1DAY-25HOURS デザイン・フォー・ライフ

from ousia@web 高嶺(Takane)によるデザイン・フォー・ライフ. テキストと写真で綴ります.

June 2009

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愛犬は昨年12月で17才になりました。黒い(タンといわれる毛色)ポメラニアンで名前はNIKO(にこ)です。名前の由来は、私が高校生の頃ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの曲を聞いていて「黒い天使」という名前から・・ですが、とても可愛い♀の犬です、高齢ですがいつまでも子供のようです。
たぶん、私も実家の母親もにこのことを子どものように思っているから・・・本人(本犬)もそう思っているんでしょう。

高齢ですが、元気です。
でも、日曜のお昼頃、痙攣・発作を起こして初めて倒れてしまい、母親がかかりつけの獣医さんに電話をしてみてもらいました。注射をして、薬をもらってきました。
私はここのところずっと早朝、仕事前に実家へ行ってにこの散歩をしていました。
(実家には他に引き取ったmix犬の中型犬2ひきと、弟がペットショップで「♀だから・各種予防接種をすると思ったより高いからやはりいらない」という理由で返品されて引き取ってきたダックスがいます。仕事前に母親が2匹を散歩にいき、仕事後夜もまた・・・という日常を15年以上つづけてきましたが、最近は夕方の散歩(2匹+ダックス)を父親が代わっているようです、父親のほうは病気休職中なのですが・・・)

日曜も朝、用事の前に実家へ行き、ご飯をたべさせて(歯がもうないので・・)きたのですが小雨がふっていたので散歩にはいかず・・・
その後のできごとでした。
犬の年齢表には16才まで記載があって、人間年齢では86才だそうです。
17才は・・・表にはのっていませんでした。
たぶん90才を超えているのかな・・でも、いつまでも見た目では8才くらいの可愛くて大人しい(おとなしいとよく散歩していると言われます)イヌです。

少しずつ、弱ってきているとは思っているのですが、やはりそれ以来仕事中でも大丈夫だろうかと気になってしまいます。
昨日は夜、薬をちゃんとのんだか気になってまた実家へ寄って、その日の薬は私がのませてきました。

頭では色々と解っているつもりなのでしょうが、やはりいろいろと想ってしまいます。

おかしな話かもしれませんが、私はディズニー映画の中では「わんわん物語」が好きですが、女の飼い主(主人公)が自分に子どもがうまれた瞬間、レディー(イヌ)に対する二の次の態度をとるのがどうしてもすごく違和感があるのです。
ああはなりたくないという気持ちがすごく強いですね・・・・
(最近のディズニーはそういう映画はありませんね・・・やはりウォルト亡き後のディズニーに対しても違和感がありますし、オリエンタルランドの初代社長亡きあとのTDRにも違和感がありますが・・・)

自分に娘が生まれたときも、そういう気持ちをイヌたちに感じさせたくないなと思い、そう振る舞ってきたつもりです。

今朝も早起きをして、実家にいくと、・・・玄関の前の階段におすわりをしてにこは散歩を待っていました。

私が出張などで散歩にいけない日も、ずっと玄関でまっているのだそうです。

薬がきいているのか、後ろ脚が少し重い足取りですがそれでも、ちゃんと歩いています。


できることをしなくてはという焦燥感があります。

写真は自宅に遊びにきたときのものです。

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マニック・ストリート・プリチャーズのギタリストというよりも詩人であり「告発者」だったリッチーが昨年2008年、11月に死亡認定され、彼の両親も受け入れたというニュースを遅れてしまったが、読んだ。

マニックスは初期のRADIOHEADやdead can danceとともに最も影響を受けたアーティストである。それと同時に、今頃になって、リッチーが書いていた詞が実感として解るようになってきたように思う。例えば、ヴァン・ゴッホからとった「哀しみは永遠に消え去らない」・・・これは真実だ。たとえば、トラキア人や古代エジプト人が葬祭を重視したのは、肉体の死以降、「苦しみが断ち切られる」と思っていたからである。よく、エジプトの棺の周りに描かれる壁画は、現世の生活を模したものではなく、「そのような豊で苦悩のない生活があるように」願ってミイラとして保存した「肉体」とともに葬ったのである。どうも、魂は肉体から離れて自由となり、夜はミイラに戻って永遠を過ごす・・・その飛翔している隼の姿がメッセンジャーとしての天使(翼をもつ霊的なもの)の原型であるようだ。その位の起源をもつほどに、本来「生」は苦しみを伴う。エターナルな哀しみ、苦痛...それは対の言語である、Live on・・・と同等の強さを持つ言葉であるように思う。
(最早現代では、出産が痛みと死を伴っていることすらも忘却しているが....)

