1DAY-25HOURS デザイン・フォー・ライフ

from ousia@web 高嶺(Takane)によるデザイン・フォー・ライフ. テキストと写真で綴ります.

September 2009

今年5月17日のデンマーク・ロイヤルバレエ「ナポリ」の公演が良かったので、購入するかどうか迷っていたDVD。娘の誕生日プレゼント代わりに購入しました、本人も「ナポリ」のDVDが良い!と即答だったので迷いが払拭されました。(古い映像ではないか、カメラワークはどうかなどバレエDVDの映像の質にはばらつきがあるので...格安というわけではないですし)
映像はわるくないです。1幕のマイム中心の場も、2幕の地中海(ポセイドンの世界)青の洞窟(アンダー・ザ・シー的な世界)も良かったです。
しかしなんといっても3幕のパ・ド・シス〜タランテラのシーンはやはり買って良かった!と思うものでした。
北方のバレエ団ながら、いわゆるバレエ・ブランの世界を表現する演目ではないし、地中海世界とガリア・ケルトの融合のような作品観も面白いのですが、こういう演目は割りと日本人がやっても違和感ないのではないでしょうか。世界観的にあっているように思うのです。というのも、好みと適性はかならずしも合一しない部分があり、多神教ベースの日本人がノイマイヤーは表現しきれないのでは、と思うし、逆にベジャールなどは西欧中心主義的な視点からでは表現しきれないといいますか。
しかし逆にナポリの、アイルランド民族音楽の持つ底なしのバイタリティと持続性(むしろ彼岸をしっているからこその楽天性?)が日本人が表現できるかといえば簡単ではないようにも思えますが...
しかしパ・ド・シスからタランテラをデンマーク並に演じるとすると、かなりの高度なダンサーが揃わないとならないのでは、とも思いました。ある意味で、ロシアバレエでのライモンダのように、踊れるダンサーを必要とする演目です。
しかも、タイトルロール(テレシーナとジェンナロ)は表現力もかなり要求されます。

一見庶民的な演目「ナポリ」ですが、全幕で公演するとなると大変な演目なのだと観じた。衣装の色や文様もケルト風と南欧要素が入っていてとても愉しいです。
色彩もとても繊細かつ、アースカラーのような深みのある衣装です。

今日は沢山記事を書いていますが、一昨日からパソコンでの作業で張り付いているからで、こういう時のほうが更新できるのかもしれません、、体調・具合はあまり良いとはいえないのですが。だからなのか、パ・ド・シスのリズム、タランテラの踊り、ジグとリールが続くようなナポリに惹かれるのかもしれません。「生の謳歌」と言われる所以ですね。

神経的に疲れがたまってくるとルネサンス関連の書籍や資料を読みます。
ドナート、ブルネレスキの仕事について読むと元気がでます。偉業・偉大とはやはり他者性、内部規範性によるのだということ、思考と実践の忍耐強い繰り返しによるのだと思います。

ルグリ引退映像でタチヤーナを踊ったクレール・マリー・オスタが「自分を捧げる」ことに憧れたと「エトワール」で言っていますが、「自己以上に他に捧げ、なおかつ自己を鍛錬できること」そういったものが卓越性を作り出すのだと感じます。


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9/22は、連休中1日だけ休みを確保できたので、昨年秋にジム・ランビー展招待イベントで訪れてから1年...原美術館コレクション展(年2回)へ行ってきました。
私の休日が非常に減っていたのもあり色々なイベントにお声がけを貰いながらもずっと延びてしまっていたRさんとご一緒できてよかったです。
やなぎみわ、奈良美智(ちょっと落ち着いた感じになっていた)森村泰昌さんルームもみてきました。
それから、ダイオードを使った部屋の前に一つ展示が増えてました。
中国の映像作品を見ながら、これは理想郷・未来郷的イメージなのか、それとも批判なのかという疑問が。言いたいことはわかりやすいのですが、方向性というかベクトルがどちらかでまるで正反対な性格を纏う映像作品だと感じました。
カウンターカルチャーには違いないのでしょうけれども。
中国の「モダンアート」が多かったように思います。

