1DAY-25HOURS デザイン・フォー・ライフ

from ousia@web 高嶺(Takane)によるデザイン・フォー・ライフ. テキストと写真で綴ります.

March 2010

先日記事にしたシンポジウムと講演会(3/28(日)北とぴあ 飛鳥ホールにて)に出席しました。
1月に上村晃生先生のお話を聞き、ぜひ出席しようと思い、12時45分すぎに北とぴあに到着。
以前、チラシをお渡しして関心をもっていただいたF様、お忙しい中ありがとう御座いました。

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荻野先生、サイモン・ピゴット氏のお話を直接聞けたこと、パネリストの方がたは皆専門分野の立場から、JR東海のリニア新幹線と環境問題、公共事業問題、アセスメント欠落、など多くのことを知ることができた。

荻野先生が提唱する電磁波の問題はひろく知られるべきだと思う。
私も何度も、子どの携帯電話使用についてはblogや他の媒体でも指摘しているが、健康被害・人体への影響という面でまったく日本では基準も情報も知られていない。

そして、東京の科学者は、まったく一般の人の立場にたって研究成果を公開しないという指摘ももっともだ、と思う。
「私がもっとも良心的だと思う研究者の方に、顧問を頼んだところ、「私の科学者生命を絶つつもりですか」といわれた・・・私などよりももっと専門家で、お金をもらっている人は沢山います、でも誰もやろうとはしない。」

いつも思うことだが、知識や研究成果は公開されて、人と人の間に下りてきて共有されなければ生きたものにはならない、それと同時に、公権力側を単に擁護するためにあってはいけない。
こういったことは、他の国では自然になされていることが多い。
なぜなら、自分の役割を生活レベル以上で認識できるからではないだろうか。・・・・


講演、シンポジウムでの話し、質疑応答などすべてメモをとってあります。
ノート15ページほどにまとめてあるので、後ほど追記いたします。

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3月31日(木)に山梨方面へいった際に撮影したリニア実験施設。
1県1駅しかとまらず、その費用は自治体もち、駅は地下深くにつくられ、車内からはほとんど景観はみえず、リニアの電磁波による人体への影響は大きい(高圧線の下の電磁波がよく問題になるが、それは数ミリガウスであり、比較にならない。)またこの事業のために現在JR東海で働く人への時間的負担・賃金削減などもすでに指摘されており、「第二のJAL・第二の国鉄」はしてはいけないと指摘するのだが、ほとんどマスメディアには取り上げられていない。事業の借金は最終的には国民負担になる。そしてリニア技術に固執しているのは日本だけである・・・
地質学的にもここにトンネルを掘ることは、複雑な地形と岩盤ゆえに危険、かつ間口の広さからから問題が多い、しかも一度はじめたら止められるものではない。
南アルプスを世界自然遺産にするほうがよほど経済的にも効果があるように思うのです・・・


年度末の仕事がようやく今日のお昼に一段落しました。
この数週間は立ちつづけているか、座って作業しているかのどちらかでした、終わったと思うとほっとしますが、同時に、疲労も実感できるようになってきます。3月ー4月は準備などで常にどうすればよいかを考えているような状態です。なにをなすべきか、何が必要か、そしてすこしでもアクションに移さなくては、他者には届きません。

2月に集めた署名を直接上村先生にお渡しできてよかったです。
この話をしたところ、関心と署名をしたいという方もすでにいらして、草の根的、個人から個人への広がりが重要だと感じます。
同時に、問題を知ってもらうために、必要なことも思案してしまいます。

結局のところ、自分には無関係、ということは近代以降はそれほどないのです。どこかで繋がり、リンクしている。

*拍手コメントお返事

2010.02.18 18:06 名無しさん個人主義の極地と教育行政:橋下知事発言に対して
>>[自らも同様の困難を味合わなければ、何も認識できないという人]

私もそう思い記事にしました。
そして、この問題も、私が感じた問題意識から扱った新聞やTV、公的な記事はみたことがありません...拍手ありがとうございました。
教育も、P.ブルデユーがかつて指摘したように、「再生産」 つまり、階層から階層へ引き継がれていくような構造があり、ますますそれは浸透していくように感じます。

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京浜東北線の駅から撮影した、飛鳥山公園の桜。
ことし始めて目にした桜の花でした。
もっと近くで、すこし時間をかけて眺めたいものです...
桜はいつも、年度末の中でほとんど見ることができません、唯一、数年前に3月末に奈良へいったときにはゆっくりと見られました。
法隆寺、奈良ホテル、東大寺、猿沢の池から飛鳥でみた桜(と菜の花)は綺麗でした。循環する時間、再帰する時間を花と建築と空気の冷たさに感じたのを覚えています。