リッチーは”詩人”であったから、多くのアフォリズムを作品に付している、当時よりも現在のほうが、なぜ、この言葉をひくのか、イプセン、キルケゴール、ニーチェ・・・正に「永遠に遅れてやってくる」のだろうという思いがする。

19世紀のフランス詩人たちが、ブルジョワ的物質主義を批判したような方法で、リッチーは、「透明化」し「物質社会」を受容した「英国」を批判した。おそらく、20世紀はポップミュージックが文学の詩の役割をおっている。日本では小説は一部、漫画などに取り入れられている部分のほうが強いだろう(文字で書かれているからといって、文字の芸術・文字の批評性をもつとは限らない。むしろ、「売るための」文体をもつ活字(もはや写植でもない)でしかないとでもいえるかもしれない)
現在の日本のポップミュージックに詳しくないのであまりいえないが、マニック・ストリート・プリーチャーズという命名からして、自発的に、他のミュージシャンとは立場の異質さを表明していた”バンド”である。


19世紀前半のフランスでロマン主義が負った役割は、教会の司祭が導いていた人々の心を、詩人が導き、人々の心の代弁を行った「伝道者」であった。

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そういう意味で、今思うとマニック・ストリート・プリチャーズとは、2名の詩人と2名の奏者によるユニットであって、やはり一般的なバンドではない。
ギタリストという呼ばれ方、ポジション、ボーカリストではない作詞者、弾けないギタリスト、どれこもれもが彼にとってはパラドックスであっただろう。パラドックスを一身に引き受けなければならないとき、そしてそれが彼の良心を傷めるならば、外的な攻撃(すなわち、具体的には、「ホーリー・バイブル」発売後の英国プレスの諸々の記事と記者たち)は彼の肉体と精神の因果関係を保っていたものを修復不可能なほどに傷つけただろう。彼が、スーパーモデルの痩身を例にとって書いていた心情は今になるとよくわかるし、「生まれながらにして流産だった(私達)」という言い方もよくわかる。リッチーは、太宰治を読んでいたが、ナルシズムを超えた自己否定、いや自己否定に向かわざるを得ない、社会の全体性・産業構造性からくす「USELESS」な世代という認識である。

日本ではロストジェネレーション、団塊Jr.とも呼ばれるが、私自身の実感はやはりリッチーが1992に「Repeat」で繰り返し詠っていた「USELESS GENARATION」である。
つまり、既存の価値観と構造に「はまる」ように育てられながらも、その構造が途中崩壊したために、価値とみなされたものの大半が「lost」したことを味わった世代だということだ。いつも思うのだが、この「切り捨てられても「社会」が痛みを感じない世代、つまり私もそうなのだが、現在、自殺者の大半の若年層がこの世代に入るのではないだろうか。

因みに「消費自体が人生の目的」(のようにみなされる)のはアメリカ60年代後半からである。日本や英国では80年代前半にそれは始まる、拡大するに従って更に「グローバル」という曖昧な表現もついてこの動きは良きモノとしての言葉のイメージも強まっていく。マニックスのリッチーなきあと、ジェイムスやニッキー・ワイアが繰り返し「自分たちは過去の遺骨のように感じる」とコメントしていたのもこのような「作り出された(表層させられた)POPに対してであり、例えば、バタイユ「呪われたもの」以来、ボードリヤールが唱えた「消費社会」とポップアートの告発だとすれば、「KNOW YOUR ENEMY」以来のマニックスはこのことをほぼ率直に表現しているアーティストである。
生死が対である以上、そこに価値を見出してきたのが人間でありそれは文化と総じていえるかもしれない、「消費だけ」という価値に肯けない人々の行き場のなさ、生き場のなさ、空虚さ、システムが高度に構築されればされるほど、この問題は根が深くなっている。話がそれてしまったが、リッチー、st.エティエンヌのエマ(だっただろう)、ブラーのデーモンが座談会をしたとき、リッチーが今でいう「消費社会」「私生活主義」批判をしたら、他の同席者たちは、「何を言い出すのか」「自分でかせいだ金を好きなように使って何がわるいのか」と、リッチーに同調する人々はその場では皆無だった。(無論私は、リッチー派なのでこの反応には驚いた)
・・・今からおそらく17年位前の話だが、その頃よりも更に、問題の根幹は「透明」になっていると思う。