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さて目的の一つ(というか最大の目的かもしれない)カフェ・ダールのランチは、ペスクタリアン的にも理想的なメニューでした。茸いろいろのマリネの前菜と鱧とカラスミのスパゲティ。原のメニューからはいつも自分でつくるパスタレシピのヒントをもらいます。
以前たべた穴子とあさつきのバルサミコペペロンチーノ、スモークサーモンと檸檬クリームのスパゲッティなど、ここで食べて自分のレパートリーにしたものが多いです。

庭を歩いて、美術やバレエの話をしてストレスのピークだった連休前の状態からすこしリラックスできました。原でも食後にハーブティが選べるといいのですけれど。

スパイラルホールやフェアリーを散歩しながらまわってかなり久々に半日ゆったりと過ごせました。やはり時々は日常から解放されないといけない性分のようです。

表参道が以前のような街並みと人通りが取り戻せたらいいのに、と思います。
なんとか時間をつくって、根津美術館にも行きたいです。
それから、寒くなるまえにやはりニコライ堂へ行きたいです。
欲求ではなく、日常からは失われているものを取り戻しに行きたいという感覚でです。現代の東京圏にも、僅かにそれが保たれていたり、ささやかな自然が残っているのですが、それに気がつく人が少なくなればそういった空間や風景、街並みや自然も減少してしまいます。

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コズカタさんがハワイ島から帰られたときに送ってくれたハーブティ。
凄く美味しくてたっぷり飲めます。1パックに入っているハーブの量がたっぷり、ブレンドもとても飲みやすくナチュラルな味わいです。

リップバームなども頂いたのでこれからの季節は手放せなくなりそうです。
先日原美術館へりねさんとご一緒した帰りに(原の記事はまた後日書きます)表参道のマークス&ウェブでハーバル・ウォーターを購入。ジェルは前からつかっています。マークスは、Zさんに誕生日にプレゼントして頂いてから愛用してますが、私もいろいろな人におすすめしてしまいます。
母親にマークスのメープルシリーズのブラシをあげたらとても喜んでいました。
このブラシは使い易いのでお薦めです。

最近カフェインをとれなくなっていて、ハーブティばかりのんでいます。
それか、マリアージュ・フレールのルイボスティ。
ルピシアのフレーバリーのルイボスも飲みます。
が、やはりハーブティが多いです。
自然の力を借りて、というか助けをえないと日常が営めないくらい、変にすり減っています。神経過敏というか、あと空気と冷房の乾燥+ストレスで肌も手などがかぶれます。・・・と書くとやたらと貧弱な感じがしますが、見た感じはそれほどでもない(と思います)ハーブティやコーディアルはカリス成城が良いですね。

地元にも生活の木ができたのですが、サービスがいまいち....。

食後にハーブティを出すイタリア料理店が増えてもらいたいものです。

何が一番書きたいかというと、好きなものを奨めてもらったり、薦めたりができるのはいいなということ。口コミなんていうとつまらないので使いたくない言葉ですが、ネットワークは素晴らしい。
モノ(物質)には執着しませんが、良いものには拘りたい・大切にしたいです。




先日、UK-JAPAN2008関連で英国政府から映画試写会のお知らせを頂きました。
参加することができたらまた記事に書きたいと思います。

それから、芸術センターの月刊誌の記事で興味深い記事があったので次回以降取り上げたいと思います。本当に、温暖化よりも重要なのは土壌汚染であり、バッテリーの寿命問題と買い換えサイクルはもっと問題にされるべきことだと感じます。

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LUSH系列コスメブランド、Bは日本上陸前から知っていましたが、実際に購入しはじめたのは舞浜店ができてからです。
動物実験を一切しない、ビーガンでも使用できるというラッシュ。
ベースやポイントメイクもできれば動物実験をしない、できるだけ自然素材を使ったものがよいと思っています。

今愛用してるのはパウダー・アイシャドウ(マロン色系列?)とパウダー・チークです。ケースはフェアトレードでインドの女性達のグルーブが手作りしていて、レフィル交換できます。
1階のヴァニティに置いているところを写真にとってみました。

