1DAY-25HOURS デザイン・フォー・ライフ

from ousia@web 高嶺(Takane)によるデザイン・フォー・ライフ. テキストと写真で綴ります.

April 2009

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パリ・オペラ座学校公演のチケットは所属のバレエスタジオを通して購入したので、先生からクラスレッスン見学の招待券をいただくことができました。
公演に先だって、午前11時からのクラスレッスンも観ることができました。

フランス本国でもほとんど公開されていないというクラスレッスンを東京文化会館舞台でみることができました。バーレッスンを40分ほど、その後12:30までセンターレッスンもみることができました。女子生徒たちのポワントワークや、グリッサード、グランパデシャなどジャンプまで本当に素晴らしかったです。

バーレッスンを観ていると、華やかで優美なバレエの基礎がここに息づいているのだということが本当によくわかります。おそらく3歳から5歳からレッスンをはじめ、10歳から特別なレッスンと訓練、教育をうけながらバレエダンサーとして、そして「あるべき人間モデル」へ導かれていく、アラベスクの指先とその先を見つめるパリ・オペラ座学校の生徒たちの持つ、力強く可能性を秘めた「美」を観ることができたと思う。

指導されていた元エトワールの先生の動きも素晴らしかった。
一瞬も無駄のない、濃密な時間。
先生が振り付けた動きに、音をつけていくオペラ座のピアニストの先生。
その音に生徒たちが瞬時に、そして自然に身体と精神が反応する。

映画『エトワール』などで繰りかえし観たレッスン風景を、リアルタイムで観ることができた。

バーレッスンでは5学年の生徒たち、センターレッスンでは6学年の生徒たちが目を弾いた。

真摯にレッスンに打ち込んでいた生徒たちが午後は衣装をつけて、舞台に上がる。

練習風景をみていると、本番の舞台にまた感動してしまった。

忘れないうちにメモ、公演の感想はまた別のタイトルで残したいと思う。





パリ・オペラ座バレエ学校の妖精たち~エトワールを夢見て~ [DVD]パリ・オペラ座バレエ学校の妖精たち~エトワールを夢見て~ [DVD]
販売元:クリエイティヴ・コア
発売日:2008-07-23
おすすめ度:4.5
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バラは、イングリッシュ・ローズの「ワイルド・イヴ」が咲き始めました。
いままでで一番つぼみが大きくて、花もおおきめの中輪です。

みなみさんから郡上八幡のお土産として、和紙の栞をいただきました。

とても色合いが綺麗。
近頃弱り気味だったので嬉しいお心遣いに和らぎました。

葛西用水に水が引かれて、早朝いってみると水鳥が沢山います。
近所の欅や銀杏も新緑がとても美しくなってきました。
この季節が一番好きなので時間をつくって歩いたりしたいものです。

東京バレエ45周年ガラ公演「エチュード」他の感想はまた後日に。
パリ・オペラ座学校公演は午前中の公開クラスレッスンも見学予定です。

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コーネリアスの公式サイトで期間限定販売していたデッド・ストックTが届きました。写真は、99年ファンタズマツアーのTシャツです、この頃はまったくライブなども行けなかった時期ですので嬉しい限り。

マタドール(matador)盤のPOINT OF VIEW POINTのCDも購入。
先日やっと聴いたのですが、3曲目のリミックスが素晴らしい。
自然音との調和、初夏の緑と風をイメージさせる。
癒しという言葉は好きではないので使わないが、・・・回帰させる音楽とでも云えばいいのだろうか。2曲目のアレンジは、どこか・・・海中POINT OF VIEWのような、どこか、効果音がイルカやクジラの超言語的な会話を想起させる。

ピクニックには早すぎる、や、ドルフィンソングを初めて聴いたときの新鮮さと懐かしさにも通じるような....