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3月27日舞踏フェス無事に終了、観にいらしてくださった方に感謝です。
バレエ好きな母の友人が栃木から、また友人でマトリョーリカやコラージュ作製されてる東京バレエファンの水村さんも、目黒から初めて舞台をみにきてくださった。お忙しい年度末にありがとう御座います!
娘の担任の先生、お友達も夏の発表会につづき、いらしてくださいました。私も3月-4月は毎年年度末と新年度の準備に追われる身ですので、ほんとうに感謝です。私の友人も会場にきてくれました、お花も沢山頂いて・・写真におさめたので記念にUP。

水村さんがご自身の日記で感想をかかれていたので、後ほど引用させていただきたいと...想います!
バレエを沢山みている方からみれば、クラシックバレエで重要なことが何か、解ります。沢山観ることも重要な経験なのだなあと想います。
私は観るのがすきで実際にバレエを学んだことはないのですが、水村さんはバレエをやっていたそうなので、みてもらえてよかった。
ガラ・コンサートまで最後まで一緒に観ました。

以下は水村さんの感想を引用。

…さて、6教室の合同発表会っぽいので、娘さんの教室からラストまで、高嶺さんと並んで観る。

元東バの藤沼さんが先生で、彼女の踊るジュエルズ!
エメラルド観るの初めてだったけど、シチリア舞曲だったんだ。

東バではソロで観ることがなかったので、こんなに綺麗に踊る人だったのかと感動。しなやかで情緒のある躍りがしっとりと美しかった。

海賊のメドーラ、エスメラルダを踊った小林さんは、華奢そうですごく華があった。

娘さんは海賊 花園の場のコールド。ソロ部分もありました!

動きやポーズにクセがなくて(これ難しいこと)、ラインがきれいでしたぴかぴか(新しい)



ゲネプロの公開レッスンもとても参考になった、バーとセンター、どちらもまた見られる機会があるとよいです。

指導してくださった先生方やメイクをしてくださった先生方にも深く感謝します。ひとつのものを作り上げるために何が必要か、だんだんと学んでいけるのだと想いますし、そうあってもらいたいものです。

2010年は5月から秋までおそらく色々な期日に追われそうです。
調整していかないと・・・それはいつもですが。
でも5月のマラーホフAプロ、7月のエトワール・ガラは見に行く予定です。東京バレエのカブキも見たいのですが(知り合いが皆見に行くときいて+オーチャードなので)まだ予定がはっきりわかりません。

芸術とは何か、芸術の自律性と自立は、その国や社会の表層と本質をそのまま顕わすこと、表裏一体の事柄であり、構造なのだと思うのです。

豊かさとは、「消費」や「所有」ではない、ということです。
しかしますます、その傾向は深まっているし、健康や人間性(ユマニテ)や美も欠落していくのは残念なことです。

10月の「ジゼル」公演もまだ予定がわかりませんが、6月のベルリン・フィルは行きたいと思っています。ベルリン国立バレエなどが、ベジャールの「ベートーヴェン7番」などをレパートリーにすればいいのに!などとついつい思ってしまいます。

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上の写真は水村さんからいただいた、ルネ・ラリックのカード。
ボルゲーゼ展でみつけたイーゼルに飾りました。

3

「<自然>の所産は、その本質たる多様性と切り離すことができない。しかし、多様なものを多様なものとして考えることは−ルクレティウスによれば、これまでの哲学はすべてこれに失敗した−困難な課題である。」

われわれの世界においては自然の多様性は、相互に重なりあう三つの形態(アスペクト)、すなわち、種の多様性、同一種の構成要素(メンバー)である諸固体の多様性、一固体を構成する諸部分(パーツ)の多様性として現れる。つまり、特殊性、個性、そして異質な成分の混交性の三つである」(ドゥルーズ「ルクレティウスと模造」 p.072)


・・・ルネサンス期のシンクレティズムを私なりに考えるとき、マルシリオ・フィチーノがなぜ多様性と統一性を重視し、多様でありながら統一的な美と実践の理念をうちたてそれを当時の人々に影響をあたえたのか?この疑問のために、ドゥルーズを読んでいたのだが、現代をとらえる際の、真に個々が自律し自立できるフレームとしての概念、それをルクレティウスを介したドゥルーズは語っているように私には思える。

<自然>といったとき、それはphysis であるが、このphisisのとらえかた、解釈の違いが、イタリアとドイツでは異なるように思うことも、私の疑問のひとつ。私たちは<自然>というときに、「快さ」のための「自然」・・・・労苦や義務や責任から逃れるための言い訳としての「自然」を歓迎し、それ以外の意味をそこに見出さないように感じる。