先日、リキッド(薄付きのタイプ)も購入。どうせならこうしたカンパニーで選びたいと思ったからです。フルメイクのお試しをしてもらったときにテクスチュアが違和感なく、ケミカルな感じがなかったためでもあります。
ファンデーションは、Bではブラシ・筆で塗ることを推奨してるみたいですね!
そして顔の中心からじょじょに外側へは薄く塗っていくことで立体感がでるとか。
なんだか油彩で絵を描いているときのような面白みがあって、いずれブラシも欲しいと思ってしまいました。もうすこしブラシが安くならないかな。。。

私はコンタクトで眼を酷使する(pc・読書)ので負担がかからないアイシャドウが一番お気に入りです。

エトワールとは、パリ・オペラ座の最高位ダンサーの呼称である。
しかし同時に、エトワールとは、単なる最高位を意味しない。
この事はあまり紹介されていないように感じるのだが、エトワール(星)とは「オペラ座の芸術性」を意味する、というか体現する存在である。

つまり、通常のバレエ・カンパニーが1ST(第1位/階層として)的にダンサーを捉えているのとは別の意味で「特別」な存在であることを示している。
よく知られているように、エトワールは芸術監督が任命することができる。
つまりヒエラルキーの外部に位置づけられているダンサーであり、そのようなことが要求される。作品の芸術性を方向付けることができること、その概念と表現と技術、演技に相応以上のものを求められる....ルフェーブルも語っていたが、ルグリはその中でも特別である。内部規範性と他者性を持つダンサーであり、常に自らを完成させそれを乗り越えなければならない。
そういったことを課し、実践できる人である。
つまり、そういった意味で、「最高位」はその名の通り、プルミエであり、役柄を演じることができるのはスジェ(subject/主体)からと捉えられる。
ルグリは、教師達による内部試験でプルミエにはならずにエトワールとなった。
教師は(村井実先生も書かれているが)「完成された人像(鋳型)」だけを追ってはいけないことをよく示している。

ルグリが音楽性のある人という言い方をするのはよくわかる。
舞踏、特にバレエは形とともに形を超えた表現が求められるからである。

オペラ座は、芸術が人から人へ、技術とともに情熱、精神(という言い方を否定するの立場があるのを知ってあえてこう表現するが)とともに継承されることをしっている、あるいは経験によって、それのみが伝統を継承させることが可能だと学んでいるバレエカンパニーである。なぜなら、絵画彫刻アカデミーや舞踏アカデミーですら、かつて断絶し、失われた芸術性を取り戻すことが難しいことをしっているからだと私には思える。
だから、ルグリは年少のオーレリーに多くを教えて共有したのであり、ルグリはプラテルやモニク・ルディエールからも多くのものを受け継いでいる。
しかしながらこういったものは、「教える」ことはできない。
自分で学び取ることが必要なのであり、重要なのは、「自ら」をそのレベルに到達させることは教えられるということである。
周囲、つまり教師や先にその道に生きる人々によってそれは掛かっている。

デフィレを演目に選んだルグリはそのことを真の意味で理解しているのだし、おそらく同じ舞台に立ったダンサーたちはルグリからのギフトを「受け取った」と願いたい。

ところで、エリザベット・プラテルがルグリと会話する所が素晴らしかった。
プラテルもまた「特別」なダンサーだったが、この日観たプラテルは、レオナルドが描いた「聖アンナ」のようだと思った。ちなみにオーレリーはミネルヴァのようになっていた。

「私性」「自律的な人間像」を超えていくことは可能だが、その場合難しいのは、「無私」の表現基盤を得ることだろう...静的にというのではない、些か抽象的になるが、ギエムもこの点だけが自らの問いとなっている舞踏表現なのだと思う。モダンという名のもとに、多くの振付家が能や花伝書を学ぼうとするのはとても興味深い。日本はその点で優位にあると思われるのだが、様々な接点や地平や伝統がすべて断絶している。
番組を観た後、可能性と限界は常に隣り合わせだという思いが最後にした。

