1DAY-25HOURS デザイン・フォー・ライフ

from ousia@web 高嶺(Takane)によるデザイン・フォー・ライフ. テキストと写真で綴ります.

January 2009

ブログネタ
アウトドア派?インドア派? に参加中!
ブログのテーマとしてインドア派?アウトドア派?かというテーマでしたが、こういうお題って消費者心理やマーケティングの資料データにされるのでしょうか。
モノが売れない、消費者が何を求めているのかわからない、というのが常に話題になるご時勢ですから(特に97年以降そうなったといわれていますけれど)

ピックアップテーマの答えとしてはどちらも。
良さそうな企画があれば展示会や舞台芸術(バレエ)やクラシックコンサートなども行きますが、自然散策は好きです。自然と人間がいうときに、「人間がここちよい自然」をさしているのであって、それは”自然”とは呼べないとはいいますが、人工音が聞こえない場所にいくのは心地がよいです。
あまりにも人工音があふれていますから。


同じように日常と旅は、日常を知らなくても旅することはできないし、旅をしらなくても日常を理解できないといいますが、そういうもので、インドア(文化)を愛好することはアウトドア(自然)を理解するということなのでは?

人の開発が及ばない聖域(動植物だけの領域)が産業や技術の進展以上に必要なのでは、と感じる。人が動植物に優越する存在なのだから自然を技術でコントロールしなければならないと考えるのは、一神教の考えの基本が”神”(創造主)が人間のために「自然」を作り出したと考えたためなのだが、一方で”宗教(支配の原理として)”を否定しつつ、もう片方ではその根本的なよりどころがやはり人はすべてをコントロールしなければならないと考えるのは、どこか諸刃のように感じる。
科学を現在の形で進歩させたのはやはりキリスト教の影響下だが、科学の始まりは少なくとも一神教の考え方から生まれたものではなく、自然観察と法則を発見した多神教時代(アミニズム)の人たちから始まったのだと思うことがある。

先週は仕事や試験などもあり忙しかったのですが、アーツ&クラフツ展に行ってきました。改めて記事にしたいとは思っていますが、個人的に興味深かったのは、バーン=ジョーンズの生命の木とキリストのモザイク画(ローマ)のための下絵。あまり観ている人もいなかったので、じっくり観られました。
あれこれ解読したくなるような要素を持った絵だった。
キリストも洗礼者ヨハネもマリアもバーン=ジョーンズ、ラファエル前派的な要素と南のキリスト教ではない要素(もちろん彼らしい独自の描き方がされている)が強い。伝統的な主題のようで新しい手法(というか構成)がされている。それについては長くなりそうなのでまた後日に...新聞号外にもモリスとラファエル前派の反産業化・大量生産の流れとは別のテーマにはあまり触れていなかったように思うので....
今回は過剰なほどに「いちご泥棒」が取り上げられていましたね..気のせいでしょうか。タピストリーやモリスについてなど長くなりそうなので後日記事にかくつもりでいます。チラシはやはりもっとも初期に作られた変形版の三つ折のチラシが一番デザインとしても内容としてもわかりやすく良かったです。今の駅にあるポスターだと(私は都営線で観ましたが)モリス紹介、ドイツのデザインの特色も伝わらないのではと心配に。日常こそ美しいというよりも「日常を”美しく”」ということではないでしょうか。そしてその”美”とはモリスによれば「美しくないもの、役に立たないものを家においてはいけない」というなのですし、美とは本来的にとてもストイックなものなのです。感性よりも理性が必要なもの。
機能主義的なCG造形に対する、手仕事による機能主義を超えた、機能に従属しない美術・アートという意味でもモリスやアーツ&クラフツ運動は見直されるとよいと思う。

年末にイヴリン・ド・モーガンについて記事を書きましたが、今年は夫ウィリアム・ド・モーガンの作品が汐留ミュージアムで10月から展示があるようです。イヴリンの絵画も展示されるようなので(すごく小さく表記してあるので最初気がつきませんでしたが)展示副タイトルにラファエル前派と入れたらよいのでは...



▼写真は三分一湧水。以前リゾナーレに行った時に帰りによりました。
古代史からの世界史を眺めていると思いますが、水が豊かで緑が多いのは日本の特性なのだからもっと重視したほうがよいのではないでしょうか。

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インドアとアウトドアが混在しているためか、ブログのカテゴリーなども非常に迷うところだったりします。美術、建築、住宅とインテリア、園芸(クラシックローズ)、歴史文化、舞台芸術(バレエ)、時事など5つくらいカテゴリーがないと...
結構そう思っている方は多いのではないでしょうか。

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以前ローマの都市と建築と価値観、ルネサンスの都市と建築美術と価値観、ギリシアの都市構造と価値観、ローマとの違い...について調べていたことがありますが、共通するのは”広場”という概念。
ギリシアではアゴラ(agora)、ローマではフォルム(フォロ・ロマーノ等)になります。ギリシアでは神殿が丘(アクロポリス等)と都市の広場(公の場としての日常生活・私的生活の場とは異なる)なのに対し、ローマでは聖域である神殿も広場に作り、神殿は行政と政治とほぼ同じ空間に造られた。つまり神殿は日常生活に役立つものとして変容したと考えられます。◆写真はフォロ・ロマーノ。ハドリアヌス帝の凱旋門をサイドから。2000年前の建造物。(08年4月初旬撮影)コロッセオ(フラウヴィウス円形闘技場)付近から撮影した凱旋門とフォロ・ロマーノ。
ローマの遺跡ではよく猫が昼寝しています。

ローマの土木と建築の凄さがそれが現在も実用可能な点。ローマには至るところに噴水(と彫刻がセットになっている)がありますが、これも”豊かなローマ”の象徴でしょう..富裕層はもちろん自宅に水道や浴場ももっていましたが、市民は共有の水道は使えたので水汲みという労働から解放され、常に水が豊富だった都市なのだそうです。(因みに、食料(穀物)も無料で支給されていました)

このローマ的な都市概念に基づいてほぼヨーロッパの都市は作られている。たしか、北限は植民地だったブリタニア(イギリス)だった(はず)です。
現在でも教会の前に広場があるのはこの名残です。
ローマの場合は以前も書きましたが、神殿,(多神教時代の)が教会になりました。
ヴィーナス、つまりウェヌスは表面上の美の神という概念を剥いで行くと、大地地母神に繋がっていき、カトリックがマリア崇拝を神の母として信仰対象にしたことに繋がっていくという根底がみえてきます。
逆にネストリウス派などは(ギリシア思想の影響がよりあるためか)マリア崇拝は否定され、異端扱いされてしまいますが、こういう違いは古代史・古代文化(美術建築)などみていると興味深い点です。

ラフェエロはローマ時代の神殿・大理石が石灰の材料として焼かれ破壊されていくのをみており、教皇に嘆いている手紙を出しています。
ブルクハルトはボッジョの『ローマ遍歴』を紹介して、80年後のラファエロより多くのものをみたボッジョが(遺跡の)「挿絵を入れてくれたらもっとよかったのに!」と書いていますが...ボッジョはまだカピトリーノの丘にある神殿を「完全な形」と「半分破壊された形」で見ているらしく、なんともいえない気持ちになります..

ローマでは公共建築や街道の整備などは有力者が名誉のために私財を投資して造られた。これは現在の公共事業建築が税で行われるのと対照的な価値観だと思われます。
ルネサンス初期では、これを同業者組合が行っていました。
私的な建築をすると、これもローマ・ギリシアの民主制の陶片制度(独裁のおそれがある人を投票(陶器のかけらに名前をかいてする)で追放する)なごりか、10年程度の追放があったので、コジモ・デ・メディチなどは最初大変にひっそりと慎重に私的パトロネージを行っています。
どこか、近代化は革命後に達成されるという固定的な解釈があるように思われますが、実はそれよりも自治の運営に個人がどれだけ意識的に関わっているか、ということのほうが重要で、経済的自立からそれは可能だといえるような気もします。
元々、自衛のための城壁を建設する資金を出せる人(税金)を市民と名づけていたように。現在だと一般的に税金は給与から天引きされるだけなので、そういった意識がますます希薄になるのかもしません..
クラシックという言葉の起源ももともと、納税する人々が規範にすべき、文体(文法)という意味から派生したので、古いものという意味ではないですし...

大分話しがずれましたが都市という場はでは何かというと、交換の場ということになります。農村・田園では生産を、都市には交換の機能を与え街道で結ぶというのが基本的なローマのスタイル。だからこの基本原則からいくと、都市のような田舎を延々と拡大させてしまうのはあまり得策ではない....ということになるのですが...
東京圏の拡大と一方で求心力が低下する都心というのを、半端に開発された湾岸地域や、郊外のショッピングセンター化(それも半端な)が数十年後に廃墟を生み出すだけなのではという気持ちになってしまいます。
高層化も同様に...