しかし本来、<自然>とはそういうものではない、

再びドゥルーズの言葉を参照する。

<自然>は、多様なものとその産出(生成)との原理=根源として考えられなければならない。しかし、多様なものの産出の原理といったものは、この原理がひとつの全体のなかでそれ自身の様々な構成要素をひとつに結合しない場合にしか意味のないものである。(略)

<ピュシス>(自然)は、<一なるもの=一者>や<在るもの=存在>もしくは、<全体なるもの=全体者>の規定ではない。<自然>は集合的なものではなく、区分的なものである。

すなわち<自然>は「そして」etという接続詞によって表現されるのであって、「である」estによって表現されるものではない」


・・・・自然という言葉は、とても便利で容易で優しく、人々の力を容易にそぎとり、なにもしないことを自然と勘違いさせる。また集合的なものを自然と規定すれば、個や異質性は、消去される、消去されなければならない、ぬりつぶされなければならない(命題となる)とされていく。
・・・・全体性と無限、私性と他者性、
自己認識と自然観察(客観性)、自己保存と他者性・・・・・

それが、具現化されたものとして、形となり、言葉となり、言葉が形となり、思想がビジョンとなり、言語が空間となった時代・・・・

私が読み解きたいのは、その重なった部分である。

可能かどうかはわからない。

ルクレティウスは、人の役にたたず人に厄災をもたらすために権力化した宗教を批判し、物理学の祖といわれているが、のちにキリスト教が権力化したときに、「狂人」扱いされて「狂人として死んだ」ことにされて「書かれている」・・
「書かれたものを、どの程度、真実とみなすのか」
史学に必要なものは、この見方、視点の訓練であり、暗記ではない。
知識は判断のために必要なのであって、暗記することは歴史でもなんでもない。歴史的手続きはすべてのものごとに必要である。
だからこそ重要なのだが、もっとも重要なものがなぜとわれずにいるのだろうか。そして、同じ間違いをするのだろうか?

The Age of Stupid でも問いかけられていたが、「間違っていることに気がつきながら、同じ過ちを繰り返す」のが人と動物の違いではないだろうか。



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意味は言語化可能である。
感情は・・・感覚は・・・それは、言語化する中でほんとうのものからは遠ざかる・・切れ切れになる、断片化する。
思考すら、断片化するのをかろうじて、つなぎとめているだけにすぎない。

私たちを、私 としてつなぎとめているものも。
私という個も、その境界はうすい膜のようなものである。
同化しているときは無意識なので、苦痛はない。
しかし、別離り、私が私であると、他とは異なるということに気がついたときから、それは始まるのであって、その意識は遠のくことはない。

ドゥルーズは、「自殺」したと、新聞や評論家は書きたてる。
しかしそれは一般にいう、肉体保持、生活放棄のレベルの「自殺」という言語では妥当ではないのではないだろうか?
運命論の否定であり、しかし一方で、私たちは自分が他のためになにかできることができる限りにおいて、自己を存続させなければならないのではないだろうか。・・・・・・生も死も自然の産物ではない。ある必然と苦痛のもとからそれらは離れられない・・・・
現代はそれを忘却しようと必死なのであって、思い出すことを禁じるのである。・・・・なぜなら、私たちは人間である以前に「消費者」であるように、方向付けられているから・・・」


物の本質について (岩波文庫 青 605-1)
ルクレーティウス
岩波書店
1961-08-25



バレエフェスへむけてのゲネプロ前の最後のリハーサルがありました。
初めて衣装つき....家でためしに着てみたときはちょうどいいと想ったのですが、客観的にみるとまだつめたほうがよさそう、・・・昨日肩紐と一緒に直しました。これですこしはよくかったでしょうか。
娘は最近自分で頭を結ったり、飾りも自分でつけたりお友達のをつけてあげるのも上手くなってきました。なによりです。。。

リハーサル、最初から最後までみることができてよかったです。
先生方のコメントも的確で、最初の通し稽古から、最後の面ではとてもよくなっているのが、ビデオ(をとったので)でみるとよくわかる、やはりすこしのアドヴァイスで、じょじょによい方向へとまとめっていくのが練習のよいところです。

「指先から花の香りが漂うように」「音楽になりきって」 などなど・・・本当にそのとおり!です。ローズ・アダージォでもあまり感動しないオーロラって、持っている花が「造花」ってそういう扱いなんです・・・すばらしいダマスクローズの香りがふわりとただようような、・・・と口でいうのは簡単ですが、バレエの本質は、みえないものを見せることだから、表象させることだから難しい。
痛いヴァリエーションステップでも軽やかにみせることが難しい。。。