この日は仕事から帰ったのが22時過ぎだが、結局放送全てを観た後、録画した映像を最初からまた観てしまった。
疲れているから余計受けるインパクトが大きいのかもしれない。「ル・パルク」の映像など含め貴重な映像ばかりだった。作品や内容の解説・説明は十分とはまったく云えないものだったが、少しでもオペラ座作品を見てくれる人が増えたらよいと思う。

継承と断絶は繰り返すが、その度に形を変えて顕れるのかもしれない。
バレエ・リュス(今年100年だという)がパリにバレエをもう一度再生の機会を与え(パリではグランド・オペラの添え物的なものにされていた)解体したバレエ・リュスは英国ロイヤルバレエの起源にもなった。
ヌレエフによる再度のパリでの再生、その世代のダンサーたちが引退を次々に迎えていることを改めて感じた。そして同時に、あまり言われてはいないように感じるのだが、ルフェーブルの理念と実践とオペラ座の観客達が、「オペラ座の芸術性」を息づかせている原動力だと思う。
つまり、近代以降の今日では、受容する私たちの言動によっても芸術は方向づけられてしまうということを強調しておきたい。

実家のNIKOちゃんを散歩につれていく途中、朝7時に渡り鳥の群れに2回遭遇しました。

季節の変わり目を感じました。

大抵、朝5時から5時半に起床するようにしていますが、今日は天気がわるく朝薄暗かったせいか、6時すぎに起きました。横になるのは午前1時すぎという日が続いているのと、調べものが重なっているのであまり眠れるわけではないのですけれど....

コーネリアスのアンプラグドでは、アコースティックのwataridoriを演奏してました。

渡り鳥も、wataridoriも親宇宙的なバイタリティを感じます。

以前クリエイティブ・コモンズとしてweb公開されていたwataridori2もCDなどの音源になったら手元においておきたい音楽。リアリズム、ナチュラリズムを超えた音楽。つまり..それを聞いたとき、渡り鳥を想起させるし(映像がなくとも)その光景を見たときの活きた感覚を呼び起こす音楽。
wataridori2はこちらのサイトで聴くことができます。



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コーネリアス - Five Point One [DVD]コーネリアス - Five Point One [DVD]
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SensuousSensuous
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優れた書物、読み継がれる書物というものは、「書かれたもの」でありながら、その人の声として読者へ届く。時間や空間を隔てて読者との対話が成り立つのは、そういった書物である。

エクリチュール、パロール...という言葉を用いても用いなくても、そういう本が「存在」しているように思う。

納富信留先生の「プラトン」、斎藤慶典先生の「デカルト」を読んでいてそう思った。納富先生が書かれた「洞窟の比喩」は、初めて日本語で書かれた「洞窟の比喩」だと思った。今までのどの解説、説明からも得られない「書かれたもの」だと思う、思うという言葉では表しきれない。
両先生の話を直接聞いているからということ以上に、文を読みながら、生きた声・言葉として届くように感じた。感じたと書いている以上に、(私なりに)テキストに向かい、理解したことはあるが、優れた書物というのは「生きた言葉」としてこんな風に読者へ届くのだ、書物との対話とはそうしたことなのだという思いがした。

人が言葉を使う、言語を使うということはこうしたことを本来的に意味するのだということだと改めて感じた。
対話は一度きりしか成り立たず、「現在」すら定まることはない。生きた言葉である対話を、永遠に残すことができるのが、そういった言語の使い方であり、人間はそのような形でしか、思考したり学んだりできない。
優れた書物は、「過ぎ去った対話」でも「書き留めておく」ことでもないのだろう。読む度に再生する言葉というものがある。

一方で、(現代の問題とも直結してることだが)テキスト、文字を読む能力が衰えればそのような「対話」「繋がり」は消えてしまうだろう。

認識(認知とは異なる)の段階というものがあり、それはあるときに「始まる」のであって、・・・終わる事はない。しかし、始まると同時に、問いは続いて止まることはない。他者性もそこに関わる。転換期において問われることでもある。

あまりここには(あえて)書いてはいないが、最も書きたいことでもある。
書きたいというのは欲求ではなく、精神史・思想史の流れに根ざすことなのだが、・・問いと応答を「言葉で/独善的にではなく/水脈にそって/書く」ことができればよいと思っている。
このblogの25時間目とは、非日常の時間、生活時間の外部という意味なのだが、いかに25時間目の1時間ー2時間を創り出せるかが常に課題なのだけれども...。
(時間はある・ないではなく、創り出すことだと思っている...)