広場は個人の公的な生活の場であり、個人の私生活圏を守るためにも、また共通の問題を解決する場合にも重視されてきた。
後のイギリスのコーヒーハウスやクラブハウス、フランスのサロンやカフェなどもこうした機能を持っていた。
日本で「憧れのフランスのカフェ」「セレブも通ったカフェ」などとパリの老舗カフェが紹介されるたびに違和感があります。そういう単なるハイクラス気分消費者や見せびらかし精神とはまったく異なる意味がその場にはあったのだし、その後、市民的な付き合いのなかでは「文学(芸術)と政治の話は遠慮する」という暗黙の了解ができあがってしまうのもハーバマスが言うように19世紀の後半になります。
(因みにカフェ・ドゥ・マゴのティーカップ・ソーサーやクリーマーを愛用しています)


カフェのもっとも歴史があるものはヴェネチア・サンマルコ広場にあるカフェ・フローリアンです。ただし私は博物館とサン・ジョルジョ・マッジョーレなどに行っていたので中でお茶する機会はなかったのですが...アラブ商人が訪れていたためにコーヒーがもっとも早く入ってきたのでしょう。ここはモーツァルトも訪れたカフェらしく、モーツァルトファンはかならずおとづれるようです。
ちなみに、フォークもアラブからイタリアに一番最初に入ってきたのでした。

サンマルコ広場はビザンツ、アラブの様式が入り混じっていてここが西の玄関なのだなと思える場所です。現在は正規の玄関口である海からの眺めは、サン・ザッカリアへ向かう水上バスからでしか見えないのが残念ですが..
カナレットの風景画をみると、変わらない佇まいに感激します。
サンマルコ広場

ヴェネチア本島に宿泊すると早朝誰もいないサンマルコ広場やサン・ザッカリア周辺を犬の散歩をしている人によく出会いました。出会うとちゃんと挨拶してくれる人たちが多くて心地がよいです。



ローマ散策 (岩波新書)ローマ散策 (岩波新書)
著者:河島 英昭
販売元:岩波書店
発売日:2000-11
おすすめ度:5.0
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イタリア・ルネサンスの文化イタリア・ルネサンスの文化
著者:ヤーコプ ブルクハルト
販売元:筑摩書房
発売日:2007-02
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コンスタンティヌス大帝の時代―衰微する古典世界からキリスト教中世へコンスタンティヌス大帝の時代―衰微する古典世界からキリスト教中世へ
著者:ヤーコプ ブルクハルト
販売元:筑摩書房
発売日:2003-03
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公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究
著者:ユルゲン ハーバーマス
販売元:未来社
発売日:1994-06
おすすめ度:5.0
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ブルクハルト、私が持っている中公文庫版の表紙はピエロ・デッラ・フランチェスカのフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ夫妻の絵。(しかも上巻が奥さんのバッティスタ・スフォルツェアで下巻がウルビーノ公)プロフィールで描かれたこの絵の文庫がわざわざほしくて古本で買いなおしてしまったほど...。

古代ローマの建築家たち―場としての建築へ (建築巡礼)古代ローマの建築家たち―場としての建築へ (建築巡礼)
著者:板屋 リョク
販売元:丸善
発売日:2001-08
おすすめ度:5.0
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ローマの建築と公共事業、ギリシアとローマとの違いなどは上記の書籍が大変解りやすいです。地中海性とバロックの指摘も興味深いテーマです。

読売の読者特典がルーブルの額絵だそうですね!
さっそくどんな絵が選ばれているのかと観てみると、思った以上に北方絵画が多かったです。一番ほしいのはやはり7月のクロード・ロランとカナレット。

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ヴェネチアングラスの中でもっとも好きな色はこの街灯にも使われている紫の色。カナレットの絵をみると、殆ど変わらないサン・マルコ広場周辺の赴きに感心します。実際イタリアに行くと常に補修工事をしているところに遭遇しますが、保存する(ための工事と技術・資金)ということが重要だと思いますね...

都市は発展しなければならない、常に新しいものを求めるというとで、言い換えると、常に古くなるものを作り出している。かなり飽和状態になっている都心高層化計画や湾岸開発・再開発なども新しさ以外に何も求めなかったら2年程度で「古く」なるだけのように思うこともしばしば...


額絵に話を戻してロランと組み合わせるならプッサンでは...と思いつつも...カナレットのサン・マルコの風景画はほしいです。
クロード・ロランにおいて初めて「風景」が絵画の背景以上で描かれるようになり、しかしアカデミーや絵のジャンルとしては「歴史画」がもっとも重視されので、風景がメインで主題は小さいと描かれるという事情があるのですが、よく理想化された風景は写実的でないからという批判をみますが、理想は現実の先にあるものなので写実表現とイデア的造形美が備わって調和させなければならないわけですから、そういう批判はあまり妥当ではない気がします。

しかしこの展覧会額絵におけるロランのタイトルが、主題が抜けている表層的なタイトルに変わってしまっているのは、何か理由があるからなんでしょうか。
このシリーズに一枚もプッサンや古典主義(新古典主義も)も入っていないことに関係があるかもしれない...と思いました。
絵を解読しないで眺めるならば、やはりそこが(歴史画・宗教画)が抜けてしまうのか...と残念です。ル・ナン兄弟の絵すら、ほんとうは主題と象徴に満ちている。
バロックでは天使の姿は幼児(プットー)の姿で描かれましたが、これが段々とル・ナン兄弟あたりから、農民の暮らしを描いた絵画の中に描かれる美しい子供というものに変容していく。おそらくは、注文主の宗教観などと子供の発見(子供が可愛いと思われてくるのはイタリアルネサンス期(ただし絵では描かれるのはもっと遅い)以降で、ルソー「エミール」ではスワドリングが批判され、ラ・トゥールではまだまだスワドリングが描かれている。ただし、イタリア絵画(北イタリアを以外)ではエジプトからの影響で子を抱くマリア(子ホルスを抱くイシス)と地母信仰があるために北方とは異なる。北方絵画では、マリアは子を抱いていない)
ル・ナン兄弟の絵画でも、葡萄酒とパン、農民の家には本来ないはずのガラス器などはほぼ象徴として配置されている。

リュベンス(ルーベンス)が2枚入っているならプッサンがないと...と思うのですがどうなのでしょうか...
先日カラバッジオの絵画について写真もUPしましたが、カラバッジオはたびたび教会から作品受け取りを拒否されていて、その1枚をリュベンスが買い取らせて、フランス以北にカラバッジオの影響が伝わったといわれています。
しかもカラバッジオは殺人事件を起こしてから逃亡しながら絵を描いていたので、その影響は短期間のうちに広まったという..
ベルリン国立バレエの今年1月の演目が「カラバッジオ」なのですが、一体どんななのかとても気になるのですけれど。

ニコラ・プッサンはたちたびクロード・ロランと郊外にデッサンに行ったようで、互いに異なる作風を持ちながら影響を与え合って制作した。
前の時代の画家や文化(文学・思想含む)から継承されて造られるものと、もう一つなにか、こうした同時代の画家たちの交流と相互の影響が、素晴らしい作品を創造していく源泉のように思います。

デンマーク・ロイヤルバレエの「ナポリ」の動画が公開されていました。


滅多に、というか抜粋としてもあまり上演されませんが、「ナポリ」は観ていてとても楽しい場が沢山あります。特に3幕。ブルノンヴィルらしい振り付けが良いんです。ブルノンヴィルといえば「ラ・シルフィード」(オーレリ・デュポンとマチュー・ガニオ/オペラ座のDVDがありますが)が最近では有名ですが、スコットランドの民族性や音楽、衣装文化を取り入れているのに対して、やはりナポリは南イタリアと地中海らしい音楽や場面構成がまた良いのです。3幕はとても陽気な雰囲気です。ドン・キの1幕後半のような、踊りの掛け合いのような華やかさが魅力です。

19世紀の極端に技巧的・形式的になったバレエとは違う魅力があると思います。

「ナポリ」は以前一部分だけ練習を見ていたので改めて、本来的な振り付けと構成+美術はこうなんだという感がありました。是非全幕の公演も見に行きたいと思います。

19世紀プティパのグランドバレエがバレエ、というプログラムではなくて、カンパニーの特色・良さが出る演目になっていくと良いと感じます。
正直、デンマークも「ナポリ」と「ラ・シルフィード」でも良かったんでは?と思うくらいです。以前、デンマーク・ロイヤルの「ラ・シルフィード」の写真がとても絵になる美しさだったので余計です。



「ラ・シルフィード」(全2幕) [DVD]「ラ・シルフィード」(全2幕) [DVD]
著者:パリ・オペラ座バレエ団
出演:ガニオ(マチュー)
販売元:TDKコア
発売日:2005-02-23
おすすめ度:4.0
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ラ・シルフィード 全2幕 [DVD]ラ・シルフィード 全2幕 [DVD]
出演:デンマーク・ロイヤル・バレエ
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2008-04-23
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寒いので朝はミルクティー(アッサム/これは一年中)に加えて、夜はスパイスチャイを飲んでいます。すっかり定番です。1月二回目の忙しさがやっと落ち着いた..と思ったらもう2月なのですね!1日は朝から晩まですごく長いし、1週間も長く感じるのですけれど、なぜか1ヶ月はとても早く感じます。

ブログネタ
雪は好きですか? に参加中!
雪を描写した絵で思い出すのは、やはりカスパー・ダーフィド・フリードリヒの風景画(のようでフリードリヒは自然と聖性を一体化させて描いていると思われるのですが)と記憶に新しいところでは、ハンマースホイの絵画。ハンマースホイは、屋外の建築や風景を描くときに、質感の書き分けをほとんどしていないのですが、それでも冷たく静かな、音をすべて吸い込んでしまうような雪と宮殿を描いています。
フリードリヒの絵は、自然への憧憬(崇拝にも近い?ゲルマン的な...)とドイツ神秘主義の流れも感じるのですが....
VFSH0023
Winter Landscape with Churchなどを見返すと、ドイツロマン主義と一口にいっても、シンケルのようにイタリア的な風景+古典様式(明らかにクロード・ロランの流れ)とフリードリヒの描く自然風景とゴシック建築は異なる要素をもっていて興味深い。やはり沢山みるためにはドイツに行かなければならないのでしょうが...一つの流れとしてフリードリヒやシンケルの作品が展示されると良いのにと(数年前から)思っています。
△写真は3年くらい前にやはり奥日光で撮影したもの。やはりここは手付かずの自然でした。恐ろしく寒くかったですが雪が美しかったです。外気が低いので結晶のまま積もっているんですね。
スキーは興味がないのですが、クロスカントリーはやってみたいなとこういう風景の中にいると思いました。

改めてフリードリヒの絵をみると後姿を描いた([顔](個体)を持たない人物の描写/非人称的描写)フリードリヒからハンマースホイへの影響を感じます。(しかも、まるで正反対の風景に惹かれているところも興味深い点です。


冬が苦手なのは寒さもありますが、乾燥が辛い..ことです。ですので、やはり冬は雪が降ってもらいたいものです。なにかあまりにも寒々しい。
雪があれば、風景になりますし、やはり美しいです。
降り続く様子が好きです。眺めていて飽きないといいますか。
(タイトルはコーネリアスの曲から)
ディーリアスのそりをテーマにした曲も良いですね。
しかし首都圏ではほんとうに雪が降らなくなりました..