形がかわるときに、外側の人が踊りながら移動するのですが、そのときの負担が減ってもっときれいにみえるように、気がついてアドヴァイスしてくれて、娘も「よかった」と言っておりました。

コール・ド・バレエをふくみバレエダンサーたちは、クラシック、とくにロシア19世紀クラシックの世界は、アポロンのミューズたち!
天上への力と、開かれた聡明な精神、エヴェラシオンとアンドゥオールの力をつねに意識して、怪我がないように(!!)頑張ってもらいたいです。

「パリ・オペラ座のすべて」のDVDが到着しました。
くるみ割りのコールドの練習風景のミテキ・クドーさん、マチアス・エイマンの「ジェニュス」・・・・すばらしい。
アニエス・ルテステュに対して、フランス。ロマンティックバレエの系譜を再構築しようとしているピエール・ラコットの指導と視点がとてもおもしろい。
バーレッスンのバンジャマン・ペッシュもいいし、とにかくローラン・イレールの指導は動きも言葉も誠実で教師の言葉、若木をささえる知恵の木のようだ・・・横顔がますます古代ローマ彫像のプロフィールのように感じる。
ルフェーブルが話す場面すべても、とても感銘をうける。
言語とは、言葉であり、精神であり、パトスとロゴスであり、なによりも人間的なものである。善と美と調和のための彼女の熱意ある、言葉・・・・
日々忙しい時期に、とても感銘をうける映像です。
また追記します。

映画についてはこのblog内にも書きましたが、DVDボックスはオペラ座の公演会場で先行発売後、のりりは店頭にて売られるようです。

たびたびニュースでも取り上げれている「リニア」問題。
どことなく、プラスチャージ(無条件に)でうけとめられてアナウンスされてきたリニアですが、本当にそうなのか?

3月28日(日) 北とぴあ 飛鳥ホール (12:oo)にて シンポジウムが開かれます。

リニア市民ネット代表は川村 晃生先生です(慶応義塾 環境人文学)

主なテーマは「 南アルプスにトンネルを掘らないでください。そしてリニアの情報を公開してください」というものです。

なぜ、オール家電が推奨されるのか、それは原子力発電の電力発電のコントロールが難しく、夜間を利用するシステムをするために必要だから。

電磁波は身体に影響する。
リニアは磁気の強い力で走行するため乗客のいる車内にも強い磁場が生じる。実験によると6000-4000ミリガウス(国立環境研究所)になるとのこと。

高圧線などの電磁波のしたでは、4ミリガウスの居住環境で小児白血病が2倍という報告があり、海外でも同様の報告がある。

・・・科学の知識にたいする、専門家の知識と一般のひとびと、つまりそれを利用し、享受する人の差はたしかに大きい。
しかし科学の知識を用いていったその先の影響や、マクロな意味での人や他の生命への影響にたいする予測は・・・・ほぼ同様に等しく「無知」なのです。科学主義からの脱却とは「環境」=「自分とは無関係」「他人、専門家の仕事」という意識からだんだんと深刻化していき、専門家だけでは御し得ない状況になっていく・・・・・・のかもしれません。

一度体験した利便性というのは容易には、切り替えできないという点も「環境問題」には関係するのではないでしょうか。。。
つまり、人間がもつ「快」さの追求の特性、その認識なのでは、と。


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シンポジウム
リニア中央新幹線は必要か?(東京-名古屋-大阪)

基調講演
「公共事業の転換期を迎えて」(五十嵐敬喜 法政大学 教授)

コーディネーター
川村晃生 (慶應義塾大学 教授)

パネラー
荻野晃也 (電磁波研究境研究所所長 元京都大学工学部講師)

鈴木富雄 (JR東東海労働組合 中央執行委員長)
・・・

3月28日(13時より) 開場12:30分
北とぴあ 飛鳥ホール (参加費500円)

シンポジウムのおしらせチラシから。

同級生のそやさん宅へお邪魔しました、バレエのDVDとオススメのお茶を持参。いつも手作りパンを作って頂いているのですが、お食事用ケーキをご馳走になりました!
ケーク・サレは、「響の詩」で何種類か食べたことがあるのですが、自分ではつくったことがなく....
とても美味しかったので、いずれ自分でもつくってみたいと思いました。
娘が小学校にいってからは、だんだんと時間がなくなり、パイやキッシュも近年は作っていません、オーブン料理もあまり作っていない....

