1DAY-25HOURS デザイン・フォー・ライフ

from ousia@web 高嶺(Takane)によるデザイン・フォー・ライフ. テキストと写真で綴ります.

思想史と美術史、および時事については社会学観点より。舞台芸術、アニマルライツ、ジョージアン様式建築の輸入住宅インテリア、バラ園芸について執筆中。駐日英国大使館公認ブログ(2008-9).駐日英国大使館広報blog(2010〜)英国アンバサダー2015-2017 日英交流150年アーカイブ(国立国会図書館)にて記事閲覧できます。http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/284894/www.ukjapan2008.jp/blog/read/ ご連絡はメールフォームとTwitterDMから.  

まず一言感想。


ベジャールによる「指環」はローゲという外部と周辺者、傍観者の視点があることが重要。彼は、ブリュンヒルデの絶望と終焉そのものの許容を共有する理解者としても最後は振る舞います。

このバレエは、ニーベルングの指輪のストーリーについて予習が必要というよりも、上級な「復習」である。登場人物、とくに、アルベリヒの恨みと呪い、ジークムントとジークリンデとブリュンヒルデの希望であったジークフリート、その死。その絶望を楽劇版によって体験していることが「前提」として描かれている。ダンサーたちは、言語の意味の深さを顔の深い演技と、眼、身体全体で表現する。深淵で格調高い重要なシーンを体験していると更に感動する。私たちはまた新たにあの歓喜と絶望を再び共有できるから。そしてもう一つの終末を、ブリュンヒルデやローゲと共に観ることになる。

70年代的な演劇感覚で構成されている。
私は、天井桟敷作品や万有引力を10代の頃に多くみているので、このような多重性・同時進行性の強い舞台構成には慣れているので、非常に楽しめた。
舞台、舞台の上部、そしてオーケストラピットに作られた地底としての奈落で物語は進行し、また傍観している。(おそらく3階・4階の中央がいちばん見やすいであろう)
24日は26日の予習のために5階から観にいったのだが、ベジャールの振り付けは遠くからみても、ダンサーの動きや身体の動きがわかるように振り付けられていることに驚く。ダンサーたちは渾身の演技で、目やすべての表情で表現しているので、表情にも注目。ワーグナーの聖地であるドイツで演じられる指環は、半端な演技ではない。
その辺りにも注目。


以下、感想を書く前準備として忘れないようメモ。しかし長くなってしまいました。


<ラインの黄金>
・稽古場を模したような舞台(セット)、オーケストラピットには階段が作られ、地底世界、ニーベルンゲン世界を表すのか。エルダ・大地と知の神もそこから顕れる。運命の3女神が縄(糸)と紡ぐ。舞台には上に通路が作られる。神々はたびたびそこから人間たちのようすを傍観する。
・神々の踊り、ひとりづつソロがある。
ヴォータン、フリッカ、ドンナー、フロー、フライア。

・アルベリヒの演技・表情、恨みとのろいの表情に注目。
ラインの乙女たちとの楽劇(オペラ)の冒頭の場をよく表している

<ワルキューレ>
・サイダコーワのブリュンヒルデは気高く、繊細、優美であってフォルムにのゆがみがない。勇敢さが求められるワルキューレの時よりも、神性を奪われた後が素晴らしい。
・フリッカ(ヴィシニョーワ)ヴォータンとの対峙の場。
入場してきたところから、勝ちを手にした者として振る舞うような迫力。すさまじい。
・フンディング 
上手い。イタリアン・マフィアのようなイメージ。振る舞いもそれに近い。ソロも見ごたえあり。
・ジークムントとジークリンデの誕生の場面。裸で共に生まれ、ジークリンデはそのままあやしげな男たちに連れ去られ、フンディングの妻にされる。ジークムントはヴォータンと狼と試練の中にいる。楽劇版ではのちに語られる部分が挿入される。シンプルだがよく表現されている。

・ヴォータンたちが神の衣装をつけ佇む。(この衣装になると踊らないが、神々しい姿で見ごたえがある、だがおそらくそれは神々の衰えを表している。レオタードを身につけ超人的な存在を表すポアントをはいて踊るのは神だけである。グリムヒルデのアンバランスもそれに倣っている)


ブリュンヒルデが神性を奪われる箇所はバレエならでは演出でわかりやすくインパクトを感じる。このような、ベジャール版ならではで「目に見える変化」がインパクトがある箇所が多々ある。オペラでは登場しない箇所の補足がされている。


ローゲ「こんな愚かな神々と滅びるのは御免だ!いかに神々しい神でも」



<ジークフリート>

・ミーメ、ジークフリート(青年)、ローゲの3人が踊る。3幕はとにかく目が離せないもっとも、形而上学的な解釈にあふれ、そして楽しい。

ジークフリート 圧巻、少年時代と青年時代、ともにすばらしい。軽やかで伸びやか、まだ自分の運命をしらぬもの。マリアン・ワルターの少年ジークフリートはハマり役。

青年時代ジークフリート(パンツァフ)とサイダコーワとの踊りは本当に素晴らしい。ジークフリートとブリュンヒルデの感激を表していた。
パンツァフのジークフリートは踊りっぱなしである。

サイダコーワ
ジークフリートとの踊り、素晴らしい。彼らの運命的な出会いと歓喜について。
・ローゲ=マラーホフ
3幕のローゲはそれまでのどの幕とも違う。カオスの中の静けさの存在感。厳格な宗教者あるいはペテン師的な・・恐怖すら漂う。いるだけで、常に外部としての存在感。

・エルダ= ヴォータンとの会話・対話
エルダはこの踊りがもっとも興味深かった。女性神であるが女性的なものはすべて持ち合わせないエルダは地母的。

神々の黄昏
・グリムヒルデ(ヴィアラ・ナチェーワ)
片足ハイヒール、片足がポアント。バランスを失い、脚をひきずりながら踊る。アルベリヒとの踊り。不安定なあやしげな美。得体の知れぬもの、美しいが大きな欠落を表しているのか。ギーギッヒ家家臣の前では車いすに乗って登場。指図する。

・グートルーネ 踊りはワルツ?だけだが、存在感は抜群。ショーガールのよう、存在としてもそうであろう。この存在感は、バレエ団のダンサーが演じるならでは。

・ローゲとブリュンヒルデの踊り。マラーホフとサイダコーワ、共に大変演技力と内面性の表現がすばらしく、ローゲの踊りではもっとも引き込まれた。とにかく素晴らしかった。ベジャール版では、おそらく、ブリュンヒルデとローゲだけが、ヴォータンがこの物語の責任ある者であり、物語の始まりと終焉を共有しているのである・・・。
(原典では、ブリュンヒルデのみがこの絶望を知っている)


・ジークフリート(青年)とジークフリート(少年)の踊り。双方の別れを描く、冒頭とくに注目したい。マリアン・ワルターも素晴らしい。このような、男性の成長と少年、を描くところはベジャールならでは?

・ハーゲンとアルベリヒの踊り。
アルベリヒはとにかく目で表現する、恨みやのろい、その深さを全身で表している。
素晴らしいダンサー。



・ローゲの笑い、ーー邪悪そのもの。運命を笑う。終末さえも、その顔はすさまじい。マラーホフのローゲを観られた人は幸せだろう。これは彼の中にあるあらゆる才能を超えた才能がなせる演技である。計算されたものではない。

世界の終末

壁が割れ、全員がそこに力なく座り込む。うなだれ、もはや動くことはない。



★3幕以降とくにすばらしい。
ジークフリート、アルベリヒ、ブリュンヒルデ、ローゲ、ミーメ、ハーゲンの踊りはどれも素晴らしい。目が離せない。


★気になった場所

ジークムントとジークリンデの踊りは少し弱い。
このシーンはジークリンデが、歓喜と絶望の両方を感じている重要な箇所が不十分。

ワルキューレは音を体現できてはいない。もっと迫力があるほうが好い。音楽を逃がしてしまっている。
おそらく、ヴィシニョーワだと勇ましさのほうが全面にでるであろう。

ブリュンヒルデがジークリンデにジークムント(勝利を守者)との子に「ジークフリート(勝利を保つもの)と名授けるところとノートゥングを授けるところは字幕を入れてもうすこしクローズアップしてほしかった。ーーだが思い返してみれば、その感動はおそらく楽劇で知っている事なのでベジャールはさらりと描く。事件に関してはさらりと描き、その人物の内面性をダンスにぶつけるという手法がとられているのだろう。だから、観るものは、踊りを理解するためには、すでに「指環」という物語が持つ、壮大な力を体感しておくほうがよい。


まず一言感想。

このバレエは、ニーベルングの指輪のストーリーについて予習が必要というよりも、上級な「復習」である。登場人物、とくに、アルベリヒの恨みと呪い、ジークムントとジークリンデとブリュンヒルデの希望であったジークフリート、その死。その絶望を楽劇版によって体験していることが「前提」として描かれている。ダンサーたちは、言語の意味の深さを顔の深い演技と、眼、身体全体で表現する。深淵で格調高い重要なシーンを体験していると更に感動する。私たちはまた新たにあの歓喜と絶望を再び共有できるから。そしてもう一つの終末を、ブリュンヒルデやローゲと共に観ることになる。

70年代的な演劇感覚で構成されている。
私は、天井桟敷作品や万有引力を10代の頃に多くみているので、このような多重性・同時進行性の強い舞台構成には慣れているので、非常に楽しめた。
舞台、舞台の上部、そしてオーケストラピットに作られた地底としての奈落で物語は進行し、また傍観している。(おそらく3階・4階の中央がいちばん見やすいであろう)
24日は26日の予習のために5階から観にいったのだが、ベジャールの振り付けは遠くからみても、ダンサーの動きや身体の動きがわかるように振り付けられていることに驚く。ダンサーたちは渾身の演技で、目やすべての表情で表現しているので、表情にも注目。ワーグナーの聖地であるドイツで演じられる指環は、半端な演技ではない。
その辺りにも注目。

因みに私が今回の「指環」を観るにあたって、予習用にみた楽劇版は1980年「バイロイト音楽祭」である。「ワルキューレ」は特に、物語の要であり、すべての役者は適役である。ぜひバレエの理解と感動を深めるためには機会があれば観て欲しい。この物語が表す「世界の終焉」の根源的なものを体験していると、更にすばらしい体験ができる。

===公演データ===

2005年 6月24日 午後5時開演 東京文化会館

さすらい人>アレクセイ・ドゥビニン

エルダ>アリアンヌ・エルネスティ

ローゲ(火の神)>ウラジーミル・マラーホフ

ブリュンヒルデ>ナディア・サイダコーワ

ヴォータン>アルテム・シュピレフスキー
フリッカ>ディアナ・ヴィシニョーワ
ドンナー>マルチン・クライエフスキー
フロー>ライナー・クレンシュテッター
フライア>ベアトリス・クノップ

アルベリヒ>マルティン・ブチェコ
ミーメ>ディニュー・タマツラカル

ジークフリート
マリアン・ワルター(少年時代)
ミカエル・パンツァフ(青年時代)

ジークムント>イブラヒム・ウェーナル
ジークリンデ>ポリーナ・セミオノワ

フンディング>ロベルト・ヴォラート

グリムヒルデ>ヴィアラ・ナチェーワ
ハーゲン>フィスラウ・デュデク
グンター>マルティン・シィマンスキー
グートルーネ>エレーナ・プリ



エリザベット・クーパー(ピアノ演奏)
便者・ミカエル・ドナール

ベルリン国立バレエ団
振り付け モーリス・ベジャール

5

      ベルリン国立バレエが<ラ・バヤデール><リング(ニーベルングの指輪)>を来日公演した時の感想テキストファイルが出てきたので掲載します。

おそらくメモしておいて、正式に評論文としてまとめる予定だったのだと思います....

またベジャール・バレエ・ローザンヌで来日公演して貰いたいと思うのでUPする次第です。
ファイル作成日は2005年6月25日となっています。たしか6月に公演があったと記憶、当時小3の娘とバルコニー席で観ました。

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<ラインの黄金>
・稽古場を模したような舞台(セット)、オーケストラピットには階段が作られ、地底世界、ニーベルンゲン世界を表すのか。エルダ・大地と知の神もそこから顕れる。運命の3女神が縄(糸)と紡ぐ。舞台には上に通路が作られる。神々はたびたびそこから人間たちのようすを傍観する。
・神々の踊り、ひとりづつソロがある。
ヴォータン、フリッカ、ドンナー、フロー、フライア。

・アルベリヒの演技・表情、恨みとのろい表情に注目。
ラインの乙女たちとの楽劇(オペラ)の冒頭の場をよく表している



<ワルキューレ>
・サイダコーワのブリュンヒルデは気高く、繊細、優美であってフォルムにのゆがみがない。勇敢さが求められるワルキューレの時よりも、神聖を奪われた後が素晴らしい。
・フリッカ・ヴィシニョーワ、ヴォータンとの対峙の場。
入場してきたところから、勝ちを手にした者として振る舞うような迫力。すさまじい。
・フンディング 
上手い。イタリアン・マフィアのようなイメージ。振る舞いもそれに近い。
ソロも見ごたえあり。
ジークムントとジークリンデの誕生の場面。裸で共に生まれ、ジークリンデはそのままあやしげな男たちに連れ去られ、フンディングの妻にされる。
ジークムントはヴォータンと狼と試練の中にいる。楽劇版ではのちに語られる部分が挿入される。シンプルだがよく表現されている。
・ヴォータンたちが神の衣装をつけ佇む。(この衣装になると踊らないが、神々しい姿で見ごたえがある、だがおそらくそれは神々の衰えを表している。レオタードを身につけ超人的な存在を表すポアントをはいて踊るのは神だけである。グリムヒルデのアンバランスもそれに倣っている)


ブリュンヒルデが神性を奪われる箇所はバレエならでは演出でわかりやすくインパクトを感じる。このような、ベジャール版ならではで「目に見える変化」がインパクトがある箇所が多々ある。オペラでは登場しない箇所の補足がされている。


ローゲ「こんな愚かな神々と滅びるのは御免だ!いかに神々しい神でも」



ジークフリート

・ミーメ、ジークフリート(青年)、ローゲの3人が踊る。3幕はとにかく目が離せないもっとも、形而上学的な解釈にあふれ、そして楽しい。

ジークフリート 圧巻、少年時代と青年時代、ともにすばらしい。
軽やかで伸びやか、まだ自分の運命をしらぬもの。マリアン・ワルターの少年ジークフリートはハマり役。

青年時代ジークフリートとサイダコーワとの踊りは本当に素晴らしい。ジークフリートとブリュンヒルデの感激を表していた。

サイダコーワ
ジークフリートとの踊り、素晴らしい。彼らの運命的な出会いと歓喜について。
・ローゲ 3幕のローゲはそれまでのどの幕とも違う。カオスの中の静けさの存在感。恐怖すら漂う。いるだけで、常に外部としての存在感。

・エルダ= ヴォータンとの会話、、この踊りがもっとも興味深かった。

神々の黄昏
・グリムヒルデ 片足ハイヒール、片足がポアント。バランスを失い、脚をひきずりながら踊る。アルベリヒとの踊り。不安定なあやしげな美。得体の知れぬもの、美しいが大きな欠落を表しているのか。

・グートルーネ(ヴィアラ・ナチェーワ) 踊りはワルツ?だけだが、存在感は抜群。ショーガールのよう、存在としてもそうであろう。この存在感は、バレエ団のダンサーが演じるならでは。

・ローゲとブリュンヒルデの踊り。マラーホフとサイダコーワ、共に大変演技力と内面性の表現がすばらしく、ローゲの踊りではもっとも引き込まれた。とにかく素晴らしかった。ベジャール版では、おそらく、ブリュンヒルデとローゲだけが、ヴォータンがこの物語の責任ある者であり、物語の始まりと終焉を共有しているのである・・・。
(原典では、ブリュンヒルデのみがこの絶望を知っている)


・ジークフリート(青年)とジークフリート(少年)の踊り。双方の別れを描く、冒頭とくに注目したい。マリアン・ワルターも素晴らしい。このような、男性の成長と少年、を描くところはベジャールならでは?

・ハーゲンとアルベリヒの踊り。
アルベリヒはとにかく目で表現する、恨みやのろい、その深さを全身で表している。
素晴らしいダンサー。


・ローゲの笑い、ーー邪悪そのもの。運命を笑う。終末さえも、その顔はすさまじい。マラーホフのローゲを観られた人は幸せだろう。これは彼の中にあるあらゆる才能を超えた才能がなせる演技である。計算されたものではない。

世界の終末

壁が割れ、全員がそこに力なく座り込む。うなだれ、もはや動くことはない。


★3幕以降とくにすばらしい。
ジークフリート、アルベリヒ、ブリュンヒルデ、ローゲ、ミーメ、ハーゲンの踊りはどれも素晴らしい。目が離せない。
2-2

ワルキューレたち。


★気になった場所

ジークムントとジークリンデの踊りは少し弱い。
このシーンはジークリンデが、歓喜と絶望の両方を感じている重要な箇所が不十分。

ワルキューレは音を体現できてはいない。もっと迫力があるほうが好い。音楽を逃がしてしまっている。
おそらく、ヴィシニョーワだと勇ましさのほうが全面にでるであろう。

ブリュンヒルデがジークリンデにジークムント(勝利を守者)との子に「ジークフリート(勝利を保つもの)と名授けるところとノートゥングを授けるところは字幕を入れてもうすこしクローズアップしてほしかった。ーーだが思い返してみれば、その感動はおそらく楽劇で知っている事なのでベジャールはさらりと描く。事件に関してはさらりと描き、その人物の内面性をダンスにぶつけるという手法がとられているのだろう。だから、観るものは、踊りを理解するためには、すでに「指環」という物語が持つ、壮大な力を体感しておくほうがよい。



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まず一言感想。

このバレエは、ニーベルングの指輪のストーリーについて予習が必要というよりも、上級な「復習」である。登場人物、とくに、アルベリヒの恨みと呪い、ジークムントとジークリンデとブリュンヒルデの希望であったジークフリート、その死。その絶望を楽劇版によって体験していることが「前提」として描かれている。ダンサーたちは、言語の意味の深さを顔の深い演技と、眼、身体全体で表現する。深淵で格調高い重要なシーンを体験していると更に感動する。私たちはまた新たにあの歓喜と絶望を再び共有できるから。そしてもう一つの終末を、ブリュンヒルデやローゲと共に観ることになる。

70年代的な演劇感覚で構成されている。
私は、天井桟敷作品や万有引力を10代の頃に多くみているので、このような多重性・同時進行性の強い舞台構成には慣れているので、非常に楽しめた。
舞台、舞台の上部、そしてオーケストラピットに作られた地底としての奈落で物語は進行し、また傍観している。(おそらく3階・4階の中央がいちばん見やすいであろう)
24日は26日の予習のために5階から観にいったのだが、ベジャールの振り付けは遠くからみても、ダンサーの動きや身体の動きがわかるように振り付けられていることに驚く。ダンサーたちは渾身の演技で、目やすべての表情で表現しているので、表情にも注目。ワーグナーの聖地であるドイツで演じられる指環は、半端な演技ではない。
その辺りにも注目。

因みに私が今回の「指環」を観るにあたって、予習用にみた楽劇版は1980年「バイロイト音楽祭」である。「ワルキューレ」は特に、物語の要であり、すべての役者は適役である。ぜひバレエの理解と感動を深めるためには機会があれば観て欲しい。


ヴォータンを演じたのはロシアから移籍したアルテム・シュピレフスキー

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 Maurice Bejart RING



マラーホフとヴィシニョーワ


GIL ROMAN


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幕があくと写真でみた「象をかたどった舞台装置」中央からダンサーたちが次々と出てくる。マラーホフ(ソロル)登場。宅鉢僧の踊りはスピード感あふれ、かつ回転や腕の振りつけも複雑だが美しい。期待が一気に高まる。マラーホフ版のみどころは男性ダンサーの踊りを改訂して増やしている所で、それをみる事も今日も目的にひとつだから。
マラーホフ、ヴィシニョーワ、の踊り、それにガムザッティを演じ踊るベアトリス・クノップの写真をみて以来、その雰囲気から「きっといいガムザッティとその踊りが観られる」と期待していたので、それも大きな目的。

ヴィシニョーワのニキヤは、想像よりもはるかにはまり役であった。
寺院の舞姫、であり殺されてしまうニキヤに聖女のイメージは常につきまとうが、ヴィシニョーワのニキヤは内面の意志の強さ、ソロルを思う意志のつよさ、心を許しあうもの同士のまなざし、など常に伝わってきて、顔の表情ひとつも見逃せない演技も卓越。
踊りのテクニックが非常に高いので、安定感がありながら丁寧にだがテンポよく音楽を取り入れて踊っていく。表現と技術が高いので、マイムやゆっくりとした動きの時はオペラグラスで見入り、広い空間を踊る時はその踊りを堪能するために肉眼で観た。
ニキヤの踊りは、当然、婚姻の儀式のソロは目が離せない。
ガムザッティの踊りがまた素晴らしく、おおいに沸いた会場、から一点ヴィシニョーワが登場すると一気に引き込まれた。
また影の大国ではマラーホフ版は最後に大々的な見せ場がつくられ、コールドバレエではとても早いテンポの曲に切り替わり、それに見とれていると、奥から斜め舞台前方にむかってヴィシニョーワがターンをしながら素晴らしい踊りをみせる。これにはもう2階席からみていたが鳥肌がたつほどのすばらしさ。思わず凄い!と声がでてしまった。

そして先ほどちらりと書いたガムザッティ=ベアトリス・クノップ。
非常に大人っぽい雰囲気で衣装がとて似合うガムザッティの写真を観ていた時から、このガムザッティの踊りが観てみたい。演技は?と楽しみにしていた。
そして昨日は・・・素晴らしい!演技も迫力があり、ニキヤとあらそうシーンは、ヴィシニョーワのニキヤが非常に精神的な強さをみせるので、大迫力でした。マラーホフのカンパニーだからか、構成や演出がドラマチック。ラジャと大僧正がニキヤについて話しているところを物陰から聞いてしまうという二重の舞台構成。そのときの反応。ニキヤのスカーフが天からふわりと落ちてくる演出。

そして婚姻の儀式の間は彼女の踊りを中心にバヤデールならではのバレエの世界を堪能。パ・ドゥ・ドゥではマラーホフともしっかりと踊り、テクニック的にもマラーホフと対等な存在感で圧巻でした。ヴィシニョーワ・マラーホフ・クノップ、バヤデールの中でこれ以外ベストキャストはないのでは?テクニックも演技力も3人のバランスがとてもよく、楽しめるキャスティングです。素晴らしい。
途中、男性二人によるガムザッティのリフトはタイミングの問題で少し上手くいかなかったように見えたほか、影の王国のソリストは少し音楽よりはずれた踊りになっていた点あったが、総じてマラーホフのカンパニーである熱意と若いダンサーの動きは、セットと衣装のすばらしさの引き立てもあって満足できるものであった。2004年秋に始動したばかりのカンパニーで勿論初めて見るダンサーばかり。リングは勿論、バレエを現代性とクラシックの魅力を兼ね備える芸術としてよみがえらせるカンパニーとなってほしい。

ベルリンのラ・バヤデールはぜひDVD作品として記録され、残るべき作品だと思う。

9298c5ec.jpg夫と娘と行きました。2階Rサイドと1階Lサイドに分かれて鑑賞。
2幕後休憩時に入れ替わって二つのアングルから楽しみました。
早く着いたので、東京文化会館の音楽資料室でバレエ・クラシック関連の本やLDなどを見たり読んだりしていました。

感想はのちほど。一日たった今のほうが幻のような余韻からシーンごとに動きがよみがえる感じで。
オフステージの話題から軽く入りたいと思います・笑
終演後、ナディア・サイダコーワがいたのでサインを貰いました。凄く優しい雰囲気でした。「あなたの「薔薇の精」見ていますよ!」と伝えました。
他にマルティン・ブチェコ、アレクセイ・ドゥビニン(ラジャ役)にもサイン貰いました、というかみんな気さく!
ベルリン国立は初めての海外公演が日本!ということで、ダンサーたちも出まちしてる我々を写真にとったりビデオにとったり。楽しんでる様子でした。

マラーホフ、ヴィシニョーワ、クノップの3人にもサインを。。
娘はマラーホフに「ワー、カワイイネー!」と言って貰って幸せものですな。
マラーホフたち3人は楽屋入り口のガラスのドア近くにセットされたテーブルで座ってサインにこたえていたんですが、丁度娘は同じ目線で、娘はおそらく公演をみた最年少くらいだったと思います。
本人はいつもみているマラーホフとちゃんと同一視できてるのかどうか・笑
マラーホフは、初めて間近で逢ったのですが、すごく洗練されたチャーミングな人でした。もの静かに話しかたも印象的です。

疲れている筈なのに、「かならず全員にサインいたします」とスタッフが伝えに来て凄いなぁ、、と出会う人をハッピーのベクトルに自然に引き入れてしまうんだな、と、友愛の人です。

優れたダンサーたちって、舞台の上で「演じきり他の時間を生きている」から日常の時間の中で自分を演じる必要などどこにもなく、それが素晴らしいと思いました。虚構を生きていない生の姿にも、舞台同様、学ぶものがあります。

「バレンボイムとサイード−音楽と社会」読んでます

本は暇だから読めるというものではありません、暇だから読もうなんて本は、たぶん読まなくても影響のないもの。

自我の世界など超越した二人の対話。
境界にいる二人が考えながら、言葉を反芻しながらの対話をしている。読む側はさらに慎重によみ進めていく必要がある。
普通の読書では得られない、何かが生まれる瞬間に立ち会っているかのような体験を得る。


バレンボイム/サイード 音楽と社会

松戸方面へ出張へ、最近、というかこの業界は木曜が出張dayなんんでしょうか、8割木曜日です。でもうちは木曜は超ハードなのです。特に夫は4時から11時半まで休憩ほぼ30分以外はALL授業。もたないので私が4時からの2コマを補助に入っています。

***

サンデー毎日の「この10年でのびた高校」という記事の悪影響はもはや野放しにはできないのではないかと思う。予備校化した高校が行っているのは「教育」ではない。
今日行ったところをはじめ附属は「教育」に対するポリシーや目的、方法論を持っている。それは附属ゆえの余裕なのだろうか。
というよりも附属ではない学校でも特色・高い教育目標をもち実践している学校は沢山ある。
だが、サンデー毎日の視点はあくまで「東大入学者数」を価値観の頂点とした合格数のみの判断でランキングしている。そしてこのランキングが中堅・プレ進学校にとって「いち週刊誌の記事」以上の意味としてとらえられてしまっている。アイデンテティの一つの評価のように一喜一憂している事も多く目にする。

保護者父兄はこの種の記事は参考にする、という程度の利用方法が正しいだろう。
その上でどのような教育を行っており、教師の授業力や学校全体のやる気、講座や補習、語学学習の内容など調べてみるとよい。
よい学校は現役合格数をポスターの見出しに使ったりはしない、それは結果でありある種あたりまえな事なのだから。

そして私立が強調する「現役合格・難関大学・最低MARCH」という目標や実績は、公立中堅校〜上位校のカリキュラムや指導のあまさとの対比であることを公立は重くとらえるべきだ。そこには多くの公費が入っているのだから、教育の質を向上させることは当然なのだろう。

6eacb15b.jpg1階パブリックスペース用のヴァニティ(洗面)です。

壁紙ボーダーはウィリアム・モリス。
無地(ぬりかべ風です)は汚れ防止加工のもの。

ボーダーと色あわせをしてもまったく気にならないですよ。
モリスの緑は、自然界にある緑色なので見た目優しい緑で気に入っています。

水栓金具と洗面ボウルはアメリカンスタンダード社です。
ボウルは2色あってベージュ色を選びました。
白ってあわせ方によって陰気な雰囲気になってしまいそうで避けました。
金具のほうは、オプションでグレードUPしましたが値段自体はいくらだったか、5万円くらいでtotoやINAXの輸入セレクションとくれべるとかなりお安いです。さんざんショールムへいきましたけど。

照明はダウンライトと大塚でかったスペイン製の照明ですが、、、
せっかくの大理石やアイアン部分のレリーフは正面からでは見えません。
つけてから気がついたのでちょっとした失敗ですねv

洗面のカウンターは「ごましお」のようなタイプにしましたがこれも正解でした。汚れも目立たないし、石っぽい質感が白よりも好みです。
メーカーでは白をすすめられたんですけどもね。