CM3の発売日が5/13に決定したそう。
メキシコ・米国ツアーは新型インフルエンザの影響で全部中止になってしまったそうです。今度コーネリアスのライブを恵比寿や渋谷でみられるのはいつだろう。
(すでにオリンピックやワールドカップよりも自分の中では大イベントなのです)

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さて、4/18は「人間の不思議と魅力」−特異を追い求めるーということで、
岡田教授(情報学環・認知心理学・認知科学)、橋本教授(科学史)によるルネサンスの科学・天文学とティコ・ブラーエについてとコペルニクス、ケプラーを交えた考察、そして岡本准教授による自然科学の歴史、アインシュタイン来日時に反相対性理論をとなえた土井不曇(どいうづみ)と「特異」というテーマで3つの講演があった。

まず、岡本准教授による講演では、当時日本で起きたアインシュタインブームは、その「難解さ」によって”世界で解るのは12人(10人)と言われ、来日直前にノーベル賞受賞がきまったというが挙げられた。もちろん12人、10人というのは「比喩」であって、キリストの12使徒や釈迦の弟子10人になぞられたものである。アインシュタインはといえば、ヘブライ大学建設のための資金を集めており、南アフリカや中国、アメリカなど日本以外にも訪れている。

さて1922年11月25日から12月1日まで東大で講演したアインシュタインに、東大大学院生で旧制一高講師であった土井不曇が反相対性理論を主張していた。これを指導教授であった長岡半太郎は阻止しようとした。若い世代が「世界的科学者に反論して失敗したら「日本」の失敗になってしまうと考えたようだ。
しかし、土井は以前からアインシュタインに手紙を書いており、反相対性理論についても書き送っており、アインシュタインのほうから、土井に会いたいという申し出があったため、講演時に質問、議論となった。

さて反相対性理論自体は、珍しいものではなかった。当時アメリカでも反論がおきていた。土井の反相対性理論については、石原純が専門的な批判をしており、愛知敬一による反論の準備もあった(が土井はこの学会を欠席)石原純は私生活でスキャンダルをおこしており、土井は専門的批判をききいれなかったらしい。そしてアインシュタインが来日したときに常に同行したのは石原であって(石原は科学者でありドイツ留学経験もあった)、どうやら新聞メディアはそういう意味でも「追って」いたためにさらなるブームになっていた部分があるようだ。このあたりの解説は社会学的な部分もあり現在の「ブーム」と似た部分がある)

長岡半太郎は、第一世代の科学者であり、相対性理論を理解したうえで反論する土井に圧力をかけたというわけではなく、どちらかといえば「日本を背負った学者である」というアイデンティティを持っていた。
土井は、科学的なことで業績をあげたいと思う「世界の中の自分」というアイデンテティをもっていたために、指導教授の反対をおしきっても「持論」を主張していた部分がある。

アインシュタインが1922年に行った講演時、湯川秀樹、朝永振一郎はまだ中学生であった。この講演とアインシュタインブームでは土井を介して、日本の学会の状況の「特異」さ、世代間の違いなどがみえてくる。

土井はアインシュタインに2日間にわたって、講演会の壇上で説明をうけ、黒板に図をかきながら説明されたという。
最終的に、土井は反相対性理論をとりさげた。

このエピソードでもわかるが、質問や異論反論というのは内容を理解していなければできないことであるし、反論自体は悪いことではない、アインシュタインもまた反論してくる土井という大学院生に熱心に説明した。

湯川秀樹や朝永振一郎らの世代は、科学が身近になってきており、第一世代の19世紀にはじめて自然科学に触れた世代とはことなってきた。
この世代になって、実績があがってくる。
森本先生の話は情報量も多く、当時の状況や今後への問いも含まれていたように思う。

いつも思うのだが、日本は外からきた学問や制度を取り入れるのはとても早い。西洋は伝統があるために、容易には受け入れられないことも多い。
ただ、進歩した技術を「どのように用いるべきか」「何のため行うか」「害悪はないか」という吟味がされないままだと結果的によい社会・世界(環境も)にはならないこともある。そういったことがこの先でとわれていることだと個人的には思う。


橋本教授の話では、16世紀の天文学者ティコ・ブラーエ(デンマーク生まれ)の新星発見を中心に、それ以前の考え方、プトレマイオス、アリストテレス、そしてコペルニクスにも触れて、ルネサンス時代の科学を紹介した。

ところで、この新星は中国でも観測されていた。古代から天文観測はされていたが、観測者は官僚であったので、世界や宇宙の成り立ちという関心には至らなかったようだ。ティコ・ブラーエから、本格的な観測が始まった。