お茶は、マンダリンのエキゾチック・オーチャードをおすすめしたくて、自宅からもっていきました。

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ジノリの食器に盛り付けたところを写真にとらせてもらいましたのでUP...バラクラなどでもお茶用のケーキを買いますが、ご馳走になったのはほんとうに美味しかった!
娘のおやつに、と2ピースお土産に....感謝です!
いつもありがとう。
ほかにオススメの紅茶で、フィレンツェのスパイスが入ったお茶と、以前Kさんが英国お土産にくださったお茶(国内未発売)を持参。
やはり、飲み物の中ではいちばん、お茶が好きです。

ゆっくりお茶を飲める時間は、忙しい日常の中でもゆったりできるように感じます。3月年度末+新年度のリミットが近づいているので、余計にそう思うのかもしれません!お忙しいところ感謝なのです。

『学問のすすめ21』のシリーズの中で、家庭教育のルールについて挙げてあり、共感するところ大だったので、自分の覚書として。

おさだめ

一, うそをつくべからず。
一, ものをひらふべからず。
一, 父母にきかずしてものをもらふべからず。
一, ごうじやうをはるべからず。
一, 兄弟けんかわかたくむよふ。
一, 人のうはさかたく無用。
一, ひとのものをうらやむべからず。

(『家庭教育を考える』p.42より)

福澤諭吉は満8歳の長男と6歳の次男にむけて、「ひゞのおしへ」を書いていたというもので、毎日ひとつずつ、それぞれの帳面に直接書いていたのだそう。その最初に書かれていたのがこの「おさだめ」だそうです。

シンプルですが、「人のうわさかたく無用」「人のものをうらやむべからず」など、意外と現代だと忘れられている重要なことだと感じます。
他人と比べたり、他人のものを羨んでいても、何もプラスはありません・・・
自分を知る・認識する、行動を変えるきっかけとするには、他者の言動に影響をうけることは大切ですけれど、他人とくらべて、優劣を感じるのは、どこにも基準がないうえに、他人を意味もなく見下す行動と結びつくのでは、と。

強情をはるべからず、うそをつくべからず・・・率直さ、誠実さ、謙虚さ、そういったものは、小さいときから大人になっても、重要だと思います。
強情をついはってしまうことがあるので、やはり、なるべく改めたいと私自身思ったりでした...

個人主義が間違った形で、進展すると、共通のルールも崩壊してしまいます。自分のことは、自分で、自分ができることで他者のためになることも自分から・・・ということもあまり認識されにくいです。

私 から 私たち に人称が変わるときに、物事はよいほうへと動き出すようなのですが、私たち の中に 私(個人)が消えないようにすることも重要で、それが、学校の全体性のような環境だと伸ばしずらいのではないでしょうか・・・

ユマニテ、人間性、脱平均化すること、・・・・
現代では日々疎かにされているように感じます。

しかし、教育自体が「利害」のための手段と大人や親が思っているうちは、おそらく子どももそこから抜け出せないのではないか。

人のものを羨んでいても、マイナス感情しか生まれない。
親の思考回路は思った以上に、子どもに影響してしまうもので、(教師も然り)親や教師が自分から思慮とアクションできることが理想ですが、・・・

でもやはり考えてみると、幼少期、10代のころ、20代のころと、いい影響を与えてくれた(そのときにはそうは感じないのだが、いい影響というのはじわじわと自分の中で拡大するのです,,,)人や教師や人物(”先人たち””死者たち”)がいたのだと感じることが多いです。


・・・他人と比べてもまったく意味がない!!という多忙の時期だからか、秋ごろに読んだものをまた読み返しています。
やはり村井実先生の「善さの構造」は多くの方に読んでもらいたいです。
このブックレットでも冒頭に講演が掲載されています。

http://health.blogmura.com/tment_tbe/11363/wcnslwc2tfh5

パルシステムで、「パレスチナのオリーブ・オイル」を購入。

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購入することで、なんらかのアクションとなるなら....!と購入しましたが、とてもよい香りです。オリーブオイルは料理に欠かせず、サラダ、リゾット、パスタ、スープ、通常の炒め用などにも使います。
といいますか、オイルはオリーブオイルかごま油しか使っていません!