以上「雪は好きですか?」というピックアップテーマでしたので、投稿します。
UPしたのは2006年3月に撮ったらしい雪の写真です。
(確か去年は雪が積もらなかったような...)
ところで、冬は小鳥が食べ物がなく、寒さで死んでしまうらしい。
一日食べないと弱って死んでしまうらしいです、体温が保てなくて...
大抵毎日朝みかんなどを二つわりにしてトネリコの枝にさしています。めじろ、ひよどりなどがやってきます。シマトネリコは常緑の木。
(最近割と見かけるようになりました、私がこの木にであったのは確かザ・シーズン(横浜)の展示でした。11月なのに緑の葉が爽やかで気に入ったのでした)


写真の木もシマトネリコです。
雪が積もっている下に緑の葉が茂っているのががわかるかと思います。
樹形も良いのでシンボルツリーにもお薦めです。e78abdcc.JPG
・・・密かに、ニーベルングの指輪でヴォータンが世界を分けたときの杖がトネリコの枝だったという理由で選んだというのもあります...。

今週から風邪やインフルエンザが流行ってきて恐々としてしまいます。


カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ (ニューベーシック)カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ (ニューベーシック)
著者:ノルベルト・ヴォルフ
販売元:タッシェン
発売日:2006-12-20
おすすめ度:3.0
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私が持っているのは原本(タイトルが英語でしか載っていないので、原語でも知りたいと思ってしまいますけども)のほうですが作品が網羅されていてお薦め、色も良いと思います。
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7451daa4.JPGローラの家具クリフトンのチェスト。

ローラ・アシュレイのクリフトンはこのチェストと、玄関にコンソールテーブルを置いています。白ですが、アイボリーがかっていて飽きません。
年末にローラのアートフレーム(DANFUI NAI等)について記事を書いた際に(UK-JAPANのサイトに掲載)写真を載せ忘れたので追記します。
購入を考えるときに迷う方と思うのですが、私は数年使っていて、使い勝手も不満はありません、引き出しの開け閉めもスムーズです(レール仕様ではありませんが、引っかかって開け閉めしずらいということもなく)
最初心配したよりも汚れも目立ちません。
真鍮の金具も気に入っています。飽きずに長く使えると思います。
上に飾るスペースができるのが気に入っています。
好きなポストカードを飾ったり、クラシックローズがさく季節には薔薇を少々飾ったりできるのが嬉しい。玄関のコンソールにはフィレンツェ15世紀の絵画、このチェスとにはボタニカルアートを飾ることが多いです。

ドア(ノード社のドアをホワイトでペイントしています)や窓(ペラ社の窓。これも好きな色でペイントしてもらっています)などオフホワイトで統一しているのでやはりローラの家具は様式や色の点でしっくりくる家具なのです。
フレームもあわせやすいと思います。

ところで年末から春にかけて忙しい(のと寒さが苦手なので)ために大抵、本格的な大掃除はゴールデンウィークにしています...

http://www.unicef.or.jp/kinkyu/gaza/2009.htm

ガザ人道支援 第5報/アン・ベネマン ユニセフ事務局長の声明【2009年1月14日 南アフリカ・ヨハネスブルグ発】ユニセフページから記事と募金ができます。
カードとコンビニ払いで可能です。2000円からですが、任意で金額を決めて募金することもできます。気持ちの問題ですから1000円からでも、私も大体「一回分のランチ」を食べるならという気持ちでやっています、災害時や戦闘時など...

ユニセフのグリーティングカードもよく使います。
代金の50%が寄付になるのです。これはデザインを提供しているデザイナーの協力によって可能になっています。デザイナーはヨーロッパ(イギリス、ドイツなど)のデザイナーや写真家などが協力していて、写真やデザイン、印刷も美しいものが多いです。箔押しやエンボス加工がしてあったり。花や植物の写真や、植物をモチーフにしたモダンデザインなどもよく使います。
日本のカード売り場などで大抵300円くらいで売っているカード(一枚いり)よりも5枚セットで1000円のフレンチ・トワールや10枚セットのミニ・カードがデザインも美しいし、お薦めです。

手紙好きなので、実際使うよりもレターセットやカード、ポストカードを買ってしまいますけれども..フィレンツェの写本によくもちいられている柄、フロレンティンのレターセットもお薦めです。https://www2.unicef.or.jp/jcuApp/servlet/card.C1Card?category=3&item=2006010067

日常を離れてできることも少ないですが、少しでもよい方向にいくことを願っています。レディオヘッドのTOMがグノーシスとともにright placeというフレーズを挙げていたのを思い出しながら。

https://www2.unicef.or.jp/jcuApp/servlet/card.C1Card?category=9&item=2008030070
△昨年も購入した14カ国併用版(日本語含む)カレンダー。(1500円)
昨年は世界の窓辺(窓枠のデザインと花)の写真でしたが今年は世界の庭園と風景。
木々や海など鮮やかで美しい..ので仕事場用と自宅用で使っています。
写真部分は2重になっていて、一部はポストカードとして利用できますし、おすすめ。
紙質と印刷も良質で1500円ですし(12枚ポストカードがついてきて)半分の750円は寄付になるなんていいと思います。

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△写真はヴァチカンで撮影。先日、ウェルギリウスの『アエネーイス』やBBC制作”ROME”について少々書きましたが、ラテン文学の邦訳は商業ベースにのらないために参照しようとすると大変に苦労します。しかし、ヨーロッパの文化や言語、文学、芸術は現在の日本でもかなり取り入れてられて(むしろ日本の文化を忘却する形で)、英語も義務教育中に扱われるのに対して、起源としてのローマはあまりにも失われている。ラテン文学について調べているとそう感じます。
(英語は本来的にはゲルマン言語だが、単語の起源としてはノルマンを媒介にしたフランス語が入るためにラテン語を起源としているといわれる,,,現代英語の単語学習などでlootなどを調べる機会があるとそれを実感するように..)

日本では高校で古典がある程度は取り上げられているが、ヨーロッパの高校ではラテン文学やラテン語知識は哲学同様に専門分野を学ぶ前に習得するべきもの。日本だとどちらも大して触れられず、しかも進学校ほど世界史すら他の科目(英・数)などに振り替えらているから、専門科目を学ぶ段階でそれらが抜けていると認識が浅くなるのでは、と思うのですが...
方法知や知識はそれを「どのように用いるべきか」が問題なのだと常に思う。
高い技術が「商品化の差異」に用いられているが方向性としてどうなのだろう?

東ローマではギリシア文化が継承されていった(そして彼らこそが自らを「ローマ」だと思っていたという意識がある)のに対して、西ローマを直接継承した国はなかった。というよりも、”古代”といわれるオリエント世界からの文明を吸収して発展した世界は断絶し、長い間忘却された)
例えば、キケローの著作も、かなり失われている。
キケローは有名な演説や弁論のほかにも戯曲(朗読用)を書いているが、これがエリザベス朝時代の文学に影響を与えている。
カエサルは「ガリア戦記」が有名だが、他にも若いときには「オエディープス」「ヘルクレース賛美」などの詩も書いている。『反カトー論』(キケローの”老年について”=「大カトー」に対する応答)などはすべて失われている。(『ガリア戦記』は近山金次先生訳で岩波文庫から出ているので最も手軽に読めるラテン文学である)

ところで、ラテン文学の文学の意味はlittera(文字)の複数系で書かれたものすべて(書き残しておくべきもの)という意味があるので、「歴史」や「哲学的対話」「書簡」(これにはキケローのように公表されることを意図せずにブルートゥスやクィントゥスに書かれたものと、プリニウスやセネカのようにはじめから公表することを前提とした書簡集(いわば随筆)がある)なども含まれる。現在だと文学はファクトから遠のいたものとして「実学」ではないなどという誤った認識までが浸透しはじめているが...もしこのような誤認が広まれば、また人と人を取り巻く世界自体は今よりも更に衰退していくように思う。)

美術やのちの文学の規範と主題に関して見逃せないものとして、Metamorphoses(メタモルフォーセス)が挙げられるように思う。例えばナルキッソスが水仙に変身したり、カエサルが神化して星になったというような話の類だが、これをギリシア神話からローマでの普及に導いたのはオウディウス。この継承があって初めて、西洋での中世ールネサンスでの「ギリシアローマ文化」が「古典」であるという基盤がある。
以前記事で触れたカラヴァッジョはキリスト教主題に加えて、ローマ時代やギリシアの主題も多く扱っているが、ここにも「転身物語」は反映している。こうした主題の起源はオゥディウスによる集成まで遡ることができる。

キケローやカエサル、そのほかセネカなどほとんどのラテン文学は失われている。失われているほうが多い。それはやはり西ヨーロッパ崩壊後、キリスト教単一支配によって、古代文明(とそれ以前のオリエントの文明も/たとえばアラブやメソポタミアの技術も)失われてしまい12世紀と15世紀までは、東ローマ(ビザンツ)とアレクサンドリア、シリアなどでギリシア・ローマ文化は継承されて研究しつづけられているという断絶があるのだから。自らのアイデンティティのための歴史という視点ではその時点より前に視点が注がれなくなく。だからプロテスタント国家にとっての起点はやはり宗教改革になるし、アメリカではコロンブス以前(というよりも合衆国独立)は参照されなくなる。(そのために、アメリカではピラミッドが古代につくられたはずがなく、宇宙人が作ったなどと本気で言い始める人がでている始末である、とは以前も書いた、つまり歴史=近現代史18世紀中心になってしまう面がある)
ギリシアローマがなぜ現在からみても高度文化をもっていたかということは、それは前時代の、長いオリエントの文明を地中海世界でもっとも早く吸収したからであり、それ以前のギリシアの文明(ミケーネなど)とオリエントの文明を集大成させた部分があるからのように思う。

余談だがよく、歴史ドキュメンタリーなどで、日本では弥生時代のときにすでに○○だったといような余り意味のない比較が行われるが、これは単純な比較の次元としてもあまり意味がない言及だと感じる。固有のものを固有なものとして認識するべきで、比較によって評価を含ませて説明するのはあまり意味がない。というのは、現時点の自分らの認識からみて、他の地域や民族がもっている固有の文化や文明をさげすんだり軽視する視点(当然、未開のとか途上のなどという言い方)もそこから生まれてしまうように思える。そもそも進歩とは何かという問題を含んでいる。・・・


ある文化に接したときに、その文化やシステムを理解し吸収して取り入れて構築する、自らはこうあるべきというそのモデルに沿って古いものを理解吸収し、それを超えようとするとき、他との比較ではなく自らの基準によって自らを導こうとするときに、著しい進歩がみられる。しかしそれはその土地の固有性を重視した形で...