ところでコペルニクスはアラビアの天文学者たちの考え方を参考にしたという。
私たちが使っている数字もアラビア数字だが、科学分野にはアラビア語起源のものが実はとても多い。東方、西アジアからアジアのほうが文化面が発達していたというのは実はあまり知られていない。たとえば、現在では「西洋」の文明の起源としてとらえられるギリシア文明も、小アジアや東方古代文明にもっとも接していた部分であったことが強く、アルファベットもフェニキア文字から発祥している。

自然科学の発達がともなって19世紀には学問は細分化された。それまではたとえば、幾何学、数学、哲学は一緒に学ぶものであったし、法学は文法(修辞学)数学と一緒に学ぶものだった。画家は幾何学や解剖学、歴史などが求められた。
現在でもたとえばデンマークなどでは、大学生は2つの分野を専門的に学ぶことが求められている。たとえば「科学」だけではなく「哲学」も知っているべきだとされている。知識を得て、どのように活用するのか、判断するのかが重視されている時代になっている、というよりもそれが求められる時代になっていると考えられる。
人が単独では存在しないように、学問や研究、分野も「関係」の中で成り立っているのだから、「知っている」分野が広がると「了解」することも増えてくるように思う。

長くなってしまったので、認知心理学、創造性の講演については後ほど追記します。
人間と動物の違いとは何か、という問いから、人間と機械やロボットとの違いは何か、機械やコンピュータの普及とともに、こうした問いも増えてきたように思います。それは教育にも関わる部分が多いのです。

公開講座の休憩時間が20分になり、1日の講座が3つになってしまったがやはり折角だから4つくらい聴講したいと思ってしまいます。
描かれた技術 科学のかたち―サイエンス・イコノロジーの世界描かれた技術 科学のかたち―サイエンス・イコノロジーの世界
著者:橋本 毅彦
販売元:東京大学出版会
発売日:2008-12
おすすめ度:4.0
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スーヴニル・ド・ラ・マルメゾンの花、1週間前から咲き始めてます。

私が育てているバラの中では一番早く咲くバラです。

聞くところによると、カナリー・バードという英国のバラ(野ばら系)が春をつげるように一番早くさくそうですね。

たくさんのバラの蕾がついてきて、新しい緑鮮やかな葉が美しいこの時期になりました。急に暖かくなったせいか、一日一日の生育がめざましく、数日忙しくしていると驚きあせるほどです。早朝に急いで撮影したので少々光が足りませんが、ほのかなピンクと香りが素晴らしい、すべてのバラの香の系統を把握してるわけではないのですが、ダマスク系の香り。ティーの香りが多いイングリッシュローズとは違う魅力が、オールド・ローズにあります。
スーヴニル・ド・ラ・マルメゾンも玄関に二、三輪いけておくだけで香りが広がります。ヴェネチアングラスの深い紫の花瓶にいけています。

一期咲きのばら(つまり5月-6月しかさかない本来のシーズンをもったバラ)に蕾がつくと、ほっとします。初春の手入れが悪いと蕾がつかないこともあるのです。今年は最低限の手入れしかできなかったので安心しました。ヴァリエガータ・ディ・ボローニャ(イタリアのオールドローズ)に小さな蕾がつきはじめると、自分の役割を一つ果たしたようなほっとした気持ちになります。

何か、動物や植物もふくめて、「他なるもの」に応じられることが、私はもっとも嬉しく感じるようです。

春先から夜明けが早いからか、ますます早朝に目が覚めてしまうようになりました、決して早く眠れるわけではないので、夕方になると体力がつらいことがしばしば...

アルチュール・ランボーの「地獄の一季節」は生前唯一印刷され、それも倉庫に大半が眠っていた書物。ヴェルレーヌとの決別のあと、カイロやハラルへ移って、文学や詩からは遠ざかって現地会社などで勤務し、病死するのが37歳。
ランボーの詩やマラルメは、ヴェルレーヌが「のろわれた詩人たち」において紹介したのち「伝説」となったが、本人は砂漠にいるときも、死ぬときも己の書いた詩がパリでとりだたされていることになっているとは夢にも思っていない。病気が悪化し、右脚切断の手術後、マルセイユで亡くなる。