パレスチナのオリーブオイルは、香りがゆたか。
ブイヤベースにひとさじ加えると風味が広がります。とても美味しい。
ぜひみかけたら利用してみてください。

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一番上の写真は現在利用中のオリーブオイルをならべてみました(笑)

パレスチナのオリーブオイルの説明。

オリーブは、女神アテナが休戦と平和と豊かさの象徴として用いた樹木です。
もともとギリシアの神話や神殿は、樹木信仰に由来するといわれています。

アポロンの月桂樹もそうです。

剪定をしました。去年とおなじ、シルバー人材センターの担当の方にお願いしました。月桂樹も剪定し、ローズマリーも刈り込み...その枝もきれいなものは利用したいと想います。
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写真は、車のフロントにのせるために造った小さいローズマリーのブーケ。
マークス&ウェブのリボンを再利用。

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バレエレッスンの前に造った、さわらのソテー。
ゲランドの塩、オレガノ、しょうゆ少々でシンプルに焼き、つけあわせはズッキーニです。これにパンと野菜スープ。

「・・・ドナテッロについては、もうひとつ感動的な逸話がある。臨終の床にいるドナテッロの親戚がやってきた。彼がプラートに持っているわずかな農地を、遺言で彼らに残すように頼みこんだ。それに答えて、ドナテッロは次のようにいった」


「それは毎日そこで働き、苦労した百姓にのこすつもりだし、それが正しい。あなたがたは農地のために何もしないで、それをもらうことばかり考えている。出て行ってくれ」

結局ドナテッロは死んだが、サン・ロレンツォ(教会)のコジモのそばに埋葬された。
「コジモは生前いつも心を寄せ合っていたように、死後も身体をよせあっていたいと願い、遺言でそう命じたのである」


ヴァザーリの「建築家・彫刻家列伝」(白水社)および「フィレンツェ」(若桑みどり)より引用させていただく。

・・・ブルネレスキとドナテッロの逸話もそうだが、コジモとドナテッロの逸話をよむとき、私は、死に対する恐れと同等の他者への憐れみと優しさを感じ、時間の再生と永遠、つまり現在を真正面から認識した人たちの思いと言葉と行いだと感じて、何度も読み返してしまう。


私たちに世紀には、もはや商業化された誕生と死、子どもも、老年期も加齢することの意味もすべてが商業化されている....
このようななかで、人間的にあろうとすうることは難しい。

しかし難しい、優しい、手軽さが問題なのではない。

言い知れぬ、絶望感が足もとのすぐそこに、空いている。


ジル・ドゥルーズ 『原子と分身』を読んでいる。

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)
著者:ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ
販売元:河出書房新社
発売日:2006-10-05
おすすめ度:4.0
クチコミを見る
原子(アトム)と分身(ドゥーブル)―ルクレティウストゥルニエ
著者:ジル ドゥルーズ
販売元:哲学書房
発売日:1986-11
クチコミを見る

輸入住宅、バラ、いぬ好き関係、というよりも、とてもすきなものが似ている
みなみさん[鷺草 http://grottono1.jugem.cc/]
神戸からいらっしゃるときいて、マンダリン・オリエンタル東京でアフタヌーンティをしてきました!

お茶は3回目...季節のお花が美しい。mr2


晴れ渡って38階の東京の風景が一望。
いつもはスモッグでみえない・・・湾岸のむこうの海や山もみえました。P1020320


第一の皿、フォアグラ、海老のロールサンドほか一口でいただけるオードヴル。
お茶は、エキゾチック・オーキッド(オリジナルティ)をアイスティーに。

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このあとスコーンがでて、春らしく蓬をつかった小ぶりのスコーン。クロテッド・クリーム、ジャム、もう2つくらいおかわりしたかった(笑)
以前は、おかわりをもってきてくださったので、ややポイントダウン。

フルーツのジュレは、チョコレートムースになっていました。
美味しいです。お茶はヴァニラ・ロイヤル、ラウンジ・セレクションのざくろのお茶。美味しいです!
そのあとは、マンダリン・オリエンタルブレンドのホットをおかわりして、ゆっくりバラは犬、仕事の話とか・・・いろいろな価値観の話など、とても楽しいひとときでした。

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着物で神戸からきてくださったみなみさん。
すばらしいお天気だったので、北の丸公園から田安門のほうをまわり、お堀の水に、さきはじめそうな桜のつぼみをみて・・・

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ここのところ、本当にすり減らし気味だったので、あえてよかったです。次は、ぜひ、時間をつくって!私が神戸にいって奈良や室生寺、京都を案内していただこう。ネガティブになりそうになったらそうおもうことにします。。。

それにしてもよい天気でした。
東京の朝がこんなに晴れていることはないのでは。

芸術センター(月刊)に書いているブライアン・キース(歴史家)のコラムがいつも面白い。論点が明解で、価値観が共通していて、私が思っていること、疑問に感じていること、その先のことが具体的な指摘のもと書いているテキスト・コラムである。

http://www.art-center.jp/journal/index.htm

芸術センター


FREE雑誌なのですが、定期購読しようかと思っているもののひとつ。DANZA(ダンツァ)も定期購読しようとおもうフリー雑誌です。こういう非商業的な雑誌しか、メディアにならないのかも、と思います。

