1DAY-25HOURS デザイン・フォー・ライフ

from ousia@web 高嶺(Takane)によるデザイン・フォー・ライフ. テキストと写真で綴ります.

April 2008

機能主義・認知科学は人間の「心」の状態を作り出せるか?という目的をもっている。機能主義や認知科学の立場の本を数冊よむに従い、教育の方法や、社会現象の捉え方・解説、映画や著作の感想まで、今まで「本当にそうなのか?そう考えるべきではないのでは」と思うものが全てこの機能主義的な考え方に因っていると思えるようになってきた。

人間の心の状態を作り出すことが可能かという問いに対しては、人間の心や脳の能力はどんなものなのかという問題がある。

多様性、創造性、など、過去の人間が作りだしてきたものを考えたとき、それらを機能主義は説明できるのだろうか?

人間の心の状態、とは個々の差異をどの程度含んでいるのだろう。
個々の差異ではなく、良質だが平均的な心や脳の状態、を想定しているように見える。

心の状態を人工的に創り出すことを目的とし、それがやはり不可能と解ったとき、実は、人間の心・脳の機能をロボット・人工知能AI・コンピュータレベルにすることが同時に目的となっているような気がする。
これは私の単なる思われにすぎない。

携帯電話や携帯ゲームを常時携帯し、情報に対して受動的になる。
能動的にみえて、それは機能に対して受動的である。


例えば、読解力の低下や不足。
これを補うために、一部の私立中学などでは国語に対して「論理エンジン」という教材を用いるのだが、これは、方法論を持たない子供に対して、ソフトウェアとして「論理エンジン」型の解法を与え訓練するという方法がとられれている。
私はこの方法を聞いた時に、強い疑問を感じた。
実行プログラムを与えているだけで、それは根本的な解決法ではないと思うからだ。

対して、違う私立中では国語では読解と共に作文を重視し、「答えが簡単にはでない問題に対して自ら問いを持つ」事を重視している。
問題の存在に気がつくこと、また問いに対する解法だけではなく、考え方を重視すること、画一的な回答ではなく、多様性に可能性をみる事。

こういった事が重要に思えるのだが、世間の風潮的には前者のプログラムを与えてその通りにこなす事が支持されている気がする。

因みに中学受験専門塾出身の生徒は、上のタイプに属していることが多い。
高校生になるとその与えられたプログラムだけでは解けない問題、つまりプログラムを実行するだけではできない勉強になり問題が露呈してくる。
小学生の9歳頃から12歳頃に自然体験や自ら関心をもって興味を持つ体験などが希薄になると、思考の源泉のようなものができないのではないだろうか、等と考えてしまう事が多い。

また、表層=真実とだけとらえると、物事の背後にある本質などが見過ごされて、問題のありかを見失う事が多々あると感じる。
機能主義を支える思考では、見えるもの・認知できるものだけを扱う。
こうした物事だけではやはり解決できない問題がある。

考え方というものは、多様なものでそれぞれに十分でない部分を含んでいる。
自然科学や経済の発展と共に失われた価値観や思考方向なども含めて、考えるべきではないだろうか。

このような考え(悩み?)が日常的に気がつくと仕事や生活の合間に浮遊している。

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このブログのほかにいくつか旅行ブログを書いていたのですが、サーバーを引っ越したりするうちに消失してしまったのでここにもいくつか機内食について書いておきたいと思います。(なぜなら私自身も旅行するときには飛行機のサービスやら特徴、機内食やのみものについて調べてしまうからです。このブログも次に利用する方が快適な旅ができるようにUPします..)

エールフランスは成田からシャルル・ド・ゴールまでとシャルル・ド・ゴールからヴェネチア(マルコポーロ空港)まで利用しましたがとても快適でした。
ワイン好きならば、エールフランスはとても快適だと思います。
機内食もワインと一緒に食べることが前提になっている味付けというか、休日にピストロで食べる食事ようで楽しめた。かならす、チーズ(白カビタイプのもの)が出るのもとても嬉しいです。サラダにもフェタチーズなどが入っていて食材も素材もおいしい。
エール・フランスの特徴としてはやはりアペリティフ(最初の飲み物サービス)でシャンパンが選べるところですね!
その後の食事ではワインがもちろん選べます。
ヴアン・ルージュ/ブランとオーダーしましょう。

半分くらいはフランス人のお客なので、通路ですれ違うときは「パルドン」といえばスマート..リクライニングしすぎな日本人は気配りできなくて顰蹙かいますから周りに気を配るほうがいいです。しかしフランス人はやはり本をよく読んでますね。私も長時間フライトで数冊本を持ち込んでゆったり読書できました。

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食事はどれも美味しかった。ワイン好きにはお薦め。

6e24a388.JPGフィレンツェの小さな街で、ドゥオモの存在は本当に素晴らしい。

アルノ川沿いを歩き、シニョーリア広場を抜けてしばらく歩いて初めてサンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂が見えたとき。視界一杯に顕れるその姿。
圧倒的とはこのことだった。
あたかもそこにあるのが当然のようで、それでいて奇跡をみるような存在感。
幸福なことに、その日のトスカーナ、フィレンツェの午後は快晴で前日までの雨は嘘のようだった。聖母の衣服に使われるウルトラマリンのラピスラズリの青を溶かしたような空の色とドゥオモ。日本からイタリアに行き、ローマ、フィレンツェに行けることが現代に生まれて良かったとほとんど唯一感じる瞬間でもあった。
50年前や100年前には容易に叶うことはないのだから。

フィレンツェは当時、危機的状況にあった。
聖堂の前にある洗礼堂の扉は、ギベルティとブルネレスキの二人が競った。
市民意識が強いフィレンツェではこのような作品制作にコンペが行われた。
これは作品を作るがわにとっても重要なことだが、更に重要なことはコンペで決めることによって、多数の市民が意見をもってそこに参加することができるということ。

ブルネレスキはこの対決ではギベルティに敗れたが、このドゥオモのドームをつくりあげた経緯を知ると、この建物に近づいた瞬間に味わう奇跡そのものなのだと思えてくる。ブルネレスキはローマの古代レンガ積みから学びドームをつくることができた。

ルネサンス(リナシタ)は美と数学がもっとも接近した時代であり、モノと精神性がもっとも調和したときでもあると思う。技術知識だけで解明できるもの、ではない。
それは自然模倣や自然主義などということ以上に語られなければならない。
そして感性や審美的ということ以上に、技術が可能にできるものがあるのだとこの時代をみていると感じる。

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