非人称的な世界を描くことによって、その人の存在が浮き彫りになっていくというのを、ランボーを通してみることができるように思う。
ランボーを「火を盗むもの」とする解説もある。これは人間に火を与えために永遠の苦しみをおったプロメテウスになぞらえているが感慨深い。
真の生活は「不在」だといったランボーの言葉を、改めて読むと以前よりも身に迫って染み込み、抜け落ちない棘のように感じる。

田中淳一先生訳のランボーの一説を引用しておきたい。

「私とは一つの他者です。--我思うというのは間違いで、ひとが我を思うというべきです」

客観的、主観的のとらえかたすらも、現代では文脈と立場次第でいくらでも「評価」可能な部分があり、そこが(私などは)困惑する分なのだが、考える主体を「一切疑わない」という立場は...そう思いえる人にとっては楽な理論だろう。すべてを正当化できる。と同時、その正当化の裏側には、不条理に「正等ではない・正当ではない、根拠がない」と言われて退けられ、亡き者にされて(比ゆとしてではなく)いるものもあるだろう....

この種の感慨は長くなってしまうので(こうした文を書きとめておくのに、およそネットやblogはあまり相応しくないと思うのでなかなかかけなくなるのですが)すが、
「地獄の一季節」ほか読み返していて、思ったのはランボーの精神というか詩の切り口は、おそらくG.バタイユが偽名で出版していた散文や詩集にどこか通じている。
「不可能」なものへの、まなざしと焦燥、恐れ。
カトリシズムからの離反や回帰、と一口ではいえないが。。。既存の「聖」の概念への揺さぶり、など。
ジョルジュ・ルオーやボードレールが「悪」といったのは、植民地支配は大資本主義のつくる世界を「由」とする世界への裏腹への「問い」のようであり、第二帝政への糾弾が少なからず入りこんでいるように思われるし、これらは歴史の中の人と文化の生死の中で、解読されねばならないだろう。
ポストコロニアリズム、文学の衰退、絵画芸術のART(広告との関連例。つまり通俗化されたものの中で「芸術」は成り立つのか、そうではない可能性は)
などなど、疑問が出てくるのが19世紀ー現代の流れです。

自己の存在根拠が不在であるということは、物理的なものの否定、肉体の喪失へ向かうのか、リッチー・ジェイムス・エドワーズが「STAY BEAUTIFUL」と言ったことは、表層的な意味ではなく、ランボーがいうところの「不在」「美しいままで」といったことに繋がっているのではないか、とそんなことに気がつくのに私は12・3年も掛かったのだと過日思ったのでした。美しいままでというのは、「他者である自分と、人である他者の苦痛を感じるままで、忘れないままでいること」・・・そのような「純粋」さが、詩の「真髄を保つこと」だったのではないだろうか。

先々週は忙しかったせいか、また先週は(そのせいもあって余計に)不調だったためか、考えなくてはならない実質的なこと(生活上の)から無意識に離れていってしまうのか、文もまとまりませんね。


「イリュミナシオン」もまた原稿を書いたのはランボーだが、編集し題名をつけたのはヴェルレーヌである。本人は意図して編集したものではない。

バタイユもまた、初期の偽名作品は自費出版であり、小部数かつ死後しばらくたって、Gバタイユ本人の著作だと知られた。(本人は知らないままだろう)

マラルメの詩集は初版47部だという。

(日本でいれば、例えば宮沢賢治の作品は1作しか出ていないはずだ。あとは出版社から断られているため、蔵に原稿が残ったまま、病死した。樋口一葉も作品は死後に出版されたものだ)

なぜか、私の場合、10代半ばによくある、”本ではなく「書物」との遭遇”がバタイユの「不可能なもの」「ラスコーの壁画」あたりだったためか(「凄い(ヘンじゃない?)」といわれるのであまり口に出しませんが)そのせいか、現在に疑問がわくと、やはり古代研究、東方研究に興味が出てしまうのも(誰に言われなくても)昔からそういうものなのかな、...と妙に納得する分部もありました。

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今少々忙しいので走り書き程度ですが開催されたばかりのトレチャコフ美術館展へ行ってきました。フランス19世紀美術からロシア、帝政の最後の風景や人物像をおって..
「忘れえぬ女」がやはり目玉なのですが、私がもっとも好きだった絵画は「静かな修道院」でした。風景画であり、心象風景でもあり...
ロシアでの印象派・ナチュラリスム・レアリスムは「人間存在」よりも「自然(phyisi」的な存在を描こうとしているのだろうかと絵の前で、また帰ってきてから思うところがあった。