ブライアン・キースのテキスト、環境革命と産業 その2から引用してみたい。

「環境問題で問われるのは結果であり政治的プロパガンダや経営戦略ではない。環境産業というのが成立するならそれも良いが二次産業を壊滅させて生き残れる社会はない。感情論ではなく現実をみるべきだろう。(中略)

 先進諸国は環境対策車に補助金をつけ買い換えを消費者に促し、景気浮揚と環境対策の一石二鳥を図ろうとしているかに見える。しかし、ここには冷静な環境対策と歴史研究がこぼれおちている。製鉄業は最大のCO2発生産業であり、アルミニウムは電気の缶詰、プラスティックは石油固形物と呼ばれている。公害をたれながして造った自動車ならせめて長持ちさせればよいが、それでは自動車産業の景気は落ち込む。そこでハイブリッド、電気自動車へと流れが進むが、(略)ハイブリッドカーに限らずバッテリー寿命は3-5年とされている。バッテリー交換時が新車買い替え時にともなる」


ブライアン・キースは、このように具体的に例をあげ、「経済対策としては合理的にみえるが、環境対策としては逆行している」と指摘する。私も同様の感を、すべての「エコ商法」に感じている。
なぜ買い替えに「エコポイント」がつき、それを政府が奨励するのか?
そのポイントはどこからでるのか。なぜエコポイントの財源は問われないのだろうか?それは大手マスメディアが、商業的(コメルス)すぎるためである。
広告主の機嫌をそこねることはできない。

私たちの「ベターな行動」と思う行動の根拠には、「良いことをしょう」というごく真っ当な意思や意識が無意識に働いているのが、多くの人は、「損得」というほうにも目が向くので、アナウンス効果やメリットの背後にある、「ほんとうに良いのだろうか」という疑問にいきつくことがない。

教育、環境、社会保障などは・・・一人一人が、問いをもたなければ、いいように操られてしまう。歴史は過去の遺物ではない。現在を比較して認識するための指標なのである。

ブライアン・キース氏の Ecological revolution(コラム)「芸術センター 2009 9月号 VOL.42」(P.1 ART CENTER 2009)に掲載されている。ぜひ全文を読んでいただきたい。

美術に関して、レオナルド賛美と絵画市場の現代、ミケランジェロ・ブォナローティ軽視の理由も興味深く的確な指摘がされたコラムで印象に残っている。




パリ・オペラ座2010来日公演は「シンデレラ」だけ行く予定です、なかなか3月は忙しく、休日も空きません....
カール・パケットとマリ:アニエス・ジローの公演にいきますが、公演をとる理由のひとつでもあった、ドロテ・ジルベールが、他の日の配役に変わってしまいました・・・すごく残念です。彼女の代わりに、マチルド・フルステーやミテキ・クドーさんが配役されたならよかったのですが・・・個人的感慨ですみませんが、モノローグとして一言。

英国ロイヤルのチケットがすごい人気のようですね!
私はできれば、マイヤリングはいきたいのですが...

マッキアイオーリ展にもう一度いきたいのですが、なかなかまとまった時間(私の場合は3-4時間をさす)がとれません・・・分刻みで行動しても時間が足りない・・・と感じます。

仕事柄、PC作業や資料を読んだり整理したり、長文を書いたり添削したりが日常的に多いので、頭痛はごく日常的におこります。
アグロナチュラのポケットレメディ、ラベンダーがとてもいい香り。
ロール・オンタイプのアロマで、いつでもどこでも使えます。
ラベンダーベースですが、香りも強すぎることなく、ほっとする香り。
ほっとするというのは、つまり、深呼吸を誘う香りだと思っています。

集中したり、急いだり、行動を早くしなくては、と思って過ごしていると、確かに作業効率はいいのですが、いつのまにか、私の場合は、無呼吸になっています・・・酸欠状態になっているのでしょうか、気をつけないとなりません。
自分で気がつくときには、すでにそういう状態になっているのでしょう!
管楽器をやっていたので、肺活量があるからか、息をとめているのも大丈夫なほうなのですが。食べても太らない体質は実は、日常的な腹式呼吸が影響しているのかもしれません(笑)