(例えば、フォンテーヌブロー派から17世紀にかけてのフランス美術、ビザンツからローマ、ギリシアと中世(キリスト教)から影響をうえた15世紀(クワトロチェント)、ギリシアを規範としながらローマが都市国家となりその後の拡大も含め、摂取と吸収、再構築した後に進展がみられるように思う。)

現在あまりにも中高の世界史内容が欠落しているので(現在の中学では古代文明もフランス革命もルネサンスも扱っていない、高校で世界史は他教科に振り返られたりするためにごくごく基本的な知識を得る機会が極度に減っている。元々、文化(政治制度的なものや宗教習慣も含む)がほとんど無知なままで(是認されて)一方で国際化などと言われているのはひどくバランスがとれないことはのでは?
そして他国の知識もなければ、日本の文化も学ばないので基準があまりにもなさすぎる、と感じるような出来事が実際に増えていると思えてならない。)

二者択一には答えはない、とは度々聞くようになったが、その通りで、(右派左派、革新と保守、ゆとりかつめこみか、進歩か復古かなどなど....)やはり「本来性」「あるべき」もののための選択や判断が必要であり、それには「起源」「始源」を知ることが必要であると常に思う。

歴史について、タキトゥスの言葉を引用しておく。
「歴史の任務は、徳行を忘れさせないこと、また醜悪な言動には後世の人々から不名誉ゆえに怖れられるようにすることにある」

実に的を得ているし、先のために、忘れないようにすることが必要であり、現在ではさらに、歴史は双方向から(ある出来事を双方向からみてとらえる)認識するべきだという流れになっている。これは、世界史ブックレット(山川)が入門としてとても便利だし、美術や文化なども写真入りで解りやすい。また岩波の「世界の歴史」シリーズも大変便利。過去に習ったり学んだものでもそれで充分ではない、双方向的な研究も行われているし、過去の評価も再度試みられているから。
もっと知りたいと思うきっかけになる本だと思う。
過去もまた一つではない。

ギリシア・ローマ古典文学案内 (岩波文庫 別冊 4)
著者:高津 春繁
販売元:岩波書店
発売日:1963-11
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ガリア戦記 (岩波文庫)
ガリア戦記 (岩波文庫)
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アラブが見た十字軍 (ちくま学芸文庫)アラブが見た十字軍 (ちくま学芸文庫)
著者:アミン マアルーフ
販売元:筑摩書房
発売日:2001-02
おすすめ度:5.0
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カラヴァッジョへの旅―天才画家の光と闇 (角川選書)カラヴァッジョへの旅―天才画家の光と闇 (角川選書)
著者:宮下 規久朗
販売元:角川学芸出版
発売日:2007-09
おすすめ度:4.5
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オウィディウス 変身物語〈上〉 (岩波文庫)
著者:オウィディウス
販売元:岩波書店
発売日:1981-09-16
おすすめ度:4.0
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キケロー書簡集 (岩波文庫)キケロー書簡集 (岩波文庫)
販売元:岩波書店
発売日:2006-12
おすすめ度:3.0
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キケローの書簡集は、秘書が死後に公表したもの。キケローが公表を意図して書いたものものではない、そのために政治と当時の社会に関わる当事者としての言葉がつづられているために資料として重視されてもいる。
(”ROME”ではアントニウス弾劾演説の場から、ヴィラで殺害されるところまで描かれていた。キケローのアントニウス弾劾の演説は、マケドニア・フィリッポスを排斥するために行われた演説に由来してピリッピカと呼ばれた。なおラテン文学は基本的に、朗読や演説するものであり読書という形で読まれるものとは区別される。
音声としての文学はホメロスもそうで、また”クルアーン”(コーラン)も詠唱するものとして書かれているから、おそらく翻訳して黙読し「意味」として理解する文学とは異なる。”読んでみたがあまり面白くない”という意見も度々みるので追記しましたが、しかし音声でその作品の原点に触れられる機会はとても少ないですね。TV(あまり観ませんが)などで取り上げられ、制作されたら良いのにと思います。現地言語で話しているときに、日本語で葺き替えを被せてしまうのもいつももったいない、現地言語が聞きたいのに...と思うことが多いです)
ラテン文学史 (文庫クセジュ 407)
著者:ピエール・グリマル
販売元:白水社
発売日:1966-12
おすすめ度:4.0
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8eb5973a.JPG蓼科バラクラにいくときに立ち寄るのが北欧料理ガムラスタン(レストラン)です。
前菜も魚料理も、自家製パンも美味しいのです。蓼科の高原・林の風景に馴染む北欧建築に料理やお皿も合っていてとてもいいお店です。
自宅は最初から北欧スタイルは選択肢にいれなかったものの、あれこれと調べていると自然にディティールやスタイルがわかるので、その様式で作られたお店に行くのは新鮮。(このガムラスタンや、日光霧降にある森のレストランなどは本格的な北欧スタイルで造られているのでおとづれること自体も楽しい)

調べたら以前は吉祥寺にもお店があったらしく、その時分にいけなかったのが残念です。どうも、表参道のFLOが撤退して以来、首都圏はフランス料理とヨーロッパ各国料理は減ったように思います。イタリア料理も本格的なところほど減っている。
こういうところにもグローバル(一元的支配による資本主義システム)が入り込んで多様性が衰退していく?と思ってしまうことも....
そんな背景もあって、自宅で作れる(自宅で作ったほうが美味しい)と思うようなレベルの外食はしないために、夕食を外食する機会も減りました。
外で食べるならば自宅ではできないものか、自分で料理するときのインスピレーションを得られるものが食べたいといいますか...お店で食べたものを再現するのがすきなのです。

表参道のギリシア料理スピローズも六本木店だけになってしまいましたし、私の唯一の休日は日曜だけなので、各国料理屋さん(ギリシア、トルコ、エジプトなど)は日曜休みのところが多く...スペイン料理、ペルー料理屋さんは日曜やっていることも多いので嬉しいですが。

先日初めて比較的地元にできたIKEAに行ったのですが、家具や雑貨よりも、北欧スウェーデン食材が買えることに喜んでしまいました。
チーズ、ニシンの酢漬け、スモークサーモン、サーモンパテなど購入。
マスタードソースやジャムも次回は買いたいです。
ハーブ、とりわけディル好きなので、ディルとニシンのマリネがとても美味しい。

文献や書籍がまた増えてしまっているので(仕事場の書庫からも移動してきたり)IKEAでは書棚を購入したいと思いましたが、やはり先日も少々書いた、陰影を作り出す装飾性を無意識に好むためか、機能的・合理的なものだけで生活空間をつくるのはたぶん落ち着かないだろうな、と感じました。
花瓶やキャンドルを購入。モノを捨てるのが好きではないので、ずっと眺めていて飽きないか、使うことで愛着を持てるかどうかで判断してしまいます。

1月-2月は休み自体も減るので回想記事ばかりになってしまいますが、逆にあれこれと脚を運んでいる時期は記事を書く時間がなかったりするので丁度いいのかもしれません...
写真は蓼科ガムラスタンの外観です。
旅行先のほうがまた行きたいと思うお店が多いように思います。








4
水辺と川岸の風景写真をUPしたからというわけではありませんが、惹かれる絵画について書きたいと思います。
ASAの読者特典であるテート・ブリテン「ミレイとラファエル前派の額絵」シリーズ、前回の特典はウォーターハウスの”シャーロット姫”の額絵だった。この絵は本当に素晴らしいと思う。色彩と素描のどちらを画家が選択するかという問題は特に色彩論争(仏)以降、二者択一的な選択として絵画の在り方を狭めてしまったように思うのだが(結果、色彩派が勝利したことによって更に)やはり絵画の本質は色彩と素描のどちらもなければならない、と18世紀、19世紀の優れた作品をみるたびに思う。
(20世紀は個人の自己表現としての「アート」というエゴの表現や感覚や感性という言葉がもてはやされたために、エゴが強い作品がより重視されたが、21世紀ではやはりエゴを超えた作品が正当に評価されるべきだと思ってしまう。アンカー展でも思ったことだが、本当に素晴らしい作品はまだまだ日本では十分に紹介されていないと思う)
ウォーターハウスの”シャーロット姫”はミレイの<<オフィーリア>>が表現した、詩情、文学性、象徴性、自然描写に加えて、風景の奥行き、写実表現が強まった上でのより幻想的な自然風景などが描かれている素晴らしい作品だと思う。

この作品をみると、トールキン”ロード・オブ・ザ・リング”の映画美術でのエルフの世界観はウォーターハウスの絵画の世界をモデルにしているのかも....と感じる。というよりも19世紀以降の美術・音楽の才能はほぼ映画に集約されて反映されているかもしれないのだが..。エンヤなどの幻想性もここにインスピレーションがあるような気がしてくる(これは私が勝手に思ったことだが、もはや失われた原風景を表現したいのかもしれない、深層の志向としてそれがモチーフになるのかもしれない。つまり衰退していく風景と、夢の存在者というモチーフが度々表現者の中に現れてくるのかもしれない。それを発見したとき、見ている私たちもまたそこに魅入られるのだろう。)重要なのはその超現実的な風景が、写真とみまがうほどの写実性によって成り立っているということではないだろうか。北方絵画やガリア系の絵画では写実性は時に美と対立してしまう。しかしウォータハウスの”シャーロット姫”に描かれるのはそれとは逆の写実自然描写による美の体現なのだと思う。ほとんど奇跡的な技術の高さによって、超現実的な風景は自然な美として絵画になる。

