッティチェルリ
  

6月になるとなぜか、The Cure のHighが聞きたくなる。そこでyoutubeからこのページにも掲載しようと思ったのだ、試聴していてロバート・スミスは彼らの音楽がすきで聞きたい人が観ればいいではないか、といいたげだったのでやめておきます・・・。「人は自分をけなされるよりも、自分の趣味をけなされるほうがショックや怒りを感じる」ものらしい。正鵠をえている気がするため、気になった方は聞いてみてください。Radioheadも聞きたくなります。

5月は現代英語研究会(日吉キャンパス 来往者 会議室)に出席してきました、総会、講演、ワークショップ、懇親会まで1月に続き参加しました。3月の研修は参加できず(自治会と実家の法事)大変残念でした。その際は、Y.マーテルを扱ったとのことで、報告資料などを読ませて頂きましたが、それだけでも充実していたので参加できたらさぞ充実していたことでしょう!

さて、講演会の最初の部分では、エコノミストの記事から、英国パブリックスクールの教育が、アジアで行われ始めていること、形態をかえた帝国主義に似た市場を成していることを指摘した記事。横山先生(法学部教授)の英語は本当にきれいでチアフル。そして教育、グローバル、といったことを改めて考えさせられる。
というのも、日本の大半の学校は、グローバル という言葉を安易に用いすぎており、それが何か? メリットとデメリットはということをあまり考えていないのに、コースや科の宣伝をしているのがひどく気になるからだ。

国際的 と グローバル は異なる。

講演会ではグループで翻訳などを行い、討論。半学半教で各々問題を検討して、先生の解説や見解を聞く。

文学と音楽では、レッド・ツェペリンの時代の歌詞と、アンダーワールドの歌詞、ライブアクトの様子を見て考察。
じつは来往舎の会議室について、先生とお会いした瞬間、「今日は君のためにアンダーワールドを用意したよ!」と仰っていただいたのでした(笑)
それにしてもカルチャーが鮮明なところには、サブカルチャーもはっきりとしたものになり、カウンターカルチャーもまた然り。私は最近朝5時からBBCを観ているのですが、ちらりと思ったのは、現在カウンターカルチャーは限りなく消費としてのPOPに同期しているのではないか?ということなのですが・・・
しかしPOPに結果的になっていくことはともかく、自覚がないカウンターカルチャーというものが果たしてそう呼べるのかどうか?いやむしろ、流れに任せるということが、実は究極の危険行為なのだがそれすらも気が付かない・・・ある意味ブライトな末期症状が生まれているように思われる。・・・

話をもとに戻し、詩のワークショップ。読解と朗読発表、韻、アレゴリーについてなどなど。
いつか詩をつくるというお題にも挑戦したいです。

詩の本質とはなにか、音、詩形、などなど・・・イタリア文学で詩形について学んだことがあるのですが、なかなか複雑ですし、ギリシア・ローマの詩なども、役割、規則、音声など単純な世界ではないのだなと感じます。
何事も奥が深い。

懇親会ではアラビア圏を専門とした方とも話ができてよかったです、古代〜ルネサンスまでの歴史、環地中海圏のことを、第三者である我々が知ることは、おそらく対話の梯になるかもしれないし、そうでなくても少なくとも無意味な偏見から身の回りの人を遠ざけることくらいはできるだろうから。偏見は不幸だし、不幸は連鎖しなくてもよいものだ。とにかく、いろいろな方とお会いできてよかったし、語学は常に学んでいなければ現状維持もできないな、と自らに言い聞かせたのでした。習慣づけ、持続力はいつになっても課題です。


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娘は足の指を痛めて加療中です。

よく聞かれるので回答しますと、一昨年の膝疲労骨折、昨年の靭帯二本の重症も、原因はバレエ関係ではまったくなく、中学校の体育授業での事故です。授業中の怪我のあとに傷めた靭帯のまま1人で歩いて看護室までいき。
しかも誤診、翌日かかりつけの大学病院に家族でつれていき、靭帯の怪我とわかったのでした。
リハビリは、一年かかりました。どちらの怪我も学校での怪我ですが、ギブスや松葉杖の間、体育見学になることで極端に成績が下げられましたし、その理由を質問しても、解答どころか質問自体聞きたくないという対応でした。
リハビリ中の3月も絶対にやらなければならない持久走をやりました。
法律事務所に知人いるため、2月に話をきいて頂きましたが、法的な問題がいくつかあるということでした。


とにかく、バレエスタジオでは怪我をしたことは一度もありません!
なんとかポアントをはけるくらいまでリハビリし、春のステージは出ましたし、3月末には新しいポアントをチャコットに買いにいったのですが、、、。
怪我がもとで暫くはレッスンやリハーサルは難しい見込みです。リハビリの先生にも大変心配していただきましたし、友人や親戚も対応を聞いてるだけで不安になる学校だと。もちろんすべてが悪いわけではありません、よいっ分もあると思いますが、相手の立場になって言動するとか生徒が成長できるように見守るとか、その生徒たちがよりよい人生や職業につけるように・・・など教育の基本が欠落しているのです。他人のことはしったことではない、というのは他者性の最たる(無意識の)スタンスですが・・・。
夏のステージは、辞退することに苦渋の選択を。
十数年間、勉強や運動とともに練習してきたバレエ、ブランクが空いても本人が踊れるといいう気概がでたら・・よいと思います・・・
それにしても、教育機関における、他人(こども)の将来などどうなってもよい、困難な状態のときにさらにダメージを与えるのも当たり前、残念なことです。同じような学校の安全・健康意識の低さで将来やもともと持っていた能力、努力し時間をかけたものを破壊する学校により、傷つく人がこれ以上増えてほしくはありません。


最近は、よくピアノをひいてます。
かつて、小学生のときにコンクールで練習した曲など。数学をやっているとピアノをひきたくなる。家人はクラシックギターで魔笛やグラナドスを弾きます。


写真は、母の日にと娘が私に選んでくれたアフタヌーン・ティの雑貨、Eikoさんが姪っ子さんとTdsにいったときのお土産、それから拙宅のダッフィです。ダッフィは、売り始めたころはこんなに売れるとは思っていませんでした、いまだに謎です。(が、ダッフィと一緒にいくという名目で、一人でTDSに来ることが可能になっていると思われる・・・)
いろんな方に心配頂いてます。本当にいろいろ、とても多くの方に。