アグロナチュラは有楽町店にたまに立ち寄ります。
ハーブティも美味しいです。モーニングとアフター・ミールを飲んでいます。

オススメのハーブティを今度一覧にしてみたいとおもいます。
暖かくなったら、ハーブティからハーブ・コーディアル(英国製)+フリザンテ(ガス入りのミネラルウォーター)に切り替えます。

写真はまた後日載せたいと思います。

「・・・人は、ルネサンス古典主義の神髄を体験したければ、フィレンツェでは、二つの噴水広場、サン・ロレンツォ聖堂、そしてサン・スピリト聖堂に行けばいい。そこではいささかも飾り気のない廉直で平明な時代の精神が体験できる」(『フィレンツェ 世界の都市の物語』若桑みどり 文藝春秋 (1999) P.196)

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 ブルネレスキの建築には彼の、そしてルネサンス(リナシメント)の精神が息づいている。その空間に入り、そしてドームの下に立つときに、明解で、明晰で、その空間にいる人の精神を開放しよう、開かれたものにさせる力が、そこにはある。それはブルネレスキの建築のもつ、比類ないパワーのように私は思う。
何百年ものちに、それは見るもの、眺めるもの、そこに佇むもの、つまりその場にいる誰もに、彼の精神と思想は語りかけてくる。それはまったく、不思議な体験であり、写真や映像では再現できない、認識の体験そのものである。


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サンタ・トリニタ橋を渡り、しばらくあるけば、サン・スピリト教会がある。
ファサードは、未完のまま。ブルネレスキへの敬意の表れである。
サン・ロレンツォ教会のファサードも、ミケランジェロへの敬意から、未完のままである。こうした精神と意味の継承が、フィレンツェに訪れると伝わってくる。

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彼の建築、もっとも有名なデル・フィオーレ聖堂のクーポラや、捨て子養育院、そしてサン・ロレンツォ聖堂やサン・スピリト教会・・・そこで感じられるものは、特別な空間である。ユマニテ、人間性、そして科学と合理主義、他者性へのまなざし、・・・フィレンツェを特別にしているものは、彼の建築におうところが多い、そしてその思想の根源に迫ること、読み解きたいという思いがある。

上の写真は、目抜き通りから裏側、付属美術館側からのデル・フィオーレ聖堂。

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サン・スピリト教会の前の広場。
教会の前には広場があり、人々が自由に過ごしたり、市がたったり・・開かれた空間。私は教会前の広場という空間が好きで、そこにいると、どの広場にも固有の時と場を感じることができる。

フィレンツェは、早朝、昼、夕方、と広場を抜けるのが愉しい。
誰もいない、早朝のレッブリカ広場、明るい朝の光がさすシンヨーリア広場、午後のサン・マルコ広場・・・ライトアップされたファサードと広場が美しいサンタ・マリア・ノヴェッラ。祝祭と犠牲の場は、現在もそこに残っている。


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エトワール・ガラ2010、Bunkamuraチケットメイト予約にてBプログラムを予約しました。本当は両方行きたいところですが、仕事の都合(夏は忙しい)と娘の分も確保するとなると、プログラムを比較してBプロにしました。

「薔薇の精」「牧神」とバランシンの「スターズ・アンド・ストライプス」がいまのところプログラムに入っていて楽しみです。マチアス・エイマン、マチュー・ガニオ、マリ=アニエス・ジローが映画「オペラ座のすべて」舞台映像で踊っていた「ジェニュス」はやらないでしょうか。とても見たい演目です。

バンジャマン・ペッシュの「青い鳥」も見たい・・・オペラ座の「眠り」のdvdでみられる青い鳥はすばらしいです。前回はアレクサンドル・リアブコが「青い鳥」をエトワール・ガラで踊りました。リアブコもすばらしかった。
1月にみたばかりのイリ・ブベニチェクの演目も気になります。ドロテ・ジルベールは3月の(もうすぐです)オペラ座公演でもみられますが、とても楽しみ。
カール・パケットやレティシア・プジョル、前回来日できなかったエルヴェ・もローも来て欲しかった。>エトワール・ガラ

シュトットガルドバレエのダンサーも来て欲しい、、などと思ってしまいます。
オペラ座に「オネーギン」がレパートリー入りしましたが、ジョン・クランコとパリ・オペラ座は作品として合っているように思うのです。音楽性とドラマチックさ、クラシカルでありながら、同時代性をもつ、そしてダンサーによって魅力が異なり、ダンサーの力量と表現、音楽性、そして群舞の美しさが問われるバレエ作品だからです。


エトワール・ガラは一般発売は3/13とのことです。
今年のエトワール・ガラは、収録されるとのことで、TV放映か、DVD化されて残るとよい、と期待しています。

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