リッチーの死亡認定という事実は、私の中でも大きな衝撃だった。
「真の生活は不在だ」といった、ランボー以来の詩人であると思うし、本当は、ランボーのように詩と決別してでも生きていてほしかった。
彼のような人(奨学金を得て大学を卒業し、歴史の学位をもっていたリッチー)が、単にナルシストとかアジテータというようなレッテルを貼られるのも、永遠に忘れられるように風化したりするのは、私にとっては彼の死以上に哀しいことだ。



再発売が繰り返されている「名盤」となうった記念盤CDについてはここではあえて何も言わない。私は、当時の音楽ライター・ジャーナリストたちが決して「名盤」とはいわなかったのを知っているし、マニックスを正のチャージ(電極)をもつバンドとして認知しはじめたのも「売れる」ようになってからだからだ。



10代の頃にもっとも影響を得た”詩人”として、追悼の心を捧げたいと思う。



リンク先は死亡認定を報じたページです
http://nmn.nifty.com/cs/catalog/nmn_topics/catalog_081125010111_1.htm

ずっと書けずにいたリッチーに関することだったが、愛犬が17歳になり、この間の長く短い時間とともに色々と思い出してしまった。自分が力を貰っているものたちが、地上から離れていってしまうのはとても辛いことです。

http://www.dailymotion.com/video/x2on6n_manic-street-preachers-you-love-us_music

YOU LOVE US (PV)


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デンマーク・ロイヤルバレエ公演以来、本当に出掛けられるような時間や休日が全くなく、しかし先日所用(出張)で弥生美術館の前を通ったので写真を。
弥生美術館と夢二美術館は二館共通ですが、弥生だけでチケットを売っていただきたい・・と思うのは私だけでしょうか。
朝倉彫塑館も閉館中の今、ちょっとした時間、20分くらいの通りすがりの時間でも立ち寄りたいなと想うのです。あまり休日や時間がとれないので・・・近くを通ったから少しでも立ち寄って、非日常的な時間を取り戻したいという気持ちが強いのですよね。


時間をつくって行きたいと春から思っているニコライ堂もまだ行けていません。
行ったら本も買いたいので、こちらはちゃんと時間を作って行きたい思いが強いのですが、なにせ予定がつけ難い昨今でして・・

私の現在の本籍は中央区ですが、もともとの本籍も日本橋で、文京区向丘や白山は寺がある場所でもあり馴染みが深い場所です。

私はミステリー小説は余り読まないので、あくまで映画の感想+美術史的な面からの雑感をすこし。因みに、「ダ・ヴィンチコード」の原作は、英文+日本語訳とも読みました、ネタ本と言われる「レンヌ・ル・シャトーの謎」も読みました(笑)
美術史的には「ダ・ヴィンチ」というレオナルドに対する呼び方自体からして不評ですが、意外と自然科学史の専門家の方とかもあまりこだわりなく、ダ・ヴィンチと呼んだり書いたりすることが多いですよね・・・イタリアの画家などは「家」出身でないと大体が出身地が通称として名前になっているので、名前のイタリア語の意味を考えないとおかしな感じになる気がします。ラファエロ・サンティは貴族出ですからサンティは家の名前ですが、カラバッジオ,つまりミケランジェロ・メリージ・ダ・カラバッジョも「カラバッジョ」は通称ですし、ロッソ・フィオレンティーノもフィレンツェ出身の男性という意味で姓ではないですし・・・話がそれましたが、象徴学や図像学を専門とする人が、ローマでベルニーニの作品を思い浮かばなかったり、サンティという名前でラファエロを思い浮かべなかったりすることはありえない(苦笑)
4大河の噴水や、聖テレサの法悦の作品主題は映画中のものともだいぶかけ離れていますし。だいたい、サンタ・マリア・ヴィットリア教会の内部が燃えているときは「・・・・・」呆れてしまいましたね・・・・
サン・ピエトロ寺院のベルニーニによる増築工事は、プロテスタントに対する反宗教改革の結果で、もともとのブラマンテ(〜ミケランジェロ)の設計は円(クーポラ)とギリシア正十字(要するに縦が長いラテン十字ではなくて、スイスの国旗に用いられている十字)の「真」のイデア的概念を表していたのを、劇場型・広場を備えた柱廊と聖人達の彫像によって、楕円(中心が二つある)デザインとなった経緯があります。ルネサンス様式の美しいドームはよって、広場ではなく、ピーニャの中庭側からしか現在は見えません・・・。