ウォーターハウスはローマに生まれた。両親とも画家である。
しばらくみていて、イタリアの美(イデア的優美さ)の伝統と理想と写実主義の融合と調和がそこにあるのかもしれないと私は思った。

イヴリン・ド・モーガンについて以前書いたが、ウォーターハウスの絵もさらに取り上げられるべきだと思う。

ASAの読者特典は他の新聞に比べて非常に美術・文化面での優遇が少なくなっていて大変残念なのだが、今回の額絵シリーズは本当に良かった。
ただ、額絵のフレームがただの白木のフレームだったのは残念でしかたがない。
絵画に合う額(シンプルでも黒檀調のなど、または倍の金額でも絵画の様式と合うものにしてもらいたかった。)絵にあわせたフレームも、と書いてあったので注文したのだけれど、これではあまりにも安易すぎる、不十分と思ったのは私だけでしょうか。

寒さが苦手なのでとても冬は辛い季節です。暑さには強いのですが..やはり日本の四季では初夏と夏の終わりが一番すきかもしれません。

美しい海を眺めるのが好きなのですが、河のある眺めも好きです。
川の流れのある風景が好きで、写真がなかった時代に画家はこの風景を所有したいと思って風景画を描いたのだろうなとおもうことがよくあります。
デジカメのある現代ではすぐにシャッターを押してしまいますが、風景に出会うと写真にとりたくなってしまうのも、そうした自然の一部を所有したい記憶したいという欲なのかもしれません。

Image706
湯川の眺め。歩いていると鹿によく会います。

先日ドイツロマン主義のカスパー・ダービド・フリードリヒの「孤独な木」について書きましたが、奥日光戦場ヶ原にある湿原にはこの風景に出てくるような木のある風景が広がっています。市場の法則がどこにでも入り込んでいる現在では、こうした風景も国立公園でないと保存できないのかもしれません。

Image721

上の二枚とも2008年7月末頃撮影。奥日光は首都圏から車で1-2時間で行けるもっとも自然の残る場所だと思います。


P1000166

アルノ河の風景。流れとともに歴史も感じられる。
早朝、昼、夕暮れといつ眼にしても絵になる風景。

P1000789
熊野川。山と森の深さとともに水の豊かさと美しさが凄いのひとこと。

DSCN2713
23区内にも自然は残されています。水元公園の奥深くは東京都の鳥獣保護地区。
人が立ち入れない地域をあえて守ることは必要だと思います。
初夏はまさに鷺や鴨など水鳥たちのサンクチュアリ。

すべて2008年度にとった写真でした。
写真は沢山撮るほうなのですが、あまりUPする機会もないように思うので(ライブドアブログは画像UPの機能が使いづらいのです)何回かにわけて橋のある風景、建築と風景、海と浜辺などなどテーマ投稿しようと思います。

年末にメアリ・ルノーの小説と映画『アレキサンダー』に関して記事を書きましたが少々追記を。
ルノーの描くアレクサンドロス小説では、アケメネス朝ペルシアとギリシアの文化、儀式、価値観などが巧みに織り込まれている。
古典建築とはギリシア・ローマを規範にした建築。原点であるパルテノン神殿をはじめ、フォロ・ロマーノ、エフェソスなどの遺跡、ルネサンス様式、新古典様式、そしてアメリカの公共建築も古典様式を取り入れている。大理石で出来た白亜の建築物の起源は古典建築である。しかし元々の起源をみると、この神殿は木々そのものが神殿であったという。『古典建築の失われた意味』ではゼウスのオーク、アフロディテのマートル、アポロンの月桂樹というように、木そのものが神殿の起源であって、ギリシアのデルフォイにあった神殿はこれらの木からできた小屋であり、彫刻以前には木そのものが神聖視されていたという。現在でもオリンピックの表彰に月桂樹の冠が与えら得るがこれもまたアポロン信仰が現代まで伝わっている例だろう。
この本には、建築と供犠との関わりが詳細に記されているのだが、先日記事に書いた
映画『アレクサンダー』にはギリシアの供犠の様子がかなり正確に再現されていることがわかる。(宗教儀式などを語る際に、現在の倫理観や常識で判断すると当時の人々の価値観には迫れないので、文化を理解するためにはこちらから近づかなければならないことを最初に書いておく)ギリシアの供犠には、生贄となるからだの破壊と再生が含まれている、それは死を不死なる永遠性に変容させる儀式でもあり、生死の認識と、死に対する憐れみをも含んでいる(矛盾するようだが両義的に解釈することが必要だと思う)花輪(ガーラント)で飾られ、角を金色に塗られた生贄に、大麦の籠、・・・肝臓の具合を祭司が調べて判断をする、という供犠の様子がガウガメラの戦いのシーンにはかなり詳細に映像化されているのがわかる。
このガーラントもギリシアでは樫、りんご、などで作られたが、北イタリア絵画に描かれるガーランドでは檸檬、オレンジなどに変わるところは興味深い点だと思う。

BBC/HBO作成の「ROME」でもこのような犠牲のシーンはあったが、ローマの宗教として描かれていた(メイキングでもそう語られていた)。補足すると、「ROME」第1部でアティアが息子のオクタヴィアヌスの安全を願って受けていた宗教儀式は、ローマの宗教(ユピテル/ゼウス神の宗教)というよりもキュベレー/アッティス信仰の儀式(おそらくタウロボリウムの儀式)であって、ギリシア・ローマの宗教というわけではない。しかし、ローマの裕福な支配層はこの儀式を受けると20年神聖な人生を送れるという信仰があったので20年ごとに儀式を受けていた。ローマは宗教が生活に役立つものであれば、かなり寛容に他の地域の多神教を受け入れて活用し、実際にエジプト、小アジアの多神教も取り入れていた。あのパンテオンは被支配民族の神すべてを次々に祀っていった場所だが、被支配民族の神をそのまま受容する寛容性が、ローマの他民族、他宗教支配を支えていたといえる。宗教=価値観の反映でもあるわけだから、価値観の強制がされずに既存の宗教(価値観や慣習)が保存されることは反発が少ない。
また初期キリスト教とカトリックは紀元前の文化や宗教と繋がりがあることは行事や聖書記述にもその形跡が残されている。

この構造と方法を先立って行おうとしたのがアレクサンダーで、成功させたのは帝政ローマだといえる。カトリックの三位一体も、元々はエジプトのオシリス、イシス、ホルスの三位一体信仰と通じる部分があるのではと思う。(ジークムント・フロイトは「モーセと一神教」でユダヤ・キリスト教とエジプトとの関わりを指摘している。当然だがイスラームも神や天使が共通(ムハンマドはガブリエルから啓示を受けた)し、イエスも預言者として扱われているセム系の一神教である。キリスト教からは異教徒と呼ばれているイスラームだが、イスラームではユダヤ・キリスト教徒は旧約聖書を共通の聖典としているために「啓典の民」という認識だった。アブラハム信仰も共通している)

P1000085

△写真はヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂。新古典主義様式で、ヴェネチアの本島にはそぐわないからとマッジョーレ島に建築された教会、ラテン十字型の身廊の内部は大理石の白さがまぶしいほど。ひんやりと静まり返って明るい空間に彫刻と絵画が一体化しており、素晴らしい。水上バス(ヴァポレット)ですぐ行けるヴェネチアのお薦めの建築のひとつ。(08年3月に撮影)

古典建築と様式は人体のプロポーション・比率が反映されているが、「古典建築の失われた意味」ではさらに、神殿を構成する要素こそが身体であって、それは建築用語にそのまま現れている。柱頭、柱身、など供犠の過程から派生したものだと考えられる。そして、陰影を作り出す溝や水平のえぐり模様は、黄泉の国を表すギリシア語と同様だと指摘されている。古典建築に多用される垂直の溝は儀式で流される血が滴るためのものだという指摘がある。重要なのはもはや失われているこのような意味を知らないままに私たちは古典様式を受け入れて継承していることと、その意味が完全に様式美になっているという点だと思う。無意識に(と言っていいだろう)そこに私たちは「あるべき姿の美や安定」を感じて、時代や場所を越えてその様式が今も生きていることに驚きを感じる。
白亜の美、完璧な比率、優美さの中に供犠と犠牲、死と再生という本来性(生死も他の生物の犠牲も人間からは切り離せないものなのだから)が含まれている。

この本はギリシア語表記も多々含まれていて、写真も豊富なのでとても興味深い。
映画『アレクサンダー』の読み直しを含め、こうした意味の解読は興味深いと感じた。

余談だが、数学のピタゴラスの定理で知られるピタゴラス主義は、こうした供犠とそれによる肉食をタブーとした人たちである。ベジタリアンは19世紀以前はピタゴラス主義と呼ばれていた。因みにイギリスで生まれたベジタリアンという言葉はベジタブル(野菜)という意味からきているのでないのです。ここでこのことに触れるのは別に肉食や供犠のことを批判したいわけではなく、物事や考え、さまざまなスタイルの起源を知ることの興味深さについて書きたかったからでもあります。


古典建築の失われた意味 (SD選書)
著者:G. ハーシー
販売元:鹿島出版会
発売日:1993-10
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前述したとおり、写真も入り用語はギリシア語表記もついている。読み方も親切についている。

アレキサンダー プレミアム・エディション [DVD]アレキサンダー プレミアム・エディション [DVD]
出演:コリン・ファレル
販売元:松竹
発売日:2005-07-29
おすすめ度:4.0
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日本盤はないがRevisitedと題されたオリバー・ストーンがもっとも造りたかったバージョンのDVD(2枚組3時間40分の長編ではありますが)には更に詳細な文化歴史背景の映像も加えられている。