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精神史における言語の創造力と多様性精神史における言語の創造力と多様性
著者:納富 信留
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Art Life DairyのHeyselさんにまたもご招待券を頂戴しまして(大感謝です)、フェッシュ美術館展へ行きました。なんと展示会初日に!です。
毎日新聞社の方がボッティチェリ絵画の前で写真をとってました....それはともかくとして、ボッティチェリの初期作品はヴェールや服の生地天鵞絨の質感などがあわく出ていました。日本でルネサンス作品に出会えるなんて、あまりない機会です。
これを期に、初期ルネサンス絵画の展示が増えてくれたらよいのですが。

髪の結い上げ方の表現など、フィリッポ・リッピにはまだまだ及ばないものがあり、ボッティチェリの特徴がでてくるのはこの先のことでしょう。しかしながらリッピがもっている肌の質感、ヴェールの描き方などはもうここに表れています。
ポストカードがとても美しい仕上がりです。

その他にカラヴァッジオの影響を受けた画家なども絵も多く、ナポレオン肖像画はコルシカ島から来日したものです。お薦めの展覧会です。

小さな展覧会ですが1時間半もじっくり見てしまいました....
ボッティチェリとフィレンツェの本まで(復習にも予習にも最適、ただ彫刻写真はすくない....)購入。

帰りに、ポール・ボキューズに立ち寄りました。
(私は別にパンにかならずバターをつける派ではないのですが)
エシレ産バターは別オーダーですが、あの量のバターを食べてしまったら大変なことになるのではないかという心配が。
ワインは、カラフェで1000円未満と良心的でなのがよかったです。

http://www.nhk.or.jp/art/current/music.html#music0918

9/18に放送予定のルグリ引退ドキュメンタリーの詳細が出ていましたので備忘録的に。引退までの60日間のドキュメンタリーは60分、デフィレも映るようです。ルグリ引退公演は「オネーギン」です。

ハイライト放送として、オーレリー・デュポンとの「ドン・キホーテ」も放送されるようです。輸入盤のDVDを持っていますが、衣装のセンスもややテンポがゆったりめの音楽もオペラ座ならでは....ドン・キながら優美。かつ、3幕の舞台美術などはカラバッジオの「トランプ詐欺師」や「女占い師」、ジョルジュ・ラ・トゥールが描いたジプシーを主題にした絵画を再現したようで、絵画・美術好きにとっても見ごたえのある舞台映像です。
個人的には、1幕の男性群舞(コール・ド・バレエ)がヌレエフならではなステップで好きですね、こういうシーンがとても見ごたえがあるのがオペラ座の魅力です。ジプシーは、カール・パケット。街の踊り子がアニエス・ジロー、エスパーダはジャン・ギョーム・バールです。とにかくルグリが素晴らしいのですが、それ以外にも見どころが多く、どの場面をハイライトにするのか気になるところです。オペラ・バスティーユのこの公演と、オーレリーとの「眠り」はとてもクオリティの高いDVDです。

ルグリの「オネーギン」はDVD化されないのでしょうか。
シュトゥットガルド・バレエの「オネーギン」自体がとてもいい演目なのですが、こういったタイトルがDVD化されないのはとても勿体ないです。

東京大丸ミュージアムのフェッシュ美術館コレクションが愉しみです。
9/10-28までとの事。トラキア展(同じく大丸)が良かった・美術館の展示や解説も良いので期待しています、今後もカルタゴ関連、チュニジア世界遺産・地中海関連の展示など期待してるもの多いです。
詳しくは展覧会ページを参照。

サンドロ・ボッティチェリの初期作品が見られるのと、サンタンジェロ城のあるローマの風景(風景画と歴史画の中間のように感じます)などが観たいです。
ボッティチェリの天使は図像的にヴェロッキオ(Andrea del Verrocchioの作品と共通しているように感じました。