しかし、かいつまんでこの映画の感想を語るとすれば、「ローマの休日」以来、背景としてしか描かれず認識されてこなかった(米国や日本のようなローマから遠い場所にとってみれば)ローマの建築やバロック美術がクローズアップされ、スクリーンに映し出されたことの価値なのか、と思います。つまり、”名作・ローマの休日”のダンスパーティの喧騒の場としてすべての歴史性を掻き消されたサンタンジェロが、ペストの流行の人心を癒す意味での役割をおった「天使」像、ローマ掠奪などの歴史性を多少は取り戻せたのかな、と思う次第です。
(「ローマの休日」はよく出来た映画なだけに、あっというまに消去された「ローマ」の意味や歴史、文化も多い、という意味で、です)

でも、どうせならベルニーニの作品をスクリーンにとらえるなら、30秒でもいいから、美術史的な本来的な解釈をいれてほしかったですね!!
あまりにもフィクションや単なるミステリー的な解釈をしてしまう人が多くなって、本来の美術史の面白さや意味が影が薄くなってしまうのは、色々な意味であまりよくないとは思います。

それから、カトリックに対するプロテスタント諸国というような対立が最近の米国映画では多いのですが(あの「エリザベス・ゴールデン・エイジ」もそうでしたが・・)魔女狩りを最後まで行っていたのは北米地域だということを忘れてはいけないと思いますね・・・

しかし古文書の取り扱いの粗暴さはさすが、外国語を軽視しがちで(アメリカでは翻訳家の地位は非常に低く、翻訳家の名前が印刷されない本も沢山ある)デジタルを重んじて紙の文書を軽視するアメリカ特有の価値観だな、と思ってしまったのでした。

あくまでも原作を読んでいない立場なので、ひょっとしたら英語原文ではもっと興味深い記述や台詞や象徴性が組み込まれているのかもしれません・・・

尤も(あるいは最も)重要な台詞はシンプルに「もっと歴史を勉強して欲しいね」という言葉につきると思います。

個人的には、ローマを舞台に謎解きフィクションを設定するならボッロミーニのほうが面白い気もします。古代ローマとエジプト、フリギュアあたりまで取り込んだミステリーで、捏造が少ない歴史系映画なんてどうでしょう。単に私が観たいだけですが、娯楽の超大作ものというのは衣装や舞台装置であるセットも大がかりになるから、何がしかの巨大スポンサー・資本がつかなければ無理なのでしょうけれど。
だから逆に歴史的スペクタクルで大作映画というのは何かしかのプロパガンダを含んでいるのだ、とついつい何をみてもチョムスキー的な気持ちでみてしまいます。

それでも衣装やセットの構築に時代考証がしっかり生かされれば、それだけでも観てみたいという気持ちになるし、そこに資金が費やされれば、消費だけではない文化的な意味というのも生まれるのかもしれません。

または、「グローバル化」が”曖昧”なまま絶対価値のように言われる現在だからこそ、初期ジェファーソン草稿から逸脱してしまい矛盾を孕んでしまった「独立宣言」と「半球思考」=「ヨーロッパから南米国を「守る」という理由で「支配権」を主張したように(この理論は日本に対しても当てはまる)・・・なども問い直されるべきでは、と思うのですが。つまり、半球ではなくもはや、全球(地球全て)における一元的なシステム的な構築と支配)ということに対して・・・・