ROME[ローマ] コレクターズBOX [DVD]ROME[ローマ] コレクターズBOX [DVD]
出演:ケヴィン・マクキッド
販売元:ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2008-03-19
おすすめ度:4.5
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このROMEでのオクタヴィアヌスの言動(ストア派的な言動がよく出ているし幼少の頃からギリシア哲学をよく学んでいる点み描かれている)もあまり周囲に理解されているとはいえない点がよく描かれているように思う。ローマでは弁論術がとにかく必須というのが元老院や都市広場内での演説シーンによくあらわれている。アレキサンダーはプトレマイオス朝初代ファラオのプトレマイオス(アンソニー・ホプキンス)によって語られるシーンから始まるがローマではそのプトレマイオス朝最期の女王クレオパトラの死(ローマに”凱旋”させられるアントニウスと共に)まで描かれている...カエサルとブルートゥスの決裂シーンの静けさが大変見事。

ローマ帝国の神々―光はオリエントより (中公新書)
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モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)
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P1000609
△2000年前に建築されたパンテオン(ローマ)アグリッパの名前は正面に刻まれている。他宗教の神を祀った。(ローマは建築や街道の整備に私財を投じることが富裕層や有力者の名誉だった。この慣習はユマニストたち15世紀のフィレンツェとメディチ家にも伝わっているのでは)ラファエロ・サンティの墓もパンテオンにある。08年撮影、パンテオン内部にて。

先日の追記になりますが、バレエダンサー10名のランキングがダンスマガジン誌上(2月号)に発表されていました。
個人的にランキングという形ではないですが男女別にバレエダンサーを挙げてみたいと思います。

<女性ダンサー>
オーレリー・デュポン
アリーナ・コジョカル
スヴェトラーナ・ルンキナ
マチルド・フルステー
マリ・アニエス・ジロー
レティシア・プジョル
マリア・アイヒヴァルト
マリーヤ・アレクサンドロワ
エレオノラ・アバニャート

<男性ダンサー>
マニュエル・ルグリ
マチュー・ガニオ
アンドリアン・ファジェーエフ
ウラジーミル・マラーホフ
アレクサンドル・リアブコ
イリ・ブベニチェク
カール・パケット
バンジャマン・ベッシュ
カデル・ベラルビ


バレエダンサーそれぞれによさがあり、その人の特性というものがある。
バレエも一言でバレエとは何かといえるものでもない。しかし作品はテーマと本質をもって造られているのだし、それを最大限に表現することが作品を演じ、踊ることになる。舞台をみるときには、そんなことを思って見ることが多い。
現在思いついたところで挙げてみたが、例えばマリーヤ・アレクサンドロワは身体能力の高さとパのダイナミックさに加えて繊細な音楽性が素晴らしい。「カルメン」も「オディール」も「ドン・キ」も彼女ならではの魅力が出る。マチルド・フルステーも音楽性の高さと身体能力の高さが素晴らしく「スパルクタス」でみられるような魅力、「ジゼル」などのロマンティックバレエの繊細さもとても表現力が高いと思う。
(マチルド・フルステはダンス・マガジン1月号にバーレッスンの様子が掲載されていた。ところでルグリもローラン・イレールもオペラ座の昇進試験ではプルミエに選ばれなかったダンサーだった。スジェからエトワールに任命され、その後の活躍と芸術性は言うまでもない。やはり卓越した芸術性というのは時には、何か「試験」をクリアする以外の天性のものが必要なのではないだろうか...マチルド・フルステもそんなダンサーのように思うのだがいずれにしてもプルミエ以上のダンサーだと個人的には思っている。また彼女の「スパルクタス」が観たいと思う。「ジゼル」や「シルフィード」またはベジャールやプレルジョカージュの作品も合っていると思う。両義性を表現できるダンサーだと思う。)エレオノラ・アバニャートはシチリア生まれのダンサー。中世シチリア・ノルマン時代を彷彿とさせる地中海と北方ノルマンの特性を持っているダンサーで「メディアの夢」などで観られるようにコンテンポラリーでの神話性や神秘性が作品に華を添えることができるように思う。
演技力とバレエのテクニックの正確さ、音楽性含めてマリア・アイヒヴァルトも素晴らしい。マリ・アニエスジローは、地母神的な歴史性をも体現できるダンサー、彼女のほかにはそのようなダンサーはまだ見られない。

バレエのパやヴァリエーションを美しく踊ることはもちろん、正確に踊ることもかなり難しい。しかもどんなに難易度が高く、身体に負担がかかる動きでも、演じ踊るダンサーは、「美しく、至福の喜び」を表さなければならない。二重性を含んだ構造がすでにそこにあるわけだが、たとえばジゼルの2幕は「死んでいるけれども活き活きと」(自らの内発性に操られるように)演じ踊らなければならない。
振り付けを正確にこなす、自分のものにするだけでも大変な超人間的なことだけれども、素晴らしいバレエはさらにその地点を離れた表現に至っていることが多い。
そうした舞台を見られるときに観客もダンサーも何かを共有することができる。

素晴らしい公演をみたあとに、劇場を去りがたい気持ちになり、もう一度みたいと思うが、例えばギリシアでは劇場空間を市民が共有し、悲劇を共有することで人との繋がりを築き、都市国家(ポリス)の基盤となっていたというのもうなずける気持ちになる。

生きていくためには物質以上のもの、余剰なものが必要で、そのためにアートや芸術
は生まれてきた。踊りも芸術も神にささげられるものとして発展してきた面があるが、それは本来、時間の有限の中で生きなければならないことに気がついた人たちによって、「人」が心から必要としたために生まれたのだと感じることがある。

素晴らしいバレエをみると歓びで一杯になるとアリシア・アロンソがかつて言っていたがその通りだと思う。

2009年のバレエ公演で注目しているのは、すでにチケットを取っている「パリ・オペラ座学校」の4月公演、東京バレエ45周年の「エチュード」とノイマイヤー作品、デンマーク・ロイヤルバレエの「ナポリ」。エチュードにはマリインスキーのレオニード・サラファーノフとシュツットガルドのフリーデマン・フォーゲルが出演するとの事。
デンマークロイヤルの「ナポリ」はおそらくこのカンパニーでないと全幕公演はしない演目だし、踊りも見ごたえある場が多いのでぜひ行きたいと思っています。

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踊る男たち―バレエのいまの魅惑のすべて踊る男たち―バレエのいまの魅惑のすべて
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Dancer’s Dream~パリ・オペラ座の華麗な夢 Vol.4 ラ・バヤデール [DVD]
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[フィガロブックス] マニュエル・ルグリ パリ・オペラ座バレエへの招待状 (FIGARO BOOKS)
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ベジャールの第九(東京公演)の模様も収録された名盤。バレエとは何か、ダンサーとは何か、オペラ座のダンサーたちの言葉と言語を超えた表現。

ダンスマガジンの最新号をみた。特集はシュツットガルドバレエのほかに、2007年12月から2008年11月までのダンサー、演目、振付家についてのアンケートと紹介記事でした。
私なりに選んでみると

素晴らしかったダンサー(3人まで)
レティシア・プジョル(パリ・オペラ座)、スヴェトラーナ・ルンキナ(ボリショイバレエ)、マリア・アイヒヴァルト(シュツットガルドバレエ)


勿論、マチュー・ガニオとマニュエル・ルグリも素晴らしかった。
演目が持つ特性(テーマ)をどのように個々のダンサーが踊り演じ舞台で表現するかということに加え、音楽性の表現も含めて3名選びました。本当に素晴らしかった。


印象に残った演目
「ル・パルク」(パリオペラ座バレエ)レティシア・プジョル・マニュエル・ルグリ
「カノン」イリ・ブベニチェク振付
マチュー・ガニオ、アレクサンドル・リアブコ、イリ・ブベニチェク
(エトワール・ガラBプロ)
「オネーギン」ジョン・クランコ
「春の祭典」(東京バレエ)ベジャール振付

振付家
アンジュラン・プレルジョカージュ


プレルジョカージュのバレエの振り付けは文学と絵画、神話と歴史の構造、演劇と詩の象徴性、深層心理とイメージなど多様な要素がコラージュされていながら、断片的でないテーマを持っている。
ダンスマガジンにはアンジュラン・プレルジョカージュの「白雪姫」(フランスではどうプログラムに記載されているのか?)の記事も載っているが大変に気になる。
ル・パルクが90年代に初演され、十数年以上たってやっと日本で初演されているが、こうしてパリで初演される演目が10年20年経たないと日本では上演されないというのは、とても残念なことです。観客が自らの視点をもって公演に行くようになってきているとは思うのでぜひ新しい作品とクラシックの作品を組み合わせたプログラムが増えると良いと願います。


ダンサーと演目に関して言うと、「ギリシアの踊り」(ベジャール)の中島周(東京バレエ)も素晴らしかったと思う。ミシェル・ガスカールのギリシアの踊りをインスピレーションにしていると話していたけれども、舞踏のような言語を使わない芸術のエッセンスとパッションの継承というのはこういうインスピレーションというか啓示の体現なのだと思った。


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男性ダンサー、女性ダンサーを10名選ぶという特集もあったのでこれも後日追記したいと思います。2009年に期待する公演についても含め...
先に少々書いてしまうと、ランキングに入っていませんでしたが、オペラ座のマチルド・フルステーが素晴らしい。それから、ルンキナは本来ならばランキングに入っていなくてはおかしいダンサーだと思います。バレエの美が振り付けの動きを超えたとき、パの一つ一つにこめられている象徴に多様な言語性が加わり、音楽のような響きになるのです...判然としない表現かもしれませんが、バレエは一瞬ごとに消えていく芸術なのだが、素晴らしいバレエは完成されたイメージと永遠に規範となるような美を「出現」させてしまう。実は絵画とバレエは似ているのですが、眼の前に見えるもの以上、描かれたもの以上、つまり、描写されたもの以上、物理的な身体の動き以上、相乗効果が作り出す美を見せてくれるときに観るものは強く心動かされるのです。

過日2008年を振り返ってというタイトルで行って良かった美術展についてミレイ、ジョット展などについて書きましたが、今まで見て記憶に残る展示についていくつかピックアップしてみたいと思います。