今日は早朝起きて毎朝やる家事から在宅仕事していましたが昼から2時間寝込んでしまいました..そのまま寝込める曜日ではないので、どうにか午後から仕事場へ....大抵平日の帰宅は22時前後なのですが、朝は早いのでとにかく時間との鬩ぎ合いです。

数年ぶり、いや約10年ぶりに訪れた五色沼。
コバルトブルー、緑がかった毘沙門沼の水色は、明治期の噴火によるものでその周囲の森も若い森なのだそうです。宿泊先の磐梯山温泉ホテルにて、ガイドをするというスタッフの方とお話して聞きました。
磐梯山温泉ホテルの夕食は、会津の郷土食や地元の野菜をたくさん使ったものが多いというビュッフェスタイルです。地酒・榮泉と一緒に頂きました。イクスピアリの響の詩のお昼のビュッフェにたまに行くのですが、素材重視で野菜が多めという共通点があって美味しかった。前菜・肴好きには嬉しいと思います。リゾナーレのビュッフェは肉料理が多すぎて、味も濃すぎて私は合わなかったのですが、こちらのビュッフェならばまたぜひ行きたいと思いました、温泉も掛け流しで、モダンな内装。客室もリニューアルされたばかりで良かったと思います。4階だったので猪苗代湖の湖面と山が見えて良かったです。

台風が来たので諸橋近代美術館や会津市内には全く行けず残念でしたが、五色沼は雨が降る前に半周できました。

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ホテルには囲炉裏を再現した部分もあり、自由に楽しめます。夏休み期間だったので縁日風のイベントもありました。
ロビーにはライブラリーもあります。ゆったり静かに本や写真集が見られます。
私は最近あまり料理本をみる時間がないので、フランス+和風な野菜料理レシピブックを読んでました。

磐梯レークラインは、有料道路ですが、途中の峠からは3つの湖が見渡せてなかなか神秘的です。ゴールドラインは紅葉以外はそれほど...という感じですが、レークラインはお薦めです。

日光を歩いていても思いますが、国立公園でしか自然を残していけないのかと思うことがあります。つまり国立、権力によってしか自然も最低限保っていけないのかもしれません...規制がなければ、開発しつくしてしまうのでしょうか。価値観よりも利益主義がやはり強いのでしょうが....。
自然を個人連帯レベルで護っていこうとした英国との違いを感じてしまいます。

以上後日記入ですが、写真などを抜粋してUP。
ここの所出張もありパソコンに迎える時間もまちまち、課題も多く...なにより疲労からなのか?動悸が酷いのです。叔父を見舞いにいった際に自分も計測してみたら、とててもわるい数字が....。
・・・気を取り直して、私にとっても自然の愉しみといえば、緑豊かな新緑と夏山なのです。
紅葉はそれほど....混雑が苦手なのが理由かもしれませんが、北の丸公園のお堀の周囲、目黒の自然円(旧松平邸内を公園にしていて、庭園美術館のそばにある公園です)は都内とは思えない静けさなので今年時間があったら訪れてみたいです。

ART・美術史関連でお世話になっているHeyselさんから招待券を頂きまして、6日まで開催の上野・国立博物館・平成館での「染付」展へ。

コバルトを使った元時代、明時代の染付の大皿が美しかった。
最後のコーナーには、レプリカを触れるように展示してあり、器ごとの手触りを確かめることもできてよかった。同じ展示室には、器を日常に活かすというテーマで、単に展示するだけでなく、実際の用い方としての提案として、卓上、室内でのコーディネイトがしてあってとてもよかった。
収蔵品レベルの品々で、「朝食」「月見の茶席」などのセッティングがしてあって、質の良い物を日常に活かすことのよさを改めて感じた。
海の幸、山の幸を幕末の古伊万里の大皿にもりつけてある演出など、自然と文化の融合を思ってしまうほど。近代になるとそれが薄れてしまうように感じる。
ものは長く、大切に使いたいと思うので、こういった提案は消費社会、大量消費、大量生産と大量廃棄への別視点になると思う。ここ最近はとても忙しかったので、時間をとりもどせるような空間だった。
「空間への視点・価値観」が大切だと思う。
午前中に1人でゆっくりとみられたから、そして空いていたからかもしれませんが。