近況としては今日は今月に入って初めての休日でした。昨日などはもう縦になっていられない...という状態で、疲労が抜けにくいなと感じます。それでも、苦手な冬でないだけましなのですが・・・ですのでこの記事も結構以前に下書きしたものです。
いつもながら煩雑な文章になってしまいました。
ライブドアブログはよく写真などを投稿する際にエラーになるので折をみて、ローマで撮影したときの写真なども追加したいと思います。

ローマは教会が大変多いので、夕刻大通りを歩いていると、鐘の音がとても多重でその残響がまた美しいのですよね、始まりと終わりを同時に告げるような円環した時間を感じられる。古代ローマは、環地中海文化圏がもつ、常に規範の外部へと向かおうとする特性があると、指摘されていますが。

時を告げる鐘の音が響くような都市や街に行きたいです・・・・。

5
2009年パリ・オペラ座学校公演の「スカラムーシュ」「ヨンダリング」が素晴らしかったので、以前から気になっていた新しいオペラ座学校のDVD「パリオペラ座学校の妖精たち」を購入。

1次選考数百名を超える候補生のなかから選ばれた研修生(8才-11才)の子どもたちがナンテールにあるオペラ座学校での学科授業、バレエレッスン、寮での生活など約半年の様子を記録したドキュメンタリーDVDです。
2009年パリオペラ座学校公演に参加していた、フランソワ・アリュ(Francois Alu)、カミーユ シャニアル(Camille Chanial)、ケリー・リフォー・ラヌリ、サロメ・シナモン(Salome Cynamon)、アリシア・バイヨン、ダフネ・ヴィドゥヴィエ、シモン・カトネ(Simon Catonnet)、アドリアン(Adrien Schaefers-Hojoji),エロイーズ(Heloise Jocquevien)たちの姿が観られます。
DVDでは8-11才だった彼らも日本公演では12-15才、フランソワはスカラムーシュ役を踊るまでになっています。公演もとても良かったこともあって、このDVDでの彼らの姿、学業とバレエの両方に打ち込む姿勢が素晴らしい。
自分の言葉で、考えや想いを「言語で語ること」そして「踊ること」そうした研鑽が記録されています。

研修生である子どもたちも素晴らしいのですが、教師の指導がとてもパッショネイトです。まさにイデア的人間観とエロス的教育(学ぶほうと教えるほうが共に「こうなりたい・こうあるべき」という方向性をもつこと)の実践の場をみるようです。
表現のレッスンのスコット先生の授業は圧巻、厳しい指摘もありますが、それは偽りの混じらない言葉で、子どもたちに向けた言葉です。大人の都合から発するものではないから子どもたちも受け容れて集中します。
「人をイライラさせてはいけない。特に疲れているときは要注意。疲れていても表に出してはいけない」こういったことは、小さい時にこそ教えなければ受け容れる時期を逃してしまうし、理由と一緒に訓示を与えている様子が素晴らしいですね・・何よりも飽きさせず、エネルギッシュ。また民族舞踊のクラスでの指導もすばらしい、「あなたの言うことは正しいけど、何もしらないのねというような言い方はすべきではありません、人に接するときは優しい気持ちで」専門的な技術や知識を学ぶほど、こうした基本的なことは大切なのだということがわかります・・・
寮で子どもたちをケアするスタッフの姿勢や言葉がけの真摯さも。

すべての子どもたちがオペラ座の研修を終えて入学できるわけではなく、苦悩し葛藤を抱えて、心身の不調を訴えて去っていくこどもたちもます。こうした面も含めて、最終試験に合格し、入学する子供たち・・・色々と観ながら学ばせられるDVDです。
入学後も、毎年試験があり進級できなければ退学、入団後も毎年昇進試験があり(エトワールは別格、芸術性を体現する人として芸術監督が任命する)カドリーユ、コリフェ、スジェ(主体ある人・ソリストからタイトルロールまでこの階級から踊る)、プルミエと試験が課せられます。また、オペラ座学校は卒業時にはバカロレア合格が必要となります。(バカロレアは大学入学資格・高校卒業資格であると同時に国家試験で、これに合格していればフランス中のすべての大学に入学許可となる)