図録も購入しましたが、静謐さや色彩、細かな筆致などは印刷では再現不可能な絵画ばかり。落ち着いたら感想をまた追記したいと思います。
当日は少々具合が悪くて(しかし会期初めの春休み中月曜に見に行きたかったので...)無理をおして行ってために、少々記憶が曖昧になっている部分もありまして。
庭園美術館でも展覧会があるのでもう一度いけたらよいと思います。

それから、国立西洋の「ルーブル展」に関して。
(2回見に行きました)
混雑状況は、目当ての絵画がある方にとっては重要なことと思いますので追記を。
チケットを事前購入の上、開場と同時に入場すれば混雑とは無縁に、素晴らしい作品を眺められます。ル・ナン兄弟やクロード・ローランなど絵画の前でひとりでじっくりと人物の眼の光や表情、静けさ、空気遠近法で光でかすんだ古代建築の細やかな装飾などみることが可能です。
開場1時間もすぎれば、人声と雑踏であふれかえった空間になってしまいます。最初の30分だけ、たとえばピッティ宮殿でラファエロの聖母と対面するような、絵画芸術との出会いの時間が得らます。

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DO IT AGAIN!
コーネリアス ニュースレターから新装オフィシャルサイトにてファンタズマからセンシュアスまでのデッドストックグッズを再販するというお知らせがきまして...持っているTシャツでもお気に入りのデザイン、ELECTRIC LAST MINUTEが再販されていたのでついついあれこれと注文してしまいました。
サイズでお悩みの方へ。
ジュニアLで普通の女性Mジャストサイズくらいなのでご参考までに。Sサイズは大きめのMという感じです。Sサイズは私くらいの、164センチくらい(つまり7から9号サイズ)の人が重ね着するのにも良いと思います。ちなみにMサイズだと175cmくらいの弾性成人サイズでちょうどよいと思います。
コーネリアスのTはデザインもですが素材も良いので安心です。4/14まで。
こんな記事を書いてますが、特に広告ではありません(苦笑)
一介のファンによるおすすめレビューblog記事です。

CM3の発売がきまって嬉しいです。CM2がとてもよいアルバムだったのと、CM3で流れた収録曲が凄く良かったので楽しみです。
1/1の中目黒ラジオで流れた曲をきいたときちょっと小山田君は今カオスモードなのかな...と妙に(他人とは思えないという意味で)心配になりました。

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写真は恵比寿リキッドルーム@センシュアスLIVEで頂いた(正しくは清水さんがライブ終了後届けてくれました/くださいといっても貰えないものの一つだと思うので宝なんです)小山田君のピック。

ライブ時よりも、運動会とか、トレッキングなどのときにコーネリアスTシャツや堀江さんのバンドのTシャツなどを着ています。
自分のモチベーションを上げたいときに着てしまいます。

寒さが苦手なので早く薄着で過ごせる季節になってもらいたいものです。

CM3CM3
アーティスト:Cornelius
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発売日:2009-05-13
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CM2はブラー、マニックス、tahiti80、などのリミックスで、これらの曲はもちろん、fishのリミックスの感触が好きでした。
cm3は、pointからセンシュアスまでのリミックスワークなので大変楽しみです。
私にとってのコーネリアス・リミックスはリズムが生体リズムに反しないものがあるからかなのか、白州の水みたいなフレッシュかつ神秘な音楽なのですよね。

好きなものの感想を書こうとすると、不明瞭になってしまうのが悲しいですが。
しかし、言い尽くせないものの「よさ」とは決して論理やHOWの説明ではとらえきれない未知数があるからだと思うのです。

これから契約をする方で、メーカーごとの「保証期間」や「アフターメンテナンス(無料)」などで比較、悩む方も多いと思います。
参考になる点があるかもしれないので、実際の経験を書いておきます。