展示品ではやはり、個人的には元時代のアラベスク文様に通じるものに惹かれる。「青花蓮池藻文壺」「青花蓮池大皿」とりわけ「青花唐草文綾花大皿」が美しい。唐草模様とは、アラベスクの唐以東における文様化だと思うが、コバルトを重視する価値観は東西でも共通している。
興味深かったのは「青花宝相華文皿」で、アラビア文字が配されている。
内容はクルアーンの「予言者は言った」という意味らしいです。
この夏、大稔哲也氏の「アラビア語」について読んで、アラビア書道の多彩さをみていたからもしれませんが、とても興味深かった。
それから幕末の伊万里染付大皿のコレクションは素晴らしかった。

唐草の景徳鎮を沢山みられる機会でした。実は伊勢神宮展も一緒にみたのですが、こちらは、解説で今は失われた神像についてあったのが興味をひいた、というのも密教以降の神仏習合、平安期以降は仏像と神像はともに像化されたらしいのですが、神像では更に抽象表現になるのが特徴のようです。どことなく、最初期の雛人形などの系統に似てるような木造のディフォルメされた像が展示してありました。「日本化」するほどに、彫刻は衰退する気がするのですが、それはまだ調べ中な部分もあり、他の機会に書きたいと思います。
曼荼羅も伊勢曼荼羅など両界曼荼羅の変容、「日本化」のようなものを感じました。奈良・西大寺からの展示物は興味深かった。

ミュージアムショップで、酒井抱一の一筆箋と、「青花束蓮文大盤」の小皿レプリカ、書籍資料をかなり迷って購入...。
国立博のミュージアムショップは行く度に次は買おうと思うものがあるのですが、いつでも行けると思うとついつい先延ばしにしてしまいます。
絵葉書も新作が増えていました。

午後から眼科へいかなければならなかったので帰りましたが、国立博物館も広すぎて丸1日かけないと観られないですね。今回も東洋館まではいけませんでした。眼科は、ここ半年先延ばしにしていたことがあって行ったのですが、問題が解決せず...困難です。

マリインスキー・バレエの「ラ・バヤデール(バヤデルカ)」
レオニード・サラファーノフとヴィシニョーワ。



2009年日本公演ではサラファーノフは「イワンと仔馬」「スワンレイク」などの公演にでます、今年はエチュードのゲスト(フリーデマン・フォーゲルと競演的ゲスト)でも見ましたが、バヤデールもマリインスキーの全幕で見たい作品です。

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blogにも少しは載せているものの、4トラベルで写真ブログパーツが出来たらしく、サイドバーに設置してみました。今後、時間があるときに写真を追加できればいいと思います。
※この機能良かったのにサービス終了しましたよね。

フィレンツェは前回バルジェッロ美術館へ行きそびれたのがもの凄い心残りです。

現在、義務的な調べ物中にかかりきりという事もあり、もの凄く気になるのです。自分で確かめないと気が済まないという性分です....が我を通せるほどでもなく、心配事も重なっていることもあり。
でも今一番の望みはフィレンツェに滞在すること。

ドナテッロ、ベロッキオ作品、アルベルティ、ヘルメス文書とプロティノスの痕跡、カーサ・ヴォナローティやリッカルディ宮など、疑問と確かめたいという思いに駆られてしまいます....アッシジ、ラヴェンナもですが、やはり土地勘があるフィレンツェです。ただ、今年の春以降体調は芳しくないので、忙しい時期が続いているなか体力的耐久できるのかどうか、・・精神的にはそれ以上満たされることもないように思うのですけれど。

写真は、ピッティ宮殿からボーボリ庭園内通路(フィレンツェ市街地へ下りていく下り坂の道)すがら撮影した街並み。
いつも出掛けると大抵大雨・悪天候にあたりますが、この日は本当に素晴らしい晴天でした。






ルネサンスをテーマにイタリアに行くなら、最初は、Venezia、Firenze,Romeの順、またはFirenzeからRomeへいくのがいいかと思います。
3都市2日ずつ、またはローマから入りFirenze、またはVenetiaで帰途につくといいかもしれません。
私は最初はVinezia《マルコポーロ空港)から入り、ローマ発でした。
イタリアは最大3都市が限度。みるものが多いですから・・・・