「ベルリンの至宝展」
べルリン博物館島からの展示の数々、古代エジプトからドイツロマン主義までとにかくすべてが見ごたえがあった。バビロンの装飾レンガの青い色彩、西アジア美術、ギリシアローマ美術、ラファエロ・サンティ、プッサンまでどれも本当に素晴らしかった。フリードリヒの絵画を目当てにいったのですが、ボッティチエリ、シンケル、古代エジプト、オリエント美術など何時間いても飽きない空間でした..ニーチェを描いた絵画の日差しの明るさと赤いゼラニウムが印象的...
そして3回は行ってしまったように思います。

「カラバッジオ展」
イタリア年の目玉でミケランジェロ・メリージ・ディ・カラバッジオの作品とカラバッジェスキの作品が庭園美術館で展示され、本当に充実の展示でした。
これも数回脚を運んでしまった。
絵画にあわせた額絵やフレームも充実していました。
眼の前に今も掛かっているのはこのときに購入したナルキッソスです。

P1000629

写真はサン・ルイージ・ディ・フランチェージ教会(ローマ)で撮影した「聖マタイの召命」(2008年4月撮影)
この教会にはカラバッジオの大作が3つあるのですが、日本人で観に来ている人は他にいませんでした...斜めから観ることになるのですがとにかく鮮烈なほどに、浮かび上がる絵画です。



「パルマ展」
スケドーニの「墓の前の3人のマリア」が見られてよかった。
パルミジャーノの模写(ベルナルティー・カンピ)の作品などとにかく見ごたえのある作品ばかりだった。あまり人が入ってなくて実にもったいない。
観るほうはゆったり、好きなだけ観ることができたので空いているほうがいいのですけれど。解説もイコノロジーを取り入れたもので丁寧だった。
宗教画だから関係ないなどと思う人がまだ多いのはとても残念です、西洋絵画は歴史画と宗教画が長い間メインなので、それを避けていたらもっとも素晴らしい作品を見逃すことになる。主題も調べると画家と時代によって様々に書き分けられていてとても興味深いのですよね...

「鑑真和上」展
モナ・リザ(モンナ・リーサ)と交換条件にフランス側が指定してきたのが鑑真和上の坐像です。昨年、唐招提寺にもいってきましたが、公開される日ですらこんなに近くでは見られないのでは...といいますか、おそらくもうこんな機会はないのではないでしょうか。存在感..作品と呼ぶのもおこがましくなる気持ちがしますが、実在している何か、鑑真和上の存在感そのものを造形したかのよう。


「アレキサンドロス大王と東西文明の交流」展
East-West Culture Contact from Greece to Japan
まさか横たわる(眠る)ヘルマフロディトス像が来日するとは思っていなくて、驚嘆でした。エリアーデなど書の中でしか見たことがない作品がここに...という感じでした。プロフィールで刻まれる通貨の変遷なども含めとても興味深い展示だった。
金の蔦冠などのマケドニアの装飾品やアケメネス朝の杯、アレクサンドロスの頭像も多数あり、改めてみるとメアリ・ルノーの小説でアレクサンダーの顔はそれ以降の時代の彫刻すべての顔として残っているという旨の記述があるがその通りかもしれない。
先日図録も改めて見直したりしていましたが、やはり買って帰らないで後悔するよりはいつでも手元において眺められるのが重要ですね。

図録は帰ってから読み返す以外にも実は、時間がたってからみて役立つことが多い。映画や小説、文献を読んでいてふと思いついて見返してみるととても参考になることがあります。

フェルメールの「絵画芸術」「リュートを弾く女(音楽)」の2点。
またガンダーラ美術展ではヘレニズムの流れや多神教の変容が感じられて興味深かったのを記憶している。回顧展ではアンカーの絵画がまとめて観られたのも良かった。


近年のものを選んでみましたが、やはり時間が経っても作品との出会いは忘れません..絵画展も一期一会的なものを感じますが、広告やチラシに掲載されていない重要作品に会場で出会うこともあり、WEB上でももうすこし全体の概要がわかると良いと感じることがしばしば...

勿論ここに書いた以外にも「あの作品がよかった」..というのは多々在ります。
今回は企画自体、全体として素晴らしかった、貴重な機会だったというもの中心に。
新しい視点を与えてくれるような展示にいくと、様々なきっかけを得ることができると感じます。

「テロとの戦い」という言葉は、実態をすべて隠してしまう。
その言葉が使われるたびにそう感じる。
実際に攻撃し、被害者はそこの地域に住んでいる「住民」なのに、「テロとの戦い」という一言で、殆どのことが転化されてしまう。

この問題は非常に根深い。
しかしもともと異質なもの同士ではなく、同質な部分があるだけにいっそう根深い。
考古学の世界でも、イスラエル建国の根拠を巡って様々な論議が重ねられていた。
宗教的に、同じ一神教からの宗教改革の結果として成立した宗教同士なのでやはり難しい面がある。・・・・
歴史、経済、宗教、文化、そういったものをすべて取り込んでいる。
そのため、どれか一方の理由だけで解決がなされるわけではないだろう...
両者の世界観と価値観を理解する立場であれば、調停できるのだろうか?
共存または並存できる協定が必要だが、難しいのは、実際に記憶に生きている犠牲の連鎖が、和解に近づくことができるかどうかなのだが、・・・・
本当に難しいと思う。
しかしそれが、並存可能になることを願っている。
二者択一に答えがないのが、もっとも難しい問題の特徴だから、勝者と敗者を決めるような対立や戦闘では何も解決しない。

「テロとの戦い」という言葉の簡略化・物事のディフォルメは、「環境問題」という言葉と似た問題があるように思う。実際に起きている出来事や問題は、一言で済ませられない複雑さと、ひとことで指し示すことが可能のような明らかな問題点を含んでいる。ブルータス誌上で村上龍が「環境問題とは実は貧困問題なのだ」という指摘を短い文章の中で的確にしていたが、そういう国際社会上の構図から語らないと、「テロとの戦い」という言葉ですべての問題が覆われて正当化されてしまう。

セキュリティジレンマが激しく起きているときこそ、明確に問題の原点が明らかにされるべきだと思うのだが...

元旦にCORNELIUS中目黒ラジオを聞いたことは少々記事でも触れましたが、以前他の場所に書いた2007年のライブの感想をUP。

2007年 3/9(金)コーネリアスのライブ(恵比寿リキッドルーム)に行ってきました。
整理番号150番代で(4年前前回はAX40番台だった)前列のはじっこで観られました。 ”POINT”の時は、CD音源のバンドでの再構成的な部分もあったのですが(勿論CDはPOINTは最高傑作だと思ってるんですが)今回はバンドサウンドとしてライブでしかできないクオリティに進化していた。凄い。CDはCD(完成した作品)、ライブはライブでのみ可能な音楽空間を提供してオーディエンス(観客)と共有してできる空間、というようなコンセプトとポリシーを感じた。
映像や見せ方の工夫というか洒落っ気も職人気質、しかもライブの場を楽しんでるのがさりげなくひしひしと(重要)感じられて。アーティストは自己表現としてのライブを行いますが、アーティストというアイデンティティよりも音職人、いい意味でのマニエラな気質がコーネリアス的なPOPさで演出されており、それが2時間続く演奏となってものすごい密度でした。自分がここにいるというポジションを越えて、世界への視点をずらしながら、環世界を表現する、(しかも、さらっと..) 素晴らしかった。

今回、POINTの時はちいさすぎて無理でしたが、今回思い切って子も連れて行きました。できれば聴かせたかったし、臨機応変に周りをみながら無理なく聴かせられたらいいかと思い、心配もしていたのですが、スタンディングでも子供も普段から聞いてるコーネリの曲だし飽きるわけがなく、ちょっと疲れながらも大丈夫でした。同じく端から観ようというスタンスの周りのお客さんも良い方々で感謝。気を使ってくれてるのがわかり有り難かった。スタッフの人もつらくなったら前に出られますからねと言ってくれたのですがなんか子連れで図々しいのも嫌なので(私はずうずうしい子連れが大嫌いなのです..)、はじっこで最後まで愉しみました。

で、終演後、ホールを出て、ロビー方向の出口に向かってあるいていたら、うしろから清水さん(ベースの方)がいらして、娘に「あ、これ・・・」と何かを手渡してくれました。・・・「小山田くんが使ってたピックです」

すごくさり気なくれたので私も「あ!ありがとうございます・・」(小声)とさり気なくお礼を言ってしまいましたが、サプライズ!!!
「また聴きにきてくださいね」
(私が貰ったのではありません、あくまで娘にくれたのです)
フェンダーの白いピック。字が剥げててちょっと欠けてる使用感が・・・リアル・・・。

ツアーのリーフレットと一緒に大事にとっておこうと思います。長年&ベストアーティストとして小山田圭吾好きすぎて本来信じられないんだがあまりにも自然な流れでもらってしまったので、静かな歓びで一杯です。
自分の日記でのみひっそりと書いておきます。


曲は「POINT OF VIEW POINT」「DROP」「Bran New Season」と「LIKE A ROLLING STONE」「BEEP IT」が凄かった。荒木さんのドラム格好いいです。

公演アンケートが配布されたので書こうとおもってます。
が、その中の一番最後の項目に「興味がある事はなんですか」みたいな普通の質問のあとに「最近どうですか?」って質問があって「らしいなぁ・・」とほのぼのしました。作り手もリスナーにもサブジェクト(レヴィナスがいうところの”顔”)があることをコーネリアスグループはわかっている。(しかもさらっと..)
いいですね。 一度可能ならば国外のライブにも行きたいです。

from nakameguro to everywhere#

CM3が発売されるのが今年の春の楽しみです。

ルネサンスとは19世紀にフランスでなずけられたために定着した言葉ですが、そもそもはリナシタ。

先日NHKフィレンツェとルネサンスについての番組が再放送されていたのですが、ルネサンスの幕開けがマザッチョの絵画からというのはある意味では正しいけれど、厳密にいうと少し違う。
日本ではどうしても美術=絵画という認識が強いのですが、ルネサンスの幕開けは、ギベルティとブルネレスキによる洗礼堂扉の彫刻コンクールです。
いえ、その番組でドゥオーモを紹介したときにも15世紀の建築家という一言で終わっていたので、ブルネレスキの名前をどうしても挙げたくなるのですね。コンクールでゴシック的な美が支持されたためにギベルティにやぶれ、ローマで古代石積み建築を独自に学んだ後、フィリッポ・ブルネレスキがあのサンタ・マリア・デル・フィオーレのドームを完成させた話は、アルベルティの「絵画論」の冒頭の文と同じく感動的なエピソードだと思うのでちゃんと説明してほしかった....何も知らずに、大聖堂の壁に落書きをするような人がでないためにも、きちんと扱ってもらいたいです。