エヴァソン・マッコイ・ホームズは元々、伊藤忠商事の輸入住宅ビルダーでした。
私たちが契約する直前に伊藤忠グループからゼファーに変わり、その後、エヴァソン・マッコイという社名はなくなり、創建ホームズという会社になりました。
アフターメンテナンスに関して、契約では3ヶ月、6ヶ月、1年、3年、というアフターメンテナンスと点検が無料という条件でした。3ヶ月、6ヶ月は一緒にアフターメンテナンスを行い、1年目のときには輸入材は一年の夏をすぎてから安定するからできれば3年目で大掛かりに直したほうがいいと進められたのですが、どうも先延ばしにして忘れてしまうといやだったので、1年目にもケーシングやモールディングの隙間、ドアにできる隙間などは埋めたりペンキの塗りなおしなどもしてもらいました。正直、先送りにしていたら直せなかったところが沢山あったと思います。

3年目のメンテナンスについてなかなか連絡がこないなと思っていたところ、エヴァソンがなくなったことがわかりました。なぜ解ったかというと、会社の電話にも通じないため、エヴァソンでお世話になっていた、契約時の営業担当の方の携帯が通じたので創建の連絡先を教えてもらったのです。
もし会社の携帯しかしらなかったならば3年目のメンテナンスは受けていないかもしれません・・・エヴァソンの営業担当の方や、デザイン設計の方、工事の方はとても人間味がある方だったので個人的な問い合わせにも当時から応答してくれていたように思います。

私たちは偶然といえるくらい3年目のアフターメンテナンスまで無料で受けることができました。しかし契約時は10年保証という内容も少なからず契約を選んだ部分もあり、こうした契約が会社がなくなった場合に何も保証されないのだという残念な気持ちがあります。なんだかこういう事が多いと、会社が「保証するという品質やサービス」はほぼあてにできないという気持ちになります。法的にはどうなんでしょうか。

この記事を書くきっかけになったことについて。
創建ホームズの後は、創建アビリティという会社が有償で工事をしてくれるという内容の通知がつい先日届きました。このこと自体は、創建がなくなってから(その通知もなかったので)最低限の連絡先も知らなかった私たちにとっては基本的によい知らせなのですが、それに加えて多少いう事があるとするならば、次のことです。

この内容が保たれることを法的に保証するような、住宅業界全体か公的保証がないと今後誰も「家」を安心して持ったり・建てたりできないのではないでしょうか。
唯でさえ、日本で「住むところを確保すること」は大変ですし、取得するのも維持するのも大変です。「居住」という基本すら、最近は公的にも軽視されているように思います。まして、長く住んでいかなければならない「家」に関する契約が簡単に消失してしまう危険がかなりあるという実態はますます、「家」を買う・建てることが不振になるのではないかという気持ちにもなります。

今後契約をする場合は、「未来の保証やメンテナンス」はあまりあてにならないことを念頭におく必要があるかと思います。
施主は立ててからも悩みが多いですね・・・


追記すると、「実際に」工事を担当した工務店さんや専務や職人さんは仕事を続けられていますし、実際に何度か直してもらった家の箇所もあります。「実際に」仕事をされている方の「力」によって「家」は建てられるのだし、「建物」を直すこともできるのです。やはり職人さんたちの力や実際の技術のほうが、「会社」「メーカー」よりも頼れるのだという気持ちが強いです。

家の品質という点で言えば、高気密や遮音性、断熱性などの性能や建材の質なども今までとくに不満な点はありません。いくつかの細かい点を除けば、ぎりぎりメンテナンスを受けた3年目までに直した部分が多いのですが、やはり10年目までの点検という約束はまったく意味がないものとなりましたし、加入しているJIOの会員規約内容も2年半ほどで変わってしまうなど、「契約」社会では個人には帰責主義なのに、企業にはそれほどではないのだな、と実感することが続いています。


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晴天に恵まれました。春らしい寒さの残る白州、小淵沢。

平山郁夫シルクロード美術館ではウズベキスタン(ソグディアナ、アレキサンドロスの妻の出身地方ですね)の布と器展もやっていました。
平山さん描くパルミラ遺跡の昼と夜の絵、イスタンブールのアヤ・ソフィアの青い白さがとても美しかったです。ショップではバリ絵画も売っていて、かつてバリ・ウブドで購入した絵と近いミニアチュール要素のある風景画もあり懐かしかったです。
折をみて文と写真を追記したいと思います。

10年ぶりくらいに、国立 野辺山電波天文台にも行ってみました。