イタリア、ロンドン、ノルマンディーに行きたいですな。それからシャルトル。


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このイラストガイドはとてもおすすめ。
読み物としても、旅の計画を考えるにせよ。

明日から「ベルギー幻想美術展」・・・数年前の「ベルギー象徴派展」がまだまだ記憶に新しいですが(その時はこんなブームはなくて、フロアに私と一緒にいった人、それに偶然遭遇した浅田彰氏と警備員しかいなかった....)、デルヴォー、クノップフらの絵画が出品するようなので会期中一度は行くつもりです。ただ、今一番見たい!というほどではなく、・・・というのもしばらく前長いこと、19世紀前後半における文学・絵画・演劇のながれ、特に象徴派とシュルレアリスム、ラール・プール・アールなどについてまとめていたので、これらの作品をみても単に「幻想」感覚は得られないという状態です。なぜ、ベルギーなのか。これは、当時主流だった実証主義・科学主義の中心こそがパリで、印象派絵画はその光学理論の応用から始まったという背景があり、そういったもので全てが説明できるわけでも、描けるものでもないという立場がとくに、カトリック土壌かつ急速に近代化にむかいつつあったベルギーにもおおきく波及したと思うべきでしょう。
この風景は、ロデンバックの「死都ブリュージュ」によく描かれています。


さて、北イタリア伝統の手法である花綱(ガーラント)を3面絵画で用いた「春の寓意」やスフィンクスは観たいですが、北方はなぜか天使がすべて女性化していますよね、私はビザンツ系〜ルネサンス期の両性的な図像が好きなので....

19世紀のフランス絵画でも天使はほぼ女性化しています。不思議なことです。
ラファエル前派で一度元の図像の流れにもどりかけます。

東洋美術でも飛翔するのは「天女」なのです。こういった図像的な解釈(深読み)をしてしまいます。

9月は2週目から忙しくなりそうで、初日にちらっと見に行ってしまおうかとも思っていたのでした。出張になったのでいけなくなりました。

9月はとにかくポンペイ展に期待したいです。
最近は国立西洋が一番「新しい」企画を組むように感じます。

他はブームの追随のような感じもします。

そんな中、庭園美術館のページをチェックしたら イタリアのマッキアイオーリ展があるとのことでこれはぜひ行きたいと思っています。
私個人的には、非古典派ではないのですが...

象徴派については、アーサー・シモンズによる「象徴主義の文学運動」がおすすめではないでしょうか。画家たちが詩人たちの作品にインスピレーションをえて絵画を書いたように、現代の私達は、絵画をみて画家の絵画ものをよみ、原点になった詩や芸術論をよむとさらに接近できるでしょう。とかくARTは「感覚的なもの」「感覚を喜ばすもの」ととられられがちな現代ですが、それだけではやはりいつまでも「  」つきの存在でしかないのではないか。


明け方に更新する内容なのかしら、、とも思いますが、8月からずっと疲れていたのが、出たようで昨日は午前中はまだ無理できましたが午後から座っていることもできず...寝込んだ挙げ句に、長時間は眠れなくて3時に起きてしまいました....

ただこういう時にしか、おちついてblogもかけないような気もします。


完訳 象徴主義の文学運動 (平凡社ライブラリー (569))完訳 象徴主義の文学運動 (平凡社ライブラリー (569))
著者:アーサー・シモンズ
販売元:平凡社
発売日:2006-03-11
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私が持っているのはとても古い版のものを中古で手に入れたのですが、平凡社は新しい装幀で出していますね。
平凡社は良い本を沢山出している版元なのに、何かブーム的なものがないと全く再版しなくなっている面が見受けられます。優れた専門書・翻訳書の多くが定価2900円くらいなのに、数年(もっとか)品切れ・絶版状態にしているために9000円、6000円になっている本が多いです。必要な人には届かず、転売している人が利益をえるようなことを減るためにも、良書の充足をしてほしいと思います。

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