『エトワール』とこの『パリオペラ座学校の妖精』たちはバレエファンやバレエ好きな人だけでなく、学生や子どもを持ったり関わる人、いろいろな人に見て貰いたい作品です。こういうドキュメントを公共放送でするとよいのですけれど。
ミラノにあるヴェルディの「カーサ・ヴェルディ」とともに、BSのNHKや教育テレビで放送するとよいと思うのですが。

今の教育テレビは、認知科学系の内容が多いので書き留めておきたいと思います。

それにしても教育学や倫理的教養・知識的な内容を含まないでも由とされる日本の学校教育の大半は、今の時点でも近代ヨーロッパで問題にされた「殖産興業」レベルなのだということなのではないでしょうか。つまり何か(全体性)の微々たる一つ、もっと言えば、部品や納税者、あるいは消費者としての「ひと」として見なしていて、その人自体は消去していくというような。

朝8時から学科の授業、午後から6時までバレエのレッスンというこどもたちの日常をみていると、忙しい日々でも元気になれます。精進するのみですね。

「オペラ座学校公演」のパンフレットで、元エトワール・現校長のエリザベット・プラテルが「教師たち、大人たちは守護天使のように見まもっています」と書いていたのが大変、印象的だったのだが、それが本当に解る映像作品でした。
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ダンス・マガジンには、ピエール・A・ラヴォーのインタビューと写真も載っています。スカラムーシュの写真・記事ももっと載っているとよかったのに・・・
あと佐々木涼子さんが、バレエって本当は男のためのものではないの、というくらい男子生徒たちがすばらしかったと言っていたが、もともとフランスのバレエ・舞踏はルイ14世(太陽王・彼は美脚自慢だったらしいです)に起源をもつのですし、バレエが女性中心になるのはむしろ19世紀前半のロマンティックバレエやグランドバレエ(ロシア・クラシック)からなのでは・・・と思ってしまった。佐々木さんのバレエ記事はよく新聞にも掲載されますが、あの記事をよんで新たに劇場にいこう、バレエをDVDでも舞台ででも観てみようと思う人はあまりいないのではないでしょうか・・・
余計なことかもしれませんが・・・・。

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「パリオペラ座学校の妖精たち」と「エトワール」を一緒に観るのがよいと思います。エトワールには、エリザベット・プラテルの引退公演(「ラ・シルフィード」や舞台稽古中のピエール・ラコットの指導などもみられますし、ダンサーたちが自分の言葉やダンスや芸術、舞踏の解釈について語るのが聞けて充実。

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いま、白い薔薇・アイスバーグが綺麗に咲いてます。自宅ではポスト(ザ・シーズンで取り扱っているグリーンのオーストラリア製のもの)の周りに植えています。表札が入ってしまうので全体の写真は載せられませんが・・梅雨入り前のこの季節、2回めのイングリッシュローズのつぼみが付いています。特に今年はエイブラハム・ダービーが元気です。シュート、新しい枝がのびるのも嬉しい。ティージングジョージアも元気です。

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玄関に飾ったバラたち。ピエール・ド・ロンサールほか。フレームはローラ・アシュレイ、中身の絵は「ヨハネス・デ・フォスの哲学論文を呈示する天使と寓意像」(ルーブル美術館展、最後のセクションにあった絵画ですね)

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シャボー・ド・ナポレオン、つまりナポレオン帽。モス・ローズで蕾みのかたちがナポレオンの帽子ににているのでこう呼ばれているとか。
香りも良いですし、ドライフラワーにしても綺麗です。
昨年実は枯らせかけてしまったのですが今年は鉢替えをして元気になり沢山花がさきました。

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窓辺のティージング・ジョージア、黄色いイングリシュ・ローズはグラハム・トーマスが素晴らしいですが、このバラもお薦めです。ティーの香り。



・・・薔薇たちは元気なのですが、私はといえば5月末からずっと週末・平日関係なく忙しくて時間と作業に追い回されています、かといって家の中の仕事も同じようにあるわけで、帰宅時間も遅いので早朝しか薔薇の写真もとれません。しかし、睡眠不足でパソコン仕事などをしていると身体の調子もあまり良くないので、朝に時間を作って20分くらいは歩くようにしています。歩いたほうが、気分や脳にとってもいいのではないかと・・・10分単位でこなさないと1日が終わらない状態です。