P1000183

写真は聖ヨハネ洗礼堂。フィレンツェの守護聖人もヨハネです。
ファサードとジョットの鐘楼を背にした位置から撮影。
ペストが流行し、社会的外国的にも決して安寧な時代でなかったからこそ、市民が参加してコンクールを行ったという経緯があります。
(ドゥオーモも屋根の工事もコンクールで決められて造られましたが、この完成までのエピソードはとても興味深い)

放送された中では「商人」という言葉で語られていましたが、すぐにイメージされる商人とはちょっとニュアンスが違うと思います。現代で言うところの実業家的・企業家的なニュアンスでとらえるべきだと思います。クワトロチェント(15世紀イタリアでは、そういう人たちが私財を投じていったのがフィレンツェ美術と建築の遺産。
それは現在の私的「所有」や「消費」ではないのですし...
同業者組合についても語らないと、ルネサンスの特徴がつかみづらい。彫刻についていえば、それまでの浮き彫り彫刻から、古代ローマ以来丸彫り彫刻(360度の造形)が復活したのもルネサンスの大きな特徴でしょう。ドナテッロのブロンズ彫刻「ダビデ(メルクリウスともいわれる)」と聖ゲオルギウス(大理石彫刻)が素晴らしい。

番組の後半で、レオナルドとラファエロについては語られていましたが、見事にミケランジェロについてはスルーされていたのも...やはり日本人にとっての美術がとりわけ「絵画」であって、フィレンツェでのミケランジェロの仕事は彫刻と建築、ローマではフレスコという特徴からなのでしょうか。
以前「芸術センター」誌内に掲載されていた記事で、レオナルドは「万能の人」「科学主義」と持ち運び可能な「タブロー」(キャンパス絵画)の芸術家・自然科学の祖として現代の「展示会」向きだが、ミケランジェロは建築と一体化した彫刻や建築と空間、大規模な壁画など「持ち運びできないビジネス向きではない」から現代では軽視されてしまっているというのを読んだことがありますが、まさにそうだという思い。
少なくとも18世紀まではある種”万能”でない人は、活躍できなかったように思います。
多面的な人が求められ、人間像としてそうあるべきだとされていたので、個々の分野も発達したのでしょう。個人的には19世紀以降、分野の細分化と専門化によって方法知が進展したことと同様にあるいはそれ以上に語られるべきなのではと思うことが多いです。
レオナルドは、アルベルティが「絵画論」で述べた絵画を完成の域に導いたといわれる面が大きく、実践者であるというべき。

私物としてのアートとパブリックな市民意識の上に成り立つアート、その違いも大きい。つまり、誰もがアクセス可能な、広場や教会、市庁舎などに美術が求められたこと、そこに市民が参加したという意味を重視したい。
そして誰もがアクセス可能という意味には、誰もに求められる作品・建築保護のモラルということが前提になっていることも重要だと思う。


フィレンツェ―初期ルネサンス美術の運命 (中公新書 (118))
著者:高階 秀爾
販売元:中央公論新社
発売日:1966-11
おすすめ度:5.0
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パトロンたちのルネサンス―フィレンツェ美術の舞台裏 (NHKブックス)パトロンたちのルネサンス―フィレンツェ美術の舞台裏 (NHKブックス)
著者:松本 典昭
販売元:日本放送出版協会
発売日:2007-04
おすすめ度:4.0
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△1フィオリーノ金貨の価値と芸術家たちに支払われた金額などから更に、ルネサンスを解読していて大変興味深い本。あっという間に読めてしまう愉しさと情報量の多さ。

ミケランジェロ (岩波 世界の美術)ミケランジェロ (岩波 世界の美術)
著者:アンソニー ヒューズ
販売元:岩波書店
発売日:2001-09
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△テキスト・写真ともに良質で、空間や細部、質感が伝わるオールカラーの写真。
実物を見たくなる作品、メディチ家礼拝堂やシスティーナのフレスコの色彩も鮮明+自然。このシリーズはとても良いのでぜひとも揃えたい本が多いのですが、在庫切れも多く本当に残念..

絵画論
著者:レオン・バッティスタ アルベルティ
販売元:中央公論美術出版
発売日:1992-10
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アルベルティが最初ラテン語で書き、その後、トスカーナ語(イタリア語/日常言語)で書いた絵画論。ブルネレスキにあてた文には、ドナート(ドナテッロ)、マザッチオの名も挙げられている。リナシタ(ルネサンス/古代の復興・復活)(技術・知識・方法・文学・哲学)の意義と自覚が現れている文章、遠近法についての記述とても印象深い...

ウィーンフィルの今年のニューイヤーコンサートの指揮がバレンボイム!とあって楽しみにしていました。
一体バレンボイムがどんなワルツやポルカを指揮するのかという点についてはもともとバレンボイムはバレエ公演の指揮の中で第一人者でもあるので同じ舞曲だからきっと良いに違いない、と思っていました。
(バレンボイム指揮の「スワンレイク」は隠れた名盤(DVD)です。)
選曲も彼らしく、ニューイヤーコンサートという範疇をこえたイヴェントのように思った。時代の節目、要としてのコンサートという思い。
洋の東西文化を意識したプログラムと、シュトラウスの小気味よい音、コンサートの間中、オケが一つの楽器のように聞こえた。ハイドンの曲では演出も楽しめたけれど、それ以上に楽員が減っていくのに音楽の余韻が漂い、改めて「音楽」は物理的に還元しきれないものなのだと感じた。と同時に指揮者ばかりに注目される現代で、一人ひとりの楽員と楽器が奏でる音のすばらしさと重要性が感じられた選曲だったと思う。自宅で中継をみながら何度か拍手したくなったニューイヤーコンサートでした。(そして実際に聞き終わったあと拍手をしていました)

バレンボイムだから、マラーホフがでるかな?と思っていましたが、久しぶりにニューイヤーコンサートでマラーホフが沢山踊っていてよかったと思い、怪我の後ずっと懸念していたから色々な意味で観られて感銘を受けた。ニジンスキーの”牧神の午後”を踊った「マラーホフの贈物」ではまだ怪我の後で存分に踊れない風だったので..

それにしても、ニューイヤーコンサート時のバレエに関する解説はいつも適切にされていないように思います。日本の場合、クラシック好き、バレエ好き、オペラ好きというようにジャンルが固定されてしまっている(ようにみえる)からかもしれませんが、31日少々見た、オペラとクラシックのまとめ特集(教育)でも思ったが、グランド・バレエの見所を「ストーリー」で説明するのはあまり意味がない。オペラもストーリーを解説したり評価するものではないのだが、バレエをストーリーで解説するいいかげんな習慣はやめてもらいたいですね...特に19世紀バレエは形式なのだから、見所を解説するとしたら、「場」と「踊りとその構成と固有要素」なのです。


話がそれましたがバレンボイムとサイードの対談は名著です。
新年のうちにその話も追記したいと思います。
重要なのは「自己」と「他者」を互いに認めること、そして対話をすること、その衰退した場を作ること。だから、よく言われたりコメントされるように「国境は関係ない、きえていく」というような認識では、何も良いほうに変わっていかないのです。
昨日もそういったコメントが放送されていたので、私は「違う」と思ったのでした。

ニューイヤーコンサートの後は中目黒ラジオを聞きました。
(これについても改めて書くつもりです)


2008年UKJAPANの12/31の上位ランキングに入ることができたようです。
記事はUK-JAPAN2008のサイトから読めます。
記事を見てくださった皆様ありがとう御座います。
英国関連ならばどうしても書きたい...と思いながら時間ぎりぎりに書いたものの間に合わなかったアーサー王伝説と19世紀末美術と映画の記事は掲載されなかったのですが、またそれについても総括として書きたいと思います。

年末は30日まで仕事のためか疲れが出るのか大晦日や新年は熱がでたり風邪を引いたりが多く、今回も少々疲れが出て新年の更新が遅くなってしまいました。。

ともかくも忙しない年末年始の最中、ニューイヤーコンサートとバレンボイムのコメントとプロージット!ノイエ・ヤールの声に新年と節目を感じられた。


バレンボイム/サイード 音楽と社会バレンボイム/サイード 音楽と社会
著者:A・グゼリミアン
販売元:みすず書房
発売日:2004-07-20
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出演:マラーホフ(ウラジミール)
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映像作品というよりもマラーホフの記録としてとても重要なのが「ナルシス」(DVD)だと思います。バヤデルカのレッスン、ナルシスのレッスン風景は特に若いときのマラーホフがいかに才能を持っているかが理解できる。「薔薇の精」「ナルシス」はバレエにおけるニジンスキー的な流れ、ギリシア的美と詩情の系譜がもっとも現れている。
バレエ・リュスの芸術が、19世紀パリを席巻して評価され、詩人、音楽家、画家の活動の中に位置づけられ、互いに影響を与え合った存在(事件)になったことと、アメリカでのバレエリュスがその価値を本来性ではない方で独自解釈され、アメリカ的に吸収されてしまう事は対照的だと思う。(しかし南米にバレエが根付いてキューバで花開くことはとても重要に思える。このあたりは、「素顔のバレエダンサー」(DVD)にアリシア・アロンソによって語られている。)
ベルリンに来た直後でまだロシア語を喋っているマラーホフが現在ではほとんど英語でインタビューに答えているのも感慨深い気持ちになりますし、G.バルビエの絵とともに語られるニジンスキー的な舞踏の系譜もとても興味深く貴重な映像。

ニューイヤー・コンサート 2009 [DVD]ニューイヤー・コンサート 2009 [DVD]
出演:バレンボイム(ダニエル)
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