May 2005
May 31, 2005
日常生活において日本語を使うものとして
”英語学習の目標は「正確に自分の意志を表現し相手のメッセージを正確に受信できる能力」を養う事。
早口で俗語を交えて英語をまくしたてるアメリカ人に対しては「もっときちんと英語を話しなさい」と言おう。また「あまり流暢すぎる英語を話すのは日本人として下品である」”というKO大学の英語テキスト序文を私も信条としています。
きちんとした英語を使いコミュニケーションすることと、ネイティブのように英語を話すようになる、という事は違います。
言語は文化であり、歴史でもあり、その一つ一つのニュアンスは言語事に違い、言語固有の意味や表現がある。その意味を理解して外国語を学ぶ必要があり、母国語である日本語を学ぶようにしたいものです。
早口で俗語を交えて英語をまくしたてるアメリカ人に対しては「もっときちんと英語を話しなさい」と言おう。また「あまり流暢すぎる英語を話すのは日本人として下品である」”というKO大学の英語テキスト序文を私も信条としています。
きちんとした英語を使いコミュニケーションすることと、ネイティブのように英語を話すようになる、という事は違います。
言語は文化であり、歴史でもあり、その一つ一つのニュアンスは言語事に違い、言語固有の意味や表現がある。その意味を理解して外国語を学ぶ必要があり、母国語である日本語を学ぶようにしたいものです。
May 30, 2005
生かさず殺さず・・
小学生・中学生のほとんどは、学校行事と部活動によってハードな生活を強いられる。そうやって「余計なことを考える」余力を削ぎ取っているのだ。
ある程度は仕方がない。と思いながらも、違和感を感じる。
「勉強」「進学」と両立すべきものに「部活」としか上げられない高校が何と多いことか。
確かに勉強することも運動も「脳」が命令しているので、どちらか偏ると働きが鈍い、答えは間違っていないが「鈍い」と感じることは多々ある。
やはりバランスは必要なのだ。
行事と勉強と部活と、自分が何をやりたいか、何に関心があるのか、とじっくり「余計なことを考える」だけの時間もない。生かさず殺さず、反抗したり反論したりする気力も体力も奪うような教育は本来的ではないけれども。圧倒的に多いのだ。そんな環境が。
それにしてもなぜ、「文化部」と「運動部」どちらか一方を選んで所属しなければならないのだろう。おかしな話である。どちらも一つずつやるほうがずっと良い。
ある程度は仕方がない。と思いながらも、違和感を感じる。
「勉強」「進学」と両立すべきものに「部活」としか上げられない高校が何と多いことか。
確かに勉強することも運動も「脳」が命令しているので、どちらか偏ると働きが鈍い、答えは間違っていないが「鈍い」と感じることは多々ある。
やはりバランスは必要なのだ。
行事と勉強と部活と、自分が何をやりたいか、何に関心があるのか、とじっくり「余計なことを考える」だけの時間もない。生かさず殺さず、反抗したり反論したりする気力も体力も奪うような教育は本来的ではないけれども。圧倒的に多いのだ。そんな環境が。
それにしてもなぜ、「文化部」と「運動部」どちらか一方を選んで所属しなければならないのだろう。おかしな話である。どちらも一つずつやるほうがずっと良い。
May 29, 2005
オールドローズとイングリッシュローズ苗が買える場所
埼玉県菖蒲町にあるという実野里さんでクラシックローズ苗を買えるというのをネットで見まして。さっそく行ってみました。
コンセプトを表したガーデンは昨年できたものとの事でこれから一層きれいになる余白を残しつつ、イングリッシュローズ苗のコーナーは凄く充実していました。バラクラで買うか迷った「フェアリー」もありました。
買いたかったヴァリエガーター・ディ・ボローニャは見あたらなかったものの、ティイング・ジョージアンというイングリッシュローズ苗に決めました。
低いクライマーになるとの事です。
お店には、ばらのカタログを手にした(かなり読み込まれた)かたがたが次々とやってきました。(つまり私はかなり長居していたわけです)
これがランブラーだろう、とか、こっちのクライマーが、、など皆さん凄く詳しそう。ばらが好きで大事に育てるってとても楽しい事です。
買わなかったんですが、ジキタリスがまた美しい。
娘がほしがって、四季なりのいちご苗というのも買いました。
みのりに行く前には鷺山記念公園のアスレチックをやらせたりバトミントンもどきをやったりしたのでかなり充実した一日。
★クラシックローズとは、オールドローズやイングリッシュローズなど自然で庭にあって主張しすぎないバラたちの事。原種や古典種の趣豊かなばらたちです。
写真はみのりさんのアーチに映えるグラハム・トーマス。
3ヶ月メンテナンス
室内ドアの鍵の調子やドアのきしみなど。
壁紙一部のはがれやよれや、まわりぶちの塗装などなど。
電気スイッチを一部調光スイッチにしわすれていた所があったりと。
壁紙はでも、基本的にはあまり気になるとこはありません。つなぎ目も見えないですし。
3ヶ月、半年、1年、2年までメンテナンスがあるそうです。2年までは基本的に無料らしい。
他の輸入住宅メーカーでは「一度だけ無料」なんてところもあるそうなんで、引き渡しあとのアフターサービスも重要ですね。
今週は後半仕事が忙しかったので掃除はおざなり・・・全館空調のフィルターもそろそろ洗わなくては。
先日ばらについての本を2冊購入しました。
「つるばらとオールドローズ」
「オールドローズ」
何も考えず以前購入した苗の名前や作出年、原産国や特徴などやっと解ったものが2つ!やっぱり知れば知るほどに面白くなる世界ですね。
つるバラとオールドローズ―庭をおしゃれに飾る
オールド・ローズ花図譜
May 26, 2005
もしも組織的に
車掌自身は今も、「死にたい」と漏らすなど、苦悩の日々を送っているという。(infoseeknews)
脱線事故でもしも組織的にこの車掌に「個人的な責任も考えろ」などとJR西が話をしているとしたら大問題である。
あくまでJR西日本という会社が責任と保証と改善を行わなければならない。
事故発生から懸念するのは「車掌が自殺をしてはならないし、させてはいけない」というだ。
日本は未だに「自殺」が責任をとることのカモフラージュに繋がる部分がある。特に社員個人の「死」によって会社や本質的な問題が隠蔽されてしまうことだけは避けて貰わなければならない。取り調べとする側も相当に配慮することが必要だと強く感じる。
脱線事故でもしも組織的にこの車掌に「個人的な責任も考えろ」などとJR西が話をしているとしたら大問題である。
あくまでJR西日本という会社が責任と保証と改善を行わなければならない。
事故発生から懸念するのは「車掌が自殺をしてはならないし、させてはいけない」というだ。
日本は未だに「自殺」が責任をとることのカモフラージュに繋がる部分がある。特に社員個人の「死」によって会社や本質的な問題が隠蔽されてしまうことだけは避けて貰わなければならない。取り調べとする側も相当に配慮することが必要だと強く感じる。
May 25, 2005
「ゆとり教育」の弊害・・・
ゆとり教育についてその2。
「ゆとり教育」が招いた結果は「学力低下」のとどまらず「学習意欲の低下」をも招いてしまった。また子供たちの知的好奇心は満たされず、教養も深まってはいない。
学校がその場になれるかどうかはともかく、教育という言葉は常に曖昧だ。
しかし私と私の所属では「学習」は受験指導と結果の為のものではなくそれは「進学」や「結果」の先にある世界や生活で必要とされる知識であり、思考方法を学ぶものである。
「ゆとり教育」が実施される直前には偏差値が一部廃止されたり、EQなどの言葉がもてはやされた。だがもてはやされたものの本質をとらえることなく導入された「ゆとり教育」は単に授業数の削減や教科の削減、過度な教科書からの文章の削除(理科の教科書を見てみるとよい。ある現象について説明してある文など見あたらない。)そして週休2日制といった「目に見えるものを単に減らしただけ」の変化だったのだ。
「ゆとり教育」で変化すべきだったのは、実は見えない部分の変化である。
「ゆとり教育」を成功させるには教師の側の授業や質の向上とよいテキスト、そしてそれを受ける子供の側も必要なものがあると思う。
今のこどもたちを見ていると、自分の主張はできるが、人の話をまったく聴いていない子供が増えている。まず、聴くことだ。たしかに聴くに値しない話もあるかもしれないが、それでもまずは聴かなければ「学ぶ」ことはできない。
多くの進学校を見に行くと感じることだが、中堅進学校は大学(学部にこだわるよりも名前にこだわる)進学数や合格率をしきりに学校目標にしている。
だが、さらに上の進学校では「知識と思考を表現する力」を育てることに力をいれていることが多い。また「答えのない問題」に対する考え方を導くことにも力をいれている。
自分の考えを自分の言葉で表現する。
また比較し、新しい考えを導きだす。
そういった創造的な思考、判断し、考えを導くのに必要な知識こそを伸ばせるのは人間にとって限られた期間なのだ。
ゆとり教育で本当に望まれていたのはそういったものだと私は思っている。
自分をとりまく外の世界がいかに膨大であることを子供は子供のうちに知らなければならない。
大学の図書館の閲覧室に入り膨大な蔵書に出会った時、また膨大な世界史を前にしたとき、古代やルネッサンスや覆われた日本の文化の美術や文化の片鱗に触れた時、その圧倒的な世界に触れることが重要だ。
「ゆとり教育」が招いた結果は「学力低下」のとどまらず「学習意欲の低下」をも招いてしまった。また子供たちの知的好奇心は満たされず、教養も深まってはいない。
学校がその場になれるかどうかはともかく、教育という言葉は常に曖昧だ。
しかし私と私の所属では「学習」は受験指導と結果の為のものではなくそれは「進学」や「結果」の先にある世界や生活で必要とされる知識であり、思考方法を学ぶものである。
「ゆとり教育」が実施される直前には偏差値が一部廃止されたり、EQなどの言葉がもてはやされた。だがもてはやされたものの本質をとらえることなく導入された「ゆとり教育」は単に授業数の削減や教科の削減、過度な教科書からの文章の削除(理科の教科書を見てみるとよい。ある現象について説明してある文など見あたらない。)そして週休2日制といった「目に見えるものを単に減らしただけ」の変化だったのだ。
「ゆとり教育」で変化すべきだったのは、実は見えない部分の変化である。
「ゆとり教育」を成功させるには教師の側の授業や質の向上とよいテキスト、そしてそれを受ける子供の側も必要なものがあると思う。
今のこどもたちを見ていると、自分の主張はできるが、人の話をまったく聴いていない子供が増えている。まず、聴くことだ。たしかに聴くに値しない話もあるかもしれないが、それでもまずは聴かなければ「学ぶ」ことはできない。
多くの進学校を見に行くと感じることだが、中堅進学校は大学(学部にこだわるよりも名前にこだわる)進学数や合格率をしきりに学校目標にしている。
だが、さらに上の進学校では「知識と思考を表現する力」を育てることに力をいれていることが多い。また「答えのない問題」に対する考え方を導くことにも力をいれている。
自分の考えを自分の言葉で表現する。
また比較し、新しい考えを導きだす。
そういった創造的な思考、判断し、考えを導くのに必要な知識こそを伸ばせるのは人間にとって限られた期間なのだ。
ゆとり教育で本当に望まれていたのはそういったものだと私は思っている。
自分をとりまく外の世界がいかに膨大であることを子供は子供のうちに知らなければならない。
大学の図書館の閲覧室に入り膨大な蔵書に出会った時、また膨大な世界史を前にしたとき、古代やルネッサンスや覆われた日本の文化の美術や文化の片鱗に触れた時、その圧倒的な世界に触れることが重要だ。
ばらの剪定
ばらの剪定の仕方がまだよくわからず、2冊本を買いました。
慎重な性格なほうなんで、強剪定なんてできそうもありません・・・。
自分の父親も園芸好きです。実際植木屋よりも詳しいですし。
「花木なんて安いものだ、ずっと眺めて楽しんでいられるんだから」と言ってましたが、最近本当にそう思う。
安行が近い!とよく行くようになり、「埼玉県にもメリットあるな〜」と思ったり。もっとオールドローズの苗が増えるのを希望。
そういえば、我が街では最近街路樹沿いの除草作業を市が行っているようです。家を作りふと気がつくと、、自宅前の歩道沿いの雑草を完璧にやっている家と、自分の家は綺麗にしてるけど家の前は雑草だらけ、ごみも片付けない、という明かな違いに気がつきまして。
気がついたら即、実行です。以来暇があったら雑草とりです。
それに街路樹のわきのさつきの植え込みがあるんですが所々木がなくなっています。その後に、娘がひろってきたどんぐりからそだてた苗を3つほど植えました。
1か月後・・・うちの前には雑草はなかったはずなのに、植えた苗とハーブは除草作業によってみごとに無くなってしまいました。
自分たちで除草作業をしてるのに、あきらかに草がないのにこういうことをするわけです。本当〜に市がすることは余計なことばっかりという気になります。
三郷、吉川、など近隣は「生け垣助成金」があるのに何もない越谷市。
慎重な性格なほうなんで、強剪定なんてできそうもありません・・・。
自分の父親も園芸好きです。実際植木屋よりも詳しいですし。
「花木なんて安いものだ、ずっと眺めて楽しんでいられるんだから」と言ってましたが、最近本当にそう思う。
安行が近い!とよく行くようになり、「埼玉県にもメリットあるな〜」と思ったり。もっとオールドローズの苗が増えるのを希望。
そういえば、我が街では最近街路樹沿いの除草作業を市が行っているようです。家を作りふと気がつくと、、自宅前の歩道沿いの雑草を完璧にやっている家と、自分の家は綺麗にしてるけど家の前は雑草だらけ、ごみも片付けない、という明かな違いに気がつきまして。
気がついたら即、実行です。以来暇があったら雑草とりです。
それに街路樹のわきのさつきの植え込みがあるんですが所々木がなくなっています。その後に、娘がひろってきたどんぐりからそだてた苗を3つほど植えました。
1か月後・・・うちの前には雑草はなかったはずなのに、植えた苗とハーブは除草作業によってみごとに無くなってしまいました。
自分たちで除草作業をしてるのに、あきらかに草がないのにこういうことをするわけです。本当〜に市がすることは余計なことばっかりという気になります。
三郷、吉川、など近隣は「生け垣助成金」があるのに何もない越谷市。
May 24, 2005
スーヴニール・ドゥ・ラ・マルメゾン
オールド・ローズの魅力にとりつかれてまだ数ヶ月、庭ができて1か月。NEWDAWNが咲き始めました。
淡い、ピンクの色に形のよい小ぶりな花が、光沢のある健やかな葉に実によく映えてとても美しいです。
一気に咲いてしまわないところがまた良いです。
バラクラナーセリーのOさんに薦めてもらった通り、半日陰の石像の隣でもつぎつぎと葉をつけてつぼみが開いてきます。すばらしい!
安行へ行き、オリーブの苗木を購入。
これはダイニングの中に鉢植えで育てるつもりです。
以前バラクラのコンサバトリー(温室)内のレストランでオリーブの大きな鉢があり、ちょっと憧れてていたので。銀色がかった緑の葉が好きです。
それに、何気なくぶらついていたら、見つけました!
スーヴニール・ドゥ・ラ・マルメゾン。
四季咲き古典種のオールドローズの中で、次に欲しいと思っていた薔薇です。
それも1500円・・・。思わぬ収穫でした。嬉しい!
画像はニュードーンの花。(早朝、花ひらいた所を撮影)
May 20, 2005
パリ・オペラ座 ヌレエフ版「ドン・キホーテ」
エトワールを見終わった後、amazonで輸入版を注文していたのがタイムリーに届きました。
世間で不評の・・?パリ・オペのドン・キですが、マリ・アニエス・ジローが良かったです。
・キューピッドがいない。
・テンポがゆっくり(すぎるような)
・3幕のパ・ド・ドゥがアレンジされてる、というか音に対してパが少ない。
・衣装が良い。色の配色とか美しいです。
目指せブロードウェイなバリシニコフ版とコレーラのドン・キを見過ぎてるので比較の問題ではないと思いながらも、、。
ドン・キホーテらしさに欠けるという重要な欠点をのぞけば「パリ・オペラ座のドン・キホーテ」としては納得の作品。輸入盤はリージョンフリーですので、こちらがおすすめ。

ルグリは3幕最初の帽子をかぶって登場する所が麗しかったです。フランス中世絵画に書かれてる人のようでした。
普段のおばさんパーマみたいな?髪型が隠れてるほうが顔のよさが映えます。
パリ・オペは手先と上半身、腕と背中のラインが凄く綺麗。
世間で不評の・・?パリ・オペのドン・キですが、マリ・アニエス・ジローが良かったです。
・キューピッドがいない。
・テンポがゆっくり(すぎるような)
・3幕のパ・ド・ドゥがアレンジされてる、というか音に対してパが少ない。
・衣装が良い。色の配色とか美しいです。
目指せブロードウェイなバリシニコフ版とコレーラのドン・キを見過ぎてるので比較の問題ではないと思いながらも、、。
ドン・キホーテらしさに欠けるという重要な欠点をのぞけば「パリ・オペラ座のドン・キホーテ」としては納得の作品。輸入盤はリージョンフリーですので、こちらがおすすめ。

ルグリは3幕最初の帽子をかぶって登場する所が麗しかったです。フランス中世絵画に書かれてる人のようでした。
普段のおばさんパーマみたいな?髪型が隠れてるほうが顔のよさが映えます。
パリ・オペは手先と上半身、腕と背中のラインが凄く綺麗。
未だ明文化されてない子供の「権利」
二人の子供を虐待死させて懲役9年・・。
日本の刑法では大人の男を1人殺すとほぼ死刑か無期、女性2人か女性+子供で死刑というのはよく聞く話ですが、この例もあきらかな子供の人権の軽さが見られます。
無抵抗な子供に対しての暴力や殺人は大人を殺した場合よりも刑を重くすべきで少なくとも軽くするのはどういう見解なのか、司法に対する大きな疑問を感じます。
日本では子供は大人より劣った生き物のように扱われている、という事は少子化の絶対的な問題として認識されなければならない。
ほんとうに豊かな国では、子供たちが関わるところには目に見える形で予算がくまれている。それに、子供たちを社会全体で育てるという意識がある。
少子化というのは単に、専業主婦や兼業主婦や保育園などの問題ではなく、生き方そのものの問題が現れ出たものの一つなのだろうと思う。
ちなみに、私も含め3歳未満のこどもを一時的に安心で安価にあずかってくれるシステムやサービスを市町村が行っている例は今も少ない。
母親(一生懸命育児に関わっている父親も)、休息が必要な時、意外と実の親や身近な人には頼みにくい面があり、それ自体不可能なことが多い。
子育て、を人任せにしていた人たちが社会の決定権をもち、意見を積極的にとりいれることに気がつかないままに「子供が育つことが難しい」社会にしてしまっている。
日本の刑法では大人の男を1人殺すとほぼ死刑か無期、女性2人か女性+子供で死刑というのはよく聞く話ですが、この例もあきらかな子供の人権の軽さが見られます。
無抵抗な子供に対しての暴力や殺人は大人を殺した場合よりも刑を重くすべきで少なくとも軽くするのはどういう見解なのか、司法に対する大きな疑問を感じます。
日本では子供は大人より劣った生き物のように扱われている、という事は少子化の絶対的な問題として認識されなければならない。
ほんとうに豊かな国では、子供たちが関わるところには目に見える形で予算がくまれている。それに、子供たちを社会全体で育てるという意識がある。
少子化というのは単に、専業主婦や兼業主婦や保育園などの問題ではなく、生き方そのものの問題が現れ出たものの一つなのだろうと思う。
ちなみに、私も含め3歳未満のこどもを一時的に安心で安価にあずかってくれるシステムやサービスを市町村が行っている例は今も少ない。
母親(一生懸命育児に関わっている父親も)、休息が必要な時、意外と実の親や身近な人には頼みにくい面があり、それ自体不可能なことが多い。
子育て、を人任せにしていた人たちが社会の決定権をもち、意見を積極的にとりいれることに気がつかないままに「子供が育つことが難しい」社会にしてしまっている。