本については別記したいところですが、改めて三木亘『世界史の第三ラウンドは可能か』(平凡社)を寝る前などに読んでいますが大変興味深い、第1巻は広松渉先生著、このようなシリーズが店頭に並んでいない現状の本屋は残念。

今日は久々に夕方在宅できているので、5月末以前にとった写真を掲載します。

それから、ソフトバンクの使わなくなった携帯のカメラが使えなくなって納得できません・・・この機種の前に使っていたvodafoneのはまだまだ使えます。ネットワーク自動調整がつかえないとカメラもアプリも起動できなくなるというのは、さすがサービスのわるい、見かけ上の基本費用は安くても、ネット使い放題をセットしないと安心してメールサービスも使えないという使い勝手のわるさをそのまま反映しているようです。シャープ製の本体自体は、性能もよく使い勝手もデザインも好きなので勿体ない限りです。ソフトバンクは問い合わせ時やショップでの対応・言葉遣いもよい試しがないので、店舗に相談にいく気も起きません・・・

ブログネタ
あなたは村上春樹派? or 村上龍派? に参加中!
トピックのテーマが「龍派か春樹派か」ということでしたので記事を...村上龍は中2から高3位までずっと読んでました。きっかけは、音楽(洋楽)友達たちが読んでいたからで、そんな背景からよくある「コインロッカー・ベイビーズ」から。「愛と幻想のファシズム」「トパーズ」あたりから「5分後の世界」「ヒュウガウイルス」「村上龍料理小説集」など...一番後に読んだのは「イビサ」かもしれません。キューバ音楽を先取りしたり、その当時はなぜキューバ?と思っていましたが、後になってキューバ音楽を聴いたり、ブエナ・ビスタの映画が話題になったり、個人的にはアメリカン・バレエ・シアターのホセ・マニュエル・カレーニョのドキュメンタリー「素顔のバレエダンサー」でのキューバ映像、アリシア・アロンソの言葉、ホセが一時帰国するキューバの街並みと人々、マニックストリートプリーチャーズのキューバでのライブ映像を通して、なぜ村上龍が90年代初頭からキューバと言っていたのか何年かして解った気がしましたね。
社会主義国なのに、文化継承と人々の心性が息づいているコミュニティ、それはやはり北の「私性」が暴走し独裁的利権主義的になった一つの社会主義という形とは別の可能性が息づいているからなのではないでしょうか・・・・
余談ですが、NHK50周年記念「キューバ」の特番で、アメリカ人ジャーナリストがキューバを取材しつつけている旨の番組を今年2009年春に見たのですが、アメリカのキューバに対する経済制裁措置は「物質的に貧しいキューバ」をあえて作り出すことで「資本主義帝国主義」としてのアメリカを対比的に「こうはなりたくないんだろう」と自国に云いたいがための政策なのではないかと思ってしまった。
マイケル・ムーアの「シッコ」を見たときも思いましたが・・・

話が逸れましたが、キューバ音楽、キューバの舞踏やバレエ、人々に惹かれ、それをかなり早い段階で云っていた村上龍だと改めて感じました。

「愛と幻想のファシズム」の「覚えておいて下さい。あなた方は基本的に、強い人間なのです(そうでなければ、生まれてきてはいない)」という生命の連鎖を思わせる台詞が高校生当時印象的だった。

吉見俊哉先生が、2007東京大学公開講座(秋)にて「限りなく透明に近いブルー」と「なんとなくクリスタル」(田中康夫)を比較して当時の文学批評では前者を評価していたが、実は、「なんとなく」アメリカを受容してしまい、なんとなく透明に文化が浸透してしまう戦後から現在の過程をじつによく表しているのは、「なんとなくクリスタル」のほうであると書かれていて、実にこれは面白い指摘だと思ったことを捕捉しておきます。

最近の村上龍の著作は未読だが、MSNのインタビューで”「オバマ大統領演説」の深夜時間帯にもかかわらずの高視聴率は異常、重要なのは今後彼がなにをするか、云うかを気にすることで流されてはいけない。アメリカの文化を何でも無自覚・無抵抗に受容していてはいけない、ハロウィンなど簡単に受容してしまうのが問題だ”、と云ってましたが、こういう商業ベースのイベントが対した文化的背景もなく受容される「世間」は私も違和感が大きいです。社会学観点からいえば、日本の季節行事は、農業を基本にしているので、農業が衰退すると自然に衰退してしまい、もともと文化的背景や起源が関係ない、「商業イベント」(商戦)のアバウトで本当の季節とは無関係の季節感だけになってしまうといわれています。

なぜかというと、軍事的征服よりも文化的征服のほうがはるかに影響が大きいからです・・・しかも、なんとなくアメリカ的な支配が「透明に・なんとなくクリスタル」な状態(なんとなく属州/政治的・産業的に)になって浸透してしまってもう批判すらできない状態になっているとするならば。

村上龍の話ばかりになってしまいました。
実は家人が大昔に「村上春樹の音楽図鑑」という本に村上春樹作品解説(当時の作品すべて)を書いておりまして、改訂版発行の際は私も少々編集作業に関わったことがあります。今でも図書館などにあると思います。
このブログトピックについて話したら、「別に村上龍と村上春樹は対立項ではないだろうに、対立項は島田雅彦だ」とのコメントでしたので捕捉しておきます。
その島田雅彦のゼミに知人がこの春から参加していて、学生に映画をつくらせるそうで、そういった「実験」を通しておそらく小説のテーマに反映させようというのかもしれません、普段ニューヨークにいる作家・批評家としては。

近年では、ブルータスに載っていた村上龍の「サッカーは地球を救う」のコメントが良かった記憶があります。主旨としては環境問題は南北問題であり、貧困問題であり、環境破壊や大量の薬剤散布をして数名で広大な土地を占有してプレーするゴルフに比較して、サッカーは「そういった」スポーツではない、と。
短い文章だったが、思わず読んでしまう力がある、そういう書き物をする人だと感じます。

村上龍の小説でいろいろな意味でお薦めしたいのは1969でしょうか。


長々と書いてしまいました、しかも随分と間が空いてしまいました。前回少々触れた不調と月末の忙しさ、とはいえ日々想うことはあるのでなるべく文章化できればいいのですけれど・・・

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愛と幻想のファシズム〈上〉 (講談社文庫)愛と幻想のファシズム〈上〉 (講談社文庫)
著者:村上 龍
販売元:講談社
発売日:1990-08
おすすめ度:4.0
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アメリカン・バレエ・シアター「素顔のスターダンサーたち」Born To Be Wild [DVD]アメリカン・バレエ・シアター「素顔のスターダンサーたち」Born To Be Wild [DVD]
出演:マラーホフ(ウラジミール)
販売元:TDKコア
発売日:2003-09-26
おすすめ度:4.0
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★キューバの国立劇場、街並みと人々、暮らしに溶け込む音楽と踊り、なども魅力。心打たれる。ホセ・マニュエル・カレーニョの「ディアナとアクティオン」、いとこのプリンシパルダンサーのディアナ、黒鳥のオディールの映像も素晴らしい。

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
アーティスト:オマーラ・ポルトゥオンド
販売元:ライス・レコード
発売日:2008-06-01
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〈カリブのうた1〉パラン〜カリブ海トリニダードのクリスマス〈カリブのうた1〉パラン〜カリブ海トリニダードのクリスマス
アーティスト:ララ・ブラザーズ
販売元:ビクターエンタテインメント
発売日:2000-07-05
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ラウダー・ザン・ウォー~ライヴ・イン・キューバ [DVD]ラウダー・ザン・ウォー~ライヴ・イン・キューバ [DVD]
アーティスト:マニック・ストリート・プリーチャーズ
出演:マニック・ストリート・プリーチャーズ
販売元:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
発売日:2007-11-21
おすすめ度:5.0
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もう一度観たかった「トレチャコフ国立美術館展」が今週中で終わってしまいます。6月は比較的余裕がある月の筈だったのに....という感じです。時間は「つくらないと(捻出しないと)ない」と思う日々ですが、なかなか難しく感じます。・・・
なんとなく、クリスタル (新潮文庫)なんとなく、クリスタル (新潮文庫)
著者:田中 康夫
販売元:新潮社
発売日:1985-12
おすすめ度